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それぞれの思惑

「まずはサジェッツァ様やエリポス諸都市からの報告を把握すべきかと」


「私は寝ていないのだ。頭に入るわけがないだろう? それなら癒しが必要だとは思わないか?」


「おかしいですね。私が聞いた兵の話では、エスピラ様に睡眠は必要ないとかなんとか」

「そんな訳があるか」


 いいから寄越せ、とエスピラは手を動かした。


 ソルプレーサが盛大に溜息を吐いてから、エスピラにようやく手紙を渡してくれる。エスピラは、手紙を受け取った直後に直ぐに開いた。丁寧に整列した愛息の文字が、所狭しと並んでいる。


 無事、『オプティアの書』の管理委員の役目を果たしたこと。緊急で入ったクイリッタも我儘をあまり言わずに短い期間でも音を上げずに務め上げたこと。二人にとって伯父にあたるタヴォラドが良く様子を見に来てくれたこと。同じく伯父であるフィルフィアもクイリッタの援助をしてくれたことが、歳よりもしっかりとした文章で綴られていた。


 それから、先の戦いの戦略の穴も。


 一歩間違えば艦隊全体が無力化されかねないことをやった理由の考察。本来ならばディティキ方面から圧力をかけるべきだったこと。トゥンペロイを落とすことにこだわる理由が無いこと。それでもこだわらざるを得なかった理由。


 それが、マシディリなりの考察でしっかりと書かれていた。

 同時に、マシディリの意見が基本的には本当に二個軍団二万を動かせることが前提になっていると言うこともマシディリ自身が理解もしていた。


「随分と嬉しそうですね」


「ソルプレーサにとっても嬉しい報告だよ。やはり、マシディリは優秀だ。ただ優秀なだけじゃない。ウェラテヌス屈指の天才だ。ラビヌリも安泰だぞ」


 ソルプレーサが呆れ半分、納得半分の顔で細かく頷いた。


「何度もお聞きしました。まあ、最初はただの親の贔屓目だと思っていたのですが、確かに誰もが認めざるを得ないようではありますね」


「だからそう言っていただろ」


 楽しそうに笑いながら、エスピラは読み進める。


 半島内の様子を。サジェッツァの狙いを読み解こうとするマシディリの考察を。マルテレスとマールバラの戦いの推移を。


 そして、弟妹の様子が事細かに書かれた部分を。


 家のことについては、全部が弟と妹に割かれていた。


 相変わらずユリアンナとクイリッタは良く喧嘩をするだとか、リングアがマシディリのところに避難してくるようになっただとか。たまに、チアーラもマシディリのところについてくるだとか。後は、双子のアグニッシモとスペランツァがどちらも乳離れをしたことだとか。


「メルアからは、何かあったか?」


 緩んだ頬でエスピラが聞いた。


「その手紙に無ければ、何も」


 ソルプレーサが感情を隠したような声で返してくる。

 エスピラの表情が僅かに硬くなった。頬は緩んだ状態で止まっているが、笑みでは無い。目も、愛息からの手紙だと言うのに一時的に止まった。


「そうか」


 口だけが動いて、言う。

 その後、エスピラの目が再稼働した。


「出産から一年四か月ほどですか? 悪癖が御心配で?」

「まさか」


 エスピラは鼻で笑い飛ばす。


「私が辛抱できないだけだ」

「アグネテ様の誘いに乗ればよろしいのに、と言う話では無いと」

「全く別物だ」


 言いながら、エスピラはソルプレーサの様子を観察した。


 それ以上の意味は無い。やや親しい主従のそれそのもの。メルアに対する悪感情も、名門の妻にしておくには不適であるのではと考えているだけだろう。


 ただ、それでもソルプレーサはエスピラの意思を尊重してくれているし、シニストラは血縁と言うのもあってメルアを支持している側だ。


(身の振り方ね)


 メルアは、所謂『正しい』とされる名門の妻としての振る舞い方を知っている。知ってはいるが、その振る舞いをすることは無い。エスピラも強制するつもりは無いのだ。


 我儘放題もまた、それが許されるだけの家に生まれた証拠。加えて、ただ人に迷惑をかける我儘放題をするわけでは無い。トリアンフとの裁判など、常の我儘の様子が役立った時もある。ある種、エスピラの採れる策の幅を広めてくれるための我儘にも思えるのだ。


 それが他の女性にできるのか。


 否。


 そんな訳が無い。


 エスピラ・ウェラテヌスの妻はメルア・セルクラウス・ウェテリしかあり得ない。


「そう言えば、グライオからは何か連絡があったか?」


 ソルプレーサの観察を終えると、エスピラはゆるりと聞いた。


「一年任期の隙を突くようにマールバラが再びトュレムレ攻略の動きを見せているようです、と。マールバラの戦術は怪物と呼ぶのに相応しいものがありますが、戦略としては頑固な一面があるのではないかとも伝令が言っておりました」


