敗戦
「被害は?」
「私の隊は、二人、亡くなってしまいました」
炎の壁が障壁とはなっていたが、トゥンペロイの民は一部が逃げ出したらしい。
その確認をしつつ部隊をまとめながら、エスピラはまたしても訃報を受け取ってしまった。
「そうか」
ぽつり、と小さく溢し、数秒あく。
「遺体は、回収できたか?」
「はい」
「まだ埋めないでくれ。必ず、最後の別れを告げに行く」
「かしこまりました」
そして、部隊長が離れていった。
「百人では収まらないでしょう」
変わりにと言うべきか、ソルプレーサが小さく言った。
エスピラは奥歯を噛み締め、表情が崩れないようにしてからようやく口を開く。
「悲しいが、三百に届いてしまうかも知れないな」
「不幸中の幸いはメガロバシラスも疲れ果てたことでしょうか。流石に、今日明日会戦を開くには遠い所に陣を張っております」
「そうだな」
溜息を吐く間もなく、また別の部隊長がやってきた。死者は三人。ただ、予断を許さない者は五人もいる。白のオーラ使いも漏れなく疲れ果てていると言うのに。
部隊長からの報告を受け取り、返した後、エスピラは天を仰いだ。
手は腰のあたりで動くだけで、何も見つけられはしない。
「お探し物はこれですか?」
ソルプレーサが山羊の膀胱を挙げた。
「ああ、それだ」
受け取り、中身を嚥下する。
香りの感じられないリンゴ酒がずるりと喉を焼いて降りて行った。
全く、酔える気配がしない。広がるのは血と臓物の香り。焼けた匂い。聞こえるのはうめき声と荒い息。
「此度の戦いは勝利だった。私だけは、そう振る舞わないといけない。それが務めだ」
自分に言い聞かせるように、エスピラは吐き捨てた。
「おっしゃる通りです」
ソルプレーサが言う。
「ヴィンドとルカッチャーノの引き抜き、良く決断してくれた」
「元から木の杭に鎧を括り付け始めておりました。褒めるなら、その決断を下していたお二人を」
「ああ。分かった。思い切った牽制も感謝する。本当に助かった」
「無茶をするのはエスピラ様の特徴ですから。そのことを学んだのも、何が勝利かを考えられるようになっているのかも。エスピラ様の功績と言えるでしょう」
「二度も失敗を踏んだがな」
最初にトゥンペロイの攻略に出発するまでに時間がかかってしまったのも。
今回、完全にアリオバルザネスに行動が読まれたのも。
「相手に恵まれなければ生涯無敗はあり得ません。それに、今回はエスピラ様に非は無いかと」
「本当にそう思うか?」
「失敗と論ずるなど結果論そのもの。作戦を選んだのは確固たる理由があり、落ち度はありません。それに、エスピラ様は生きております。トゥンペロイ救援にアリオバルザネスは失敗し、有利な戦場も放棄せざるを得ませんでした」
「そうだな」
ふう、とエスピラは大きく息を吐いた。
「しいて言うなら、意外とうじうじなされるのは大失敗かと」
「厳しいことを言ってくれる」
「それが役目ですので」
ソルプレーサが淡々と言いながら目を閉じた。
二秒ほどのち、目が開く。
「清々しいほどに命に価値をつけているのです。正直、その調子で割り切ってしまっては? などとも思いはしますが、言いませんよ?」
「言っているぞ」
はあ、とため息をついて、エスピラは前髪をかきあげた。
砂のざらつく感触と、汗のべたつきが手に襲い掛かる。不快だが、今はたいして気になりもしない。
今、近くに居るのはソルプレーサのみ。他の者はせわしなく動き回っていたり、どっかりと座り込んでいたり。
共通するのは明るい表情では無い、というところだけ。
「ディティキから艦隊を呼ぶつもりだ」
ぼそり、とソルプレーサにだけ聞こえる声でエスピラは呟いた。
「兵はおりませんが?」
ソルプレーサもエスピラに声の大きさを合わせてくる。
「余剰戦力がどれほどあるか、アレッシア本国から本当に援軍が無いかなんてのは向こうは正確には分からないはずだ。それに、アリオバルザネスは違っても王はビビりだ。ビュザノンテンは良港があり、前と違って今は幾らでも滞在させておける。
さぞ嫌だろうなあ。主力が欠けた隙に海上戦力が上陸し、ディティキからも攻め込む様子が見られ、トーハ族が再び動き出す様は」
「そちらが目的でしたか」
「ああ。血入りの馬乳酒でも今度は送ってやるよ」
馬乳酒はトーハ族が良く飲む物。
血を混ぜるのは、一大決戦に臨むときにトーハ族の族長の力を他の者に宿すと言う名目で行われるゲン担ぎの儀式。
「不味いと言われるかもしれませんよ?」
「トーハ族の中でも味が違うんだ。私のとこの味に文句は言わせんよ」
言い切って、エスピラは不敵な笑みを作り上げた。
ソルプレーサが茶化すような口笛を小さく吹く。
「それから、アカンティオン同盟にも噂を流してもらおう。というよりも、民の声の形成か」
