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魔性の触手

 時折阻まれつつも家族の話を一応の満足が行くまで話したエスピラは、その調子を一転させ、どんどん足取りを重くしながらカナロイアの宮殿を歩いていた。


 向かう先は、待たせている形になっているアグネテの元。正確には、娘ディミテラ。ダシにしてきた以上はディミテラで良いかと思っての結論である。


 そんな中、ふと、エスピラの足が止まった。

 気配が四つ。足音も四つ。場所は隠れるところもままある宮殿。敵意は無し。


「何かあったのか?」


 エスピラは、優しく通る声で問いかけた。

 少しの間。音の無いざわつき。そして、衣擦れの音。


 ぽん、と二人。ジュラメントとヴィンドが追い出されるように出て来た。えへへ、とジュラメントが所在なさげに笑い、ヴィンドが小さく頭を何度か下げる。


「他にもいるだろう?」


 足をかけられたかのように物陰から出てきたのはイフェメラ。

 目を泳がせ、口笛を吹き始める。


「もう一人いるはずだ」


 エスピラは、少し楽しそうに問いかけた。

 もぞもぞと、匍匐前進でカウヴァッロが出てくる。


「良く分かりましたね」


 なんて、カウヴァッロは表情を変えずに言ってきた。


「遊びか訓練かは分からないが、私にばれないように尾けてきたいのならせめて宮殿はやめるように」


「あはは」とか「すみません」とか「気を付けます」などと最初の三人は思い思いに誤魔化すように笑ってきた。


「アグネテなる女性が大層な美女だと聞き及び、是非とも見てみたいと四人で盛り上がっておりました」


 そんな中で、カウヴァッロが正直に告げて来た。


 他の三人が慌ててカウヴァッロの口を塞ごうとするも、時すでに遅し。

 エスピラの耳にもばっちりと届いている。


「じゃあ一緒に来ると良い」


「え!」

 と叫んだのはジュラメント。


「良いのですか!」

 と目を輝かせたのはイフェメラ。


「エスピラ様の愛人なのでは?」

 どこか窺うように言ってきたのがヴィンド。


 何も変わらないのがカウヴァッロだ。


「その話は、信頼できる者が言ったのか?」


 四人の目がそれぞれを見回した。口は開かない。


「大方噂だろう。噂に耳を傾けるのは大事だが、振り回されてはいけないよ」


 エスピラは四人を呼び寄せると、再び歩き始めた。


「でも、お似合いだと皆言っていますよ。アグネテ様は子供も産めますし、ばっちりじゃないかと」


 ジュラメントが言う。


「エリポス人美女の愛人って、最高の称号じゃないですか」

 とはイフェメラ。


「気持ちだけ受け取っておくよ。何より、この話は単純な好悪、恋愛話では無いからね。愛人の話なのに、本質は婚姻と同じなのさ」


 エスピラは二人の言葉を直接は否定しないように気を付けた。


「アレッシアの武力を欲しているシズマンディイコウス様とビュザノンテン周辺を統治するにあたって権威が欲しいアレッシアの思惑が合致する、という話ですか?」


「その通りだよ、ヴィンド。厄介なことにね」

「つまり、セルクラウスを相当下に見ている、と言う話でしょうか」


 続くヴィンドの言葉にも、エスピラは肯定を示した。


 同時に、セルクラウスが下ならばアグネテにとってリロウスやティバリウス、あるいは建国五門の一つであるニベヌレスもと思ってもおかしくは無い。


「私が見初めたと言うことにして、猛烈にアプローチをかけてみましょうか」

「あ!」


 ヴィンドに対して叫んだイフェメラを、ジュラメントが違うと思う、と制していた。


「ウェラテヌスとニベヌレスは家格で言えば同格。近年の実績ではニベヌレスの方が上かも知れないが、その必要は無いよ。本当に愛人にしたいのなら止めないけどね。もちろん、誰がアグネテ様に声を掛けても」


