農奴の足を舐める様こそお似合いだ
「メガロバシラスが傭兵を集めているようです。出所は、マルハイマナ東方。名目はマルハイマナの支配によって逃げ出した者を傭兵として食い扶持を与えただけ。
まあ、十中八九、マルハイマナからの支援でしょう」
今年も出席出来た宗教会議の休憩時間。
ソルプレーサが、エスピラにそう耳打ちしてきた。
去年はエスピラとシニストラだけの参加であったが、今年はアルモニアとソルプレーサも参加者として加わっている。
建国五門の者や他の貴族を入れなかったのは、エスピラもアレッシア国内での政争を睨まざるを得なくなってきたからでもある。
「数は?」
「正規兵と合わせれば三万に到達するかと。噂と物資の配置から、恐らく北方、東方、西方と三正面攻撃を仕掛けるつもりだと思われます」
再び同盟に成功したとはいえ、トーハ族は戦わないだろうとエスピラは思っている。
だから、北方に割いたとしてもにらみ合いなだけ。アレッシアが有利になれば東方か西方に味方してくる。となると、アリオバルザネスはアレッシアに当たるはずだ。
「マルハイマナからの支援は、一万強と言ったところか」
「はい。東方部隊と西方部隊に入れられることになるでしょう」
「東方が精鋭で王が率い、西方はアリオバルザネスが上手くまとめ上げてやってくる。北方は誰かは知らんが、どうせ戦わない。そんなところか?」
「そこまでは。何とも」
ふうむ、とエスピラはエリポス風の正装に皺をよせながら壁に寄りかかった。
正直、早くに脱ぎたい服ではある。送り主がディミテラの名を冠したアグネテなのも相まって。だが、この服もまたエリポス諸都市に対して有効なアピールになるのなら着こなす必要もあるのだ。
「そうか。しかし、またマルハイマナか」
トゥンペロイに入ったのと言い、今回劣勢のメガロバシラスに肩入れしたのと言い。
(どのみち、マルハイマナは自身の内にある潜在的な反乱勢力を削りつつ、アレッシアともメガロバシラスとも誼を結び続ける気か)
両国にマルハイマナに攻め込んでくる力は無い、と見ての行動だ。
相手はマフソレイオだけ。マフソレイオの両陛下はまだ若い。アレッシアと繋がっているが、アレッシアからマフソレイオへは兵も物資も送れない。
それならば、と。
「随分と私を虚仮にしてくれるな、エレンホイネス。貴様は農奴の足を舐める様こそお似合いだ」
低い声と冷たい瞳で、エスピラは自身の中のエレンホイネスの括りを移動させた。
「如何するおつもりで?」
一切動じなかったソルプレーサが聞いてくる。
「アレッシアは約束は守るさ。攻め込みはしないよ。だが、アカンティオン同盟はどう思うかな。
なるほど。マルハイマナは確かにメガロバシラスからの派生国。エリポスに近いとも言えるが、エリポスに無い国家は野蛮な国として見ているのがエリポス人だ。しかもマルハイマナの領域はその昔、エリポスを征服しようとした結果エリポス諸都市の大同盟を招いた帝国のあった場所。
同じように帝国によるエリポスの蹂躙を招こうとしている国家を許すかな? 約束の本質はマルハイマナからの介入を防ぐものだと言うのに破った者達を、エリポス諸都市は許すかな?」
「エスピラ様が騙くらかしてエリポス諸都市を動かす、の間違いではないのですか?」
ソルプレーサが左の口角を上げて小さく笑った。
エスピラは心外だと言わんばかりに眉を上げる。
「流石に、王族の子弟を強制的に遊学させるのはやりすぎたな。しかも遊学していないと後継に認めない、と言っているようなものだろ? アカンティオン同盟のように何でも良いから鬱憤を晴らしたいなんて思っている者達もいる。
アカンティオン同盟は集められて五千ぐらいか。マルハイマナとの戦い、エリポス圏外からの侵略からエリポスを守る戦いだと宣えばドーリスやカナロイアも兵を出さざるを得ない。相手はトゥンペロイ。マルハイマナから人を引き込んでいる元凶」
本気では思っていないが。
トゥンペロイはただの道路だとは理解している。それは、もしかしたらエリポス諸都市もそうかも知れない。
だが、関係ないのだ。メガロバシラスに煮え湯を飲まされ続けてきた共同体としては、メガロバシラスに近いモノを殴れるだけでも満足する。エリポスの覇権を再び握りたい者も影響力を得られる戦いならば参加したいと思うはずなのだ。
「美味しい所を上げるとは、まるで餌付けですね」
ソルプレーサが言った。エリポスに蔑まされてきたアレッシア人が聞けば、笑いはしただろう。
