それぞれの特技
エスピラは、アキナケス(刃渡り四十センチほどの突きにも使える両刃の短剣)をラクダの皮に包み、庭に埋めた。しっかりと隠れるようには掘るが、雨でも降れば露出するように調整する。音の立ちかねない作業ではあるが、染みついた動作なれば問題無い。
誰にも感づかれることなく作業を終えたエスピラは、音も無くその場を後にした。夜の闇に紛れて進み、街の外に出る。
まだまだ冷気の残る中で、自身から血の香りが漂わないかを確認してから山の中へ。目を閉じても歩けると言っても過言ではないほど確認した道だ。星明りが照らすこの夜では問題なく進むことが出来た。歩くのも苦ではない。訓練で散々兵に課しているのだ。
軍事命令権保有者が出来なくては、ついて行けなくては本当に意味が無い。
「貴族の誇りか」
神々に誓いを立てている。父祖も尊敬している。血を誇ったことは一度や二度では無い。
が、なるほど。イフェメラが誇りに殉じることを馬鹿にしてもヴィンドほど怒りがわかなかったのは、納得がいった。
同時に、そうはならないようにと子供たちに願う。誇りはあってしかるべきだ。ウェラテヌスに生まれたのなら、まっとうすべき使命がある。
「だが、本当に。誇りを守るためだけに死ねば意味は無いな」
最後に呟けば、空が白み始めた。
エスピラは足を速め、静かに行商人のたまり場を脱する。朝一と言うこともあり、より警戒を強めて、一気に。
不眠不休を貫いて歩き続ければ、夕方にはアレッシアが領有する簡易砦にたどり着いた。
「お疲れ様です」
執務室についてすぐにソルプレーサがパピルス紙を片手にやってくる。
「本当にそう思っているのなら、少しは休ませてくれないか?」
「頭が自ら胴体から離れる決断をしたのはエスピラ様ですから」
エスピラは口をゆがめ肩をすくめたが、ソルプレーサは容赦なく紙を目の前に置いてきた。
少し見つめ合い、渋々とエスピラは紙に手を伸ばす。
内容はアレッシアからの報告。怪死事件。今度はサジェッツァの腹心になりつつあるサルトゥーラ・カッサリアの弟が死んだと言うモノ。
「アスピデアウス関連からは二人目。本当に、本腰を入れるようです」
「リロウスから二人、アスピデアウスから一人、カッサリアから一人。メントレー様は本当に違うんだよな?」
報告を読み進めながら、エスピラはソルプレーサに問う。
「メントレー様は体調がすぐれないことや緑のオーラ使いを派遣しても良くならなかったことが報告されておりますので。最後は家にいることが多かったそうです。動いても、元老院と行き来するだけ。ハフモニが暗殺に入る余地はほとんど無かったかと」
そこまで簡単には入れるのであれば、ハフモニはもっと早く仕掛けているだろうとエスピラは思っている。
第一、この暗殺で得するのは誰なのか。何が利益となったのか。
前者についてはアスピデアウスの政権掌握を快く思っていない者。後者に関しては、アレッシアの制度に従って自身は何年も連続で高官に就くことはしないが、親類の者を就けて実質的に権力を握ることをできなくさせたこと。そして、暗殺者が居るとすれば、暗殺者のことをサジェッツァなどに話にくいことだ。
「リロウスの孫は、やたらと私に媚びてきていたな」
「まあ、エスピラ様が名前を呼ばないくらいには」
最高神祇官アネージモ・リロウス。
彼にはエスピラの中では確固たる事実であるが、ウェラテヌスに対してスパイを送り込んだ疑惑がある。貴族として、名門として、あまり舐められ続けるわけにもいかないエスピラは一時的にアネージモから最高神祇官の権力を奪うことに成功したのだが、歳が比較的近い孫はそれに恐れをなしたようなのだ。恐れをなしたのではなく、ただのご機嫌取りかも知れない。
どちらにせよ、同じ一門とは思えない行動をしていたのである。
「リロウスはエスピラ様。サルトゥーラはサジェッツァ様。そう考えますと、裏で手を引いていそうなのは」