 イフェメラ、ジュラメント、ヴィンドが互いの顔を見合わせた。カウヴァッロもその三人に見られてはいるが、カウヴァッロからは見ていない。


「痴情のもつれで喧嘩だけはやめてくれよ。君たちを処罰するのは痛すぎる」

「大丈夫です。愛人関係で三股四股は良く聞く話ですから」


 イフェメラとジュラメントの最年少かつ既婚者コンビの声が被った。


 ヴィンドはエスピラと目が合うと共に溜息を吐くように目を下げる。カウヴァッロは相変わらず何も変わらない。


「そもそも、カリヨ様と結婚しているのだから今度は譲れ」とイフェメラが言い、「家を説得できなかったそっちが悪い」とジュラメントが言う。二人の不毛な争いは小声になりながらも続き、「あ、蝶」などと言う抜けたカウヴァッロの声もたまに交ざる。


 そんな中、エスピラが「そろそろ着くぞ」と言えば全員の足並みがそろい、きっちりと外面を整えて来た。


 エスピラは奴隷に声を掛け、部屋の中に連絡を取ってもらう。それから扉が開いた。


「お久しぶりです、エスピラ様。会える日をいつかいつかと数えておりました」


 入室一番、アグネテが頭を下げた。

 娘であるディミテラも母親に倣って綺麗に頭を下げて来る。


「幾夜をも超える思い、誠にありがとうございます。ディミテラ様も私に会いたかったとのことで、お待たせして申し訳ございません」


 エスピラは酒宴用の笑みでアグネテに返し、ディミテラにはそれよりもややリラックスした笑みを向けた。


 ディミテラの目はエスピラを見た後、その後ろの人達に行く。母であるアグネテはほとんど後ろの四人には向いていない。


「アグネテ様。こちら、是非とも紹介したかった私の仲間達です。ディミテラ様が私にお会いしたかったように、彼らも一度で良いからアグネテ様にお会いしたかったと申しております」


「強き男達であるエスピラ様の配下の者にそう言っていただけるとは、光栄です」


 アグネテが丁寧な声音で丁寧に膝を軽く曲げた。

 意図は、眼中にない。あるいはエスピラ以下とみなしている心が少し透けたか。


 理解しつつも、エスピラは横にずれ、四人を前に出した。



「一番右がヴィンド・ニベヌレスです。ウェラテヌスと同じアレッシア建国五門の一つであり、祖父はアレッシアの至宝メントレー・ニベヌレス。祖父に劣らぬ才覚の片鱗を見せてくれております。


 次がジュラメント・ティバリウス。あまり良く無いとは思っているのですが、誰に任せるか困った時は、何であれ彼に任せておけば大丈夫だろうと言う私の甘えが彼に対してはあります。


 その隣がイフェメラ・イロリウス。先の戦いに於いてメガロバシラスに最も打撃を与えた部隊を指揮していた者です。その戦場での才覚、物事の吸収速度。彼の場合は執政官になれるかどうかでは無く、何度なれるか、でしょう。


 一番左がカウヴァッロ・グンクエス。アレッシア人で彼以上に馬を操ることに長けた人物を探すのは少々難しいことだと思います。戦闘センスも抜群で、特に退き時が上手く、少数部隊を任せるとすれば彼が一番手でしょう。


 皆、私より若く将来有望な者です」


「エスピラ様もまだ二十八。将来有望な若者でしょう?」


 アグネテがふわりと笑った。


 カウヴァッロ以外の三人の耳に朱色が走る。

 アグネテの見向きもしないと言うような意図の発言を、すっかり忘れてしまったように目も釘付けになっているようだ。


「そうでしたね。子供が七人もいると、つい自分が年老いてしまった気がいたします」


 笑いながら、エスピラは左手を閉じてディミテラの前に出し、ぱっと開いて花の刺繍が入った絹を披露した。

 ディミテラの顔がほころぶ。


「まあ、まずは会いたがっていた者同士で、という話で如何でしょうか?」


 言いつつも顔を向けた先は尾行四人衆。


 エスピラからの後押しだと受け取ったのか、ジュラメントとイフェメラがまずは会話を始め、ヴィンドと続き、カウヴァッロは少し離れた位置で果物を見繕い始める。


「アレッシアでの遊びなのでやったことがあるかは分かりませんが、布遊びでもいたしましょうか?」

 と、エスピラはディミテラに声を掛け、にぎやかになった場所から少し離れたのだった。


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