厄介事
「エスピラ様」
部屋の中で待っていたのはマフソレイオの国王イェステス。
両腕の黄金の腕輪を三本ずつつけ、首飾りも紋様こそないものの幾つもの金を繋ぎ合わせたものであるために重そうである。
「お久ぶりです。イェステス様」
エスピラは慇懃に腰を曲げた。
「そこまで丁寧にされなくても。私たち兄弟にとってエスピラ様は最早親族。長兄であり父のようなもの。気の置けない者しかいない場ではもっと楽にしてください」
その言葉に、エスピラは頭を下げたままカクラティスの方を窺った。
揺れは無い。動きも無い。
ただ、否定も無い。
あまり長くも下げていられないので、エスピラは顔を上げた。
「お心遣い、痛みいります」
「異国の地ではございますが、いつも通りで大丈夫ですよ」
言いながら、イェステスが近づいてきてエスピラの右手を両手で取った。
二度、三度と強く握りしめながら上下させて、共に机の方に行く。椅子は、本来なら寝っ転がるための寝台だ。
「それに、エスピラ様に丁寧にされてしまうと申し訳なくなってしまいます。その、重装歩兵ですが、百五十ほどならば養うことが出来るのですが、その数だけでどうにかなるものでも無く、マフソレイオでは引き取れないと」
先の戦いでメガロバシラスから捕虜にした、精鋭と思わしき重装歩兵たちのことだ。
マフソレイオに関してはこれまでの礼もあって無償での譲渡を提案していたが、おそらくズィミナソフィア四世に断られたのだろう。
「それこそお気になさらず。マフソレイオにはいつも支援でお世話になっておりますから。なあ、カクラティス」
「あまりいじめないでくれ。カナロイアも、地図に場所にと提供しているだろう? だいたい、エスピラの借金を代わりに払ったのは誰だと思っているんだ」
「代わりにカナロイアにお金を落としていくのだから、少しは良しとしてくれ」
笑っている内に、お茶が注がれ三人の前に置かれる。
「ソフィアは」
神妙な顔つきで、イェステスが切り出した。
エスピラもカクラティスも、黙ってイェステスを見る。
「アリオバルザネス将軍はアレッシアに例えるならばヌンツィオ様やオノフリオ様とも互角以上に戦える将軍だと評していました」
ヌンツィオは今は北方諸部族に対して一個軍団で抑えを果たしている。
インツィーアの戦いでマールバラに歴史的な大敗を喫した敗軍の将だが、実力は今のアレッシアの中では五本の指に入るだろう。
オノフリオは今は亡き人物。ただし、奴隷の軍団と言う最も統率の難しい軍団を駆使してハフモニ軍に勝利を挙げ続けていた、まごうこと無き高い能力を持つ人だ。
「実力は兎も角、似たタイプとしては稀代の怪物マールバラ・グラムが挙げられると」
そう言って、イェステスが口を閉じる。
処刑をエスピラに願う、というよりも口うるさいエリポスを黙らせ、アリオバルザネスを解放する前に処せるようにエリポス諸都市を説得してくれとカクラティスに暗に伝えているのだろう。
「マールバラと同じですか。それは面白い例えですね」
そのことを知ってか、エスピラよりも先にカクラティスが切り出す。
「彼の御仁は確かに戦場では最強。誰にでも兵を預けられるのであれば誰もがマールバラの名を挙げるでしょう。政治的に弱い、ということも判断にあってこそですけれどね」
言い終わると、カクラティスはお茶を口に運んだ。
エスピラも運び、カクラティスより早く下ろす。
「本国と有効な連携が取れず、折角の勝利を活かしきれていないマールバラと、本国に居ながらも王に意見が通らないアリオバルザネス、か。
言い得て妙ではあるが、これからは事情も変わるだろうな」
エスピラはカクラティスに言う体でイェステスへの説明を補足した。
もちろん、イェステスにそんなことが必要ない可能性も十分にある。
「何か、無いのですか?」
イェステスが言う。
「降兵では無く罪人として扱えと、メガロバシラスに忠義を尽くし続けている以上はアレッシア以外がアリオバルザネス将軍を受け取ることをエリポス諸都市は許可しないと思います。かと言って、あまりにもなこじつけで処刑してしまえば簡単に崩れ去るほどにアレッシアとエリポス諸都市の協力関係は希薄。もちろん、カナロイアやドーリス、ジャンドゥールのような強力な味方もおりますがね」
アフロポリネイオの名前はあえて外して。
アフロポリネイオと仲の良いマフソレイオの王の前であえて外して。
「それでは」
「引き延ばして罪状を探しても、結局は千名以上の食糧が無駄に減っていくだけ。正直、今のアレッシア軍にとってはこの捕虜たちはこの上なく重い枷にしかなっていません。解放せざるを得ないでしょう」
カルド島ではさっさと売りさばくことが出来た。
何故か。
それはハフモニ人や傭兵部隊であり、エリポスが買うことに全く抵抗が無かったからだ。
だが、メガロバシラスの民とそこに忠誠を尽くす者なら話は変わってくる。