「分かっていても嬉しいものさ。トゥンペロイの兵力は削れ、食糧を買い付けることはできずに弱り切っている。その上壁は破壊済み。諸国はアレッシア人奴隷を解放したせいで人手も不足しているからな。奴隷の獲得は逆らい難い誘惑だろう?」
本当はマルハイマナ人を奴隷として獲得し、アレッシアのために動いた者達にその貢献順に分配する。そんな計画も思い描いていたのだが、マルハイマナに攻め込めるようになるまでに時間がかかりすぎるため取りやめたのだ。
「メガロバシラスが三正面を計画しているのであれば、こちらも三正面で対抗する、ということですか?」
シニストラが聞いてくる。
「三正面は三正面だが、きっとシニストラが思っているのとは違うぞ」
エスピラは言って、少し離れた場所に立っていたアルモニアを手招きした。
アルモニアが一度目を動かしてから近づいてくる。
「エリポス諸都市は積極的なアカンティオン同盟と再びの覇権を狙うドーリス、カナロイアが有力だろう。数は一万ほどか。が、奴らをアレッシア軍の戦力とするつもりは微塵も無い。所詮は他国。アレッシアの戦争には関係が無い。
とは言え、だ。メガロバシラスと交戦されてややこしくなるのも面倒だ。そこで、アルモニアを大将に軍団を預ける。元老院から許可はもらえるはずだ。
頼んでも良いな?」
「かしこまりました」
アルモニアが頭を下げた。
「エスピラ様は?」
とシニストラ。
「私はディティキの方へ移動する。アレッシアとの連絡が近くなるのと、要塞群があるからな。兵器開発の情報が私中心になっている以上、軍団の数を減らして受け止めるのは私の方が良いだろう?
シニストラ、ソルプレーサ、カウヴァッロ、ネーレ。それと歩兵第三列を含む五千弱で西方を。残りの九千弱で東方を。そう言う算段だ」
「もしや、アレッシアから援軍が来るのですか?」
聞いてきたのはアルモニア。
兵力差がありすぎるから、というのもあるだろう。
「いや。相変わらず本国からの支援は無いさ。だが、マルハイマナの東方諸部族から傭兵を雇ったが故に使える策も増えた。心配は要らないよ」
言って、シニストラに目をやる。
「それから、宗教会議が終わり次第、私自ら偵察に入る。シニストラには私の存在の偽証を頼みたいが、良いか?」
「構いませんが、エスピラ様が戦場偵察では無く自ら潜入されるのは如何なものかと……」
「私以上に言語からどの部族が来ているのか分かる者が居るのであれば構わないが、そうはいかないだろ?」
エスピラの言葉に、渋々と言った様子でぎこちなくシニストラが頷いた。
エスピラの耳が早足で動く幾つかの人を捉える。時間的にも、おそらくそろそろ会議が再開される、という話を奴隷が伝えに回り始めたのだろう。
「三年目だ。丁度良い。マルハイマナとの共同も無理だと悟らせ、講和と行こうじゃないか」
郎、とした声で言い、エスピラは奴隷を出迎えるべく壁から体を起こした。
三年目。再び法務官に戻る年。
昨年のネーレ、一昨年のソルプレーサと名ばかりとは言え護民官に影響力を持ち続けた上にメガロバシラスの討伐記を平民向けに送り続けたエスピラは、四年前のグエッラのように平民から元老院に影響力を持てるようになっていた。
その力をフルに活用し、自身の軍団の人事に無理を通す。
まずは、特別軍団長としてトュレムレに派遣したグライオに軍団長クラスの権限を付与。
空いた軍団長補佐筆頭にはまだまだ若いイフェメラを。そのイフェメラの補佐に建国五門の一つであるナレティクスからジャンパオロ。経験が豊富だとしてフィエロを着ける。
そして空いた軍団長補佐の三席にはリャトリーチ・ラビヌリ。ファリチェ・クルメルト、フィルム・タンブラを任命させた。足りない実績は彼らを造営官や按擦官に任命させて補う。かなり強引ではあるが、リャトリーチはエリポスの地理を知り、正確な情報のやり取りをディファ・マルティーマとエスピラ間で成立させた功が。ファリチェはエスピラの横で学び続け、エリポスの歴史ある国家アフロポリネイオとの交渉を続けた実績が。フィルムにはマルハイマナとのやり取りを一任し、成功させたと言う、補佐の位置から降りた二名よりも大きな成果がある。
そのことを、エスピラは自伝でアレッシアの民に伝えてあるのだ。
エスピラは、自身の思惑を到達しやすい人選にするとともに、一年目に宣言した通り、『実力を知れば重く用いる』ということをやったのである。忠誠を深めることに成功したのである。
最後の三年目。
その年は、エスピラが長々とメルアに手紙を書いた後、潜入のために一時的に姿を消す形で始まったのだった。