「アルモニア様の管轄なのでは?」
「だからこそ、だ。アルモニアがそんなことをする可能性は低いし、わざわざナンバーツーにしているアルモニアに干渉するのも危険度が高すぎると思うはずだ。まあ、鋭い者が見抜いたとしても王が信じればそれで良い」
ソルプレーサが目を上に動かし、戻した。
「何と?」
「メガロバシラスの王は戦える者を用いるのが遅れ、しかも一人しかいない。自分では何もできないくせに自分で何でもしたがる。アレッシアに勝てないのに威張るのだけは上手い。しかも、アレッシアはエスピラよりも戦上手だっているのに、この調子ではすぐにメガロバシラスの勝ち目は無くなる、とね」
「少々改造しても?」
「もちろんだ。急場しのぎならばメガロバシラスにつく者の気持ちも分かるが、将来を見据えれば勝てなくなる、とかも入れて良いぞ」
もちろん、それ以外もエスピラは許可している。
「かしこまりました」
ソルプレーサが小さな声で言った。
エスピラは頼んだぞと肩を叩いて、のったりとソルプレーサから離れる。
「私は、これから犠牲者と勝利に捧げる演説をしなければな」
それも、軍事命令権保有者の務めだから。
エスピラの演説後、アレッシア軍は本当にトゥンペロイに火を放った。夜に放たれた炎は街を焼き切ることは無かったがさらに奥に閉じ込めることには成功したのである。
その夜のうちにメガロバシラス軍が動くことは無く。翌日早朝には騎兵だけを連れたカリトンがメガロバシラス軍と同じ経路を使って合流した。ますます動きにくくなったメガロバシラス軍を威圧しながら、アレッシア軍もトゥンペロイの包囲を解く。メガロバシラス軍と合流しようと思えば妨害もできる位置に。そして、次の日の昼にはシニストラが合流した。メガロバシラス軍も陣の位置を変えたが、あくまでもアレッシア軍を刺激しないように。かつ、トゥンペロイには救援だと分かるような場所へ。
騎兵と軽装歩兵を連れたカウヴァッロがエスピラらと同じ経路で合流したのは同じ日の夜。
アルモニアら最後の分遣隊が合流したのは、それから十日以上後。ディファ・マルティーマに居た艦隊が出航してからのことであった。
メガロバシラス軍とトゥンペロイ軍で救援になっているのかなっていないのかの悶着がありはしたが、騒動があったのはアレッシア軍も同じこと。囮部隊が職務怠慢だったとなじる者も出たのだ。筆頭はイフェメラ。
なるほど。エスピラも、話を聞けば囮部隊にできることもあったと思った。
囮部隊の内、シニストラは大軍だった時に直ぐに多くの軍団を動かせることを示すために山中へ。カリトンはメガロバシラスから隠れるように陣を移し、同じく山への配置。
残る者達は川岸で大軍を装うように炊事の煙やらを立て、引きこもっていた。
悪い話では無い。下手に動いて少数だと見破られるよりは引きこもっていた方が露見しにくいと言う利点はある。相手を評価すればその行動も納得のものだ。
ただ、渡河地点を探っているフリをする。船を用意してみる。先触れの出陣準備をしてみる。
そう言った手を取ることもまた出来たはずなのだ。
だが、エスピラは同時に自分の落ち度だとも思っている。
アルモニアは軍事が得意ではない。ジュラメントは自ら攻める姿勢を見せないのは知っていたはず。ジャンパオロは此処まで目立ったことは無く、カウヴァッロは確かにそう言う作戦を取れるが自己主張が強いタイプでは無い。アルモニア、ジュラメント、そして建国五門の一つと居れば押し通すことはしなかっただろう。
今考えれば、ではあるが、ルカッチャーノかヴィンドのどちらかを残しておけば結果は変わっていたかも知れないのだ。
とは言え、後悔しても過去には戻れず、時は進み続ける。
艦隊の移動と噂によって雪を待つまでも無くメガロバシラスから講和の使者が来た。
交渉の末、アレッシア側は艦隊のディファ・マルティーマへの帰還。トゥンペロイからの撤退を支払うことになり、メガロバシラス自体からはアリオバルザネスの撤退のみ。しかし、トゥンペロイに詰めかけたマルハイマナの私兵こそが今回の引き金と共に責任を転嫁し、彼らの首を狩ること、それをアレッシア軍が行うこと。以降同じことが起きないようにトゥンペロイが傭兵を養えるだけの金額を保持しないこと。即ち、アレッシア軍に財を差し出すことを条件として講和を為したのであった。
人も食糧も無事なのだ。壁が壊れ、冬を前に家を失ったトゥンペロイも否とは言えない。例え首を狩る範囲がマルハイマナの兵だけでは無くトゥンペロイの兵士もいたとしても、アレッシアは判断がつかないのだから仕方ない。
こうして、エスピラは戦術的には負けに等しかった戦いを何とか戦略的には勝ちに近い成果に結びつけ、ビュザノンテンに帰還したのだった。