「私に近い者ならばリロウスはウェラテヌスにとって良き存在ではないことは知っている」
エスピラは、ソルプレーサの言葉を途中で区切った。
ソルプレーサの目がエスピラを窺ってくる。
「もちろん、私は命令などしていない。する理由が無い」
「失礼いたしました。私も、エスピラ様が命令されるならば私かシニストラ様に排除命令を下すと思ってはおりますが、念のために、と。マシディリ様が『オプティアの書』の管理委員に任命されたことにも苦言を呈した方が名前だけとは言えクイリッタ様も後任として管理委員になることを良しとはしないでしょうから」
ソルプレーサが慇懃に頭を下げた。
「私で無かったら立場が危うかったぞ」
エスピラは笑って返す。
「エスピラ様でなければ言っていません。管理委員なんぞを経験しなければならないなんて貴族も大変だなとも、ええ、言いませんとも」
ソルプレーサも軽い調子に変えて頭を上げた。
そのまま、ソルプレーサが目を細める。
「しかし、少々危険な考え方を持つ、頭の切れるウェラテヌスの協力者がいる、ということでしょうか。エスピラ様に権力の中心に座って欲しいと思っての行動だとしても、些か危険に思えます。本当に彼らが暗殺されたのであれば、特定を急ぐ必要があるかと思いますが」
頭が良く、危険な思想あるいは制御の効かない性格であり、ウェラテヌスの内情を知っていて、暗殺の可能性がにおわされる程度、基本的には自然死と処理される殺し方ができる。
と、なると。
「特定は、しなくて良い」
「エスピラ様。それは、どういうおつもりで?」
「するな。と言ったんだ」
ソルプレーサを拒絶するようにエスピラは言った。
目は再び報告書に下ろし、全てを読み下す。
「これは命令だ」
内容を頭に入れながら、エスピラは最後の駄目押しを行った。肌身離さず持っている処刑された者のリストも思い浮かべる。
(どのパターンにも当てはまらないはずだ)
そう思考している間に、ソルプレーサが半歩離れた気配がする。腰から頭が下がった気配も。
「かしこまりました」
それ以上は、何も言わない。その方が良いと判断したようだ。
「エスピラ様。サジェッツァ様から手紙が届いております。それと、カナロイアやマフソレイオからも届いておりました。他のエリポス諸都市からは手紙では無く人が来ております」
エスピラが紙を置いてから、ソルプレーサが畳みかけるように言って奴隷を呼んだ。
奴隷が一人、紙を手に入ってくる。
「多いな」
受け取って、エスピラは奴隷を下がらせた。
「下の者に任せるべき行動を上の者が行ったためです。他ならぬエスピラ様ご自身のせいかと」
「それは困った。今度は簡単な言葉だけを教えて、人を送るとしよう」
「反省しているように見えますが、元からその予定でしたよね?」
ソルプレーサの言葉に、エスピラは眉を上げて小さく首を傾けると言う行為で返事をした。
ソルプレーサがため息を吐く。
「エスピラ様にアレッシアを良くしたいと言う思いがあるのなら、そのことだけは弁えますように」
「分かっているよ、ソルプレーサ。今回はあくまで特例だ」
「特例だからと最初で許してしまえば後々もなあなあですまされてしまいます」
「分かった分かった。今後二月は必ず君かシニストラが近くにいる状態を保つよ。それで、ひと先ずは手を打ってくれないか?」
「『ひとまず』『とりあえずは』そう言うことにしておきましょう」
厳しいなあ、と苦笑しながら、エスピラはサジェッツァからの手紙に目を通した。
ソルプレーサが何かを取り出した気配がする。揺らさず、丁寧に持っているようなことも分かった。
「エスピラ様。それと、マシディリ様からも手紙が届いております」
「それを早く言え」
エスピラは親友からの手紙を投げすてるようにして、愛息からの手紙に手を伸ばした。