「去年は制度上一年任期を守っているだけで実際は一昨年と変わらなかったからな」


 サジェッツァは執政官を親族に就かせて実質的に取り仕切っていた。マルテレスは前執政官に。ヌンツィオは副官と立場を交換しつつ、余計な混乱を生まないようにと軍団の指揮はヌンツィオ主導で。


 今年は、前者二人は執政官に戻り、ヌンツィオはエスピラと同じ法務官に戻っている。


「混乱が無い以上、マールバラも今のアレッシア軍に連続性があることを理解するでしょうが……。この時期にトュレムレに来るのは確認が目的でしょうか」


「アグリコーラ攻略戦に対して少しばかりの猶予が出来た、ということだろうな。裏切り者の持っていった情報が大して役に立たなかったのなら、必死になるのは想像に容易い。まあ、あの交渉下手が好転させたようには思えないけどな」


「そのフィガロット様に出し抜かれたこともお忘れなく」


 独裁官サジェッツァ・アスピデアウスの時に。軍団長補佐筆頭だったエスピラが直属の軍団長であるフィガロットを傀儡にしたはずだったのだ。その時にフィガロットとマールバラに繋がられたことを言われている。


 グエッラとサジェッツァの争い、平民と貴族の戦いがあったとはいえ。グエッラに情報をたくさん渡され過ぎて監視に手が回らなかったとはいえ。


「それは反省するべきだったな。だが、見下している奴に対してはあの男がまともな交渉を行えるとは思えない。まともな交渉を行えるのなら、婚約と引き換えにお前の妻を抱かせろなんて言わないだろ?」


 エスピラの右人差し指の第一関節が逆に曲がるのではないかというほどに机に押し付けられた。先は赤く、折れている所はとても白い。


「ジャンパオロは如何致しましょうか?」


 ソルプレーサが唇をほとんど動かさず、顔を近づけて来た。音は風にすら消えそうである。

 エスピラは押し付ける力を抜いた。指先は机からは離れておらず、目も指先にあるが色は正常へ戻っている。


「フィガロットとジャンパオロは関係無い。軍団長補佐から外したのは力量の問題だ。家門のことは一切関係が無い。ジャンパオロよりもファリチェやリャトリーチ、フィルムの方が適していると見えただけ。こっちの方が残酷だったか」


 最後だけはソルプレーサと目を合わせて、エスピラは穏やかに言った。


「渡した先がイフェメラ様と言うのが残酷さを強調しているかと」


 年齢的にも性格的にも、だろう。


 ナレティクスがエスピラに失礼なことをしたのは周知の事実になりつつある。どこから漏れたかは分からないが、言ってきたのは晩餐会の席である以上は知っている者は多くてもおかしくは無いのだ。


 その結果と、エスピラが他の建国五門に対するよりも冷たく見える態度をナレティクスに取れば、広がるのも無理は無い。


「だから上にアルモニアをつけている」


 上手く間を取り持ってもらうために。


「そのアルモニア様ですが、命令系統の確立など東方方面軍の準備が完了したようです。伝令は早ければ明日にでも到着するでしょう」


「アカンティオン同盟は?」


「先に旧ディラドグマ付近に集結し始めているようです。下手をすれば、カナロイアやドーリスを待たずにアルモニア様と共同でトゥンペロイを攻めようとするでしょう」


 エスピラは舌打ちしそうになったのを堪えた。


 カナロイアやドーリスの準備が遅いのでは無い。アカンティオン同盟が早いのだ。

 だが、それはそれとして、カナロイアやドーリスとしてはアレッシア軍も同じ軍事行動に参加したと言うことにしたいのだろう。


「あくまでも、軍事命令権保有者は私であるとアルモニアに伝えておこう」

「意図を理解してくれますかね」


「アカンティオン同盟にはそう伝えておくように、と付け足そう」

「それがよろしいかと」


 ふう、とエスピラは溜息を吐いて外を見た。

 大分陽が傾き、夜番の者以外は床に就き始めているようである。


「アルモニアからの伝令が到着次第、ディティキに居を移す。受け入れ準備などは任せて良いか?」


「幾つか、エスピラ様にお手伝いいただくことになるとは思いますが」


「構わんよ。カナロイアに駐留するために踏んだ手続きと似ているから、心配していないけどね」


 言って、エスピラは席を立った。


 流石に寝る。そう言う意思表示をソルプレーサは正しく読み取ってくれたらしく、以降は仕事の話は一切出てこなかった。


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