「アカンティオン同盟なら、勝手に受け取って処刑してくれると思うけどね」
カクラティスがこともなげに言った。
イェステスの顔が少しだけ曇る。分かっている顔だ。
「あそこはやけにメガロバシラスを敵視している同盟群だからな。火種しか生まないところにあまり頼りたくはない。気が付けば崖まで背中を押され、共に落ちかねないからね。あの同盟群のことは、最も交渉事で頼りになるアルモニアに任せているぐらいだよ」
エスピラは、イェステスの表情を確認した後に言った。
「あまり話題にならないアルモニア・インフィアネか」
カクラティスが言いながら、お茶にドライフルーツを落とした。
口は動き続けている。
「貴婦人の間で最も話題になっているアレッシア人はエスピラ。次にシニストラ・アルグレヒト。三番目にグライオ・ベロルス。この二人は色々な噂もあってだけどね」
エスピラとそう言う関係だとか、メルアとだとか、マシディリの父親は実は、とか。
まあ、そんな気持ち良くは無い話ばかりだろうとは想像に難くない。
「それから下ってソルプレーサ・ラビヌリ、イフェメラ・イロリウス。少々のジュラメント・ティバリウス。副官なのに、まだ名前が出てこないとは、少々、可哀想にも感じてしまうよ」
「貴婦人の間では、だろ? カクラティス。アルモニアは食糧管理の手伝いや商人との交渉、それにアカンティオン同盟のような他の者には任せづらい交渉も担当しているんだ。政務に関わる者の間ではきちんと知られているはずさ」
エスピラは小さく笑いながらお茶を口に含んだ。
味を楽しみ、ゆっくりと嚥下する。その間に、カナロイアの者が一人部屋に入ってきた。
「タイリー・セルクラウスは副官だった君に多くを任せていたじゃないか」
新たに入ってきた者には見向きもせず、カクラティスが楽しそうに言ってくる。
「ほとんど自国領内の移動と最初から友好的な都市との交渉だったからね。今は異国。全く状況が違うよ」
「元老院議員が大幅に減ったと、有用な人材の多くが失われたと聞いてはおりましたが、それでもそれほどの人達を使えるとは。流石はアレッシアですね」
イェステスが純粋な声を上げ、尊敬の眼差しをエスピラに向けてくる。
(別に私が何かをしたわけでは無いのだが)
それでも、アレッシアが褒められるのは心地良い。
「でも、確かに人材は減っているんだ、エスピラ。アレッシアへの降伏が遅かった同盟諸都市の者もどんどん中枢に入っていっていると聞いているよ。もしもの時は、私やイェステス陛下のことを思い出してほしいな」
部屋に入る前の話にはイェステスも噛んでいるぞと匂わせながら。
ただ、エスピラはイェステスはその話を聞いても本気にはしていない可能性が高いなと思いながら。
「そうするよ」
とだけ言って、小さく二人に微笑みかけた。
会話の途切れ目と判断したのか、先程入ってきた者が近づいてくる。
「エスピラ様に、ご客人が来ております」
二人の視線がエスピラに来た。
「誰だ?」
「ビュザノンテンのアグネテだと言えば分かる、と」
ビュザノンテン近郊の有力者、シズマンディイコウスの娘のアグネテだろう。
「先約が入っている」
「娘が会いたがっている、と伝えて下さいともおっしゃっておりました」
「待たせておけ」
すげなく言って、エスピラは伝令に来た者に下がるように伝えた。
伝令が出て行く前にイェステスから興味津々とでも言うべき視線がやってくる。
「ビュザノンテンのアグネテ、と言えばシズマンディイコウス様の娘の、エリポスでも有数の美女のアグネテ様ですか?」
伝令が出て行った瞬間に、明らかに浮ついた声でイェステスが聞いてきた。
「だろうな」
と、エスピラは小さな声で返しておく。
「音に聞こえし美女じゃないですか。いやあ、流石はエスピラ様。愛人も格が違いますね。どうなんです? やっぱり、美しいですか?」
イェステスが突っ込んできた。
カクラティスも口は開かないが明らかに興味がありますと言わんばかりに耳を傾けている。
「子を産んだ実績があり、尻も大きく、肌も綺麗であり、畑仕事もできそうな肉体はしているな」
エスピラは渋面を作りながらお茶を飲んだ。
「乗り気ではないようですね。好みとは違うのですか?」
イェステスの声が落ち着く。
「まあ、そうかも知れないな」
「では、どのようなタイプが? 私が探して見せましょう!」
だが、落ち着いたのも一瞬で、イェステスがまた前のめりになった。
エスピラは左側をより強くする形で口を閉じたが、イェステスの若さ丸出しの好奇心に負け、その口をゆっくりと解錠する。
「噛みつき癖があって、ひっかいても来るし、気に入らないと気に入らない物を投げることもある。日中は寝台の上で寝っ転がっていることも多いが体型が変わることはほとんど無く、寝室に閉じこもっていることが多い癖に男から何故か人気があるんだ。線も細いのにな。まあ、でも、子供をたくさん産んだ実績があるから、余計に人気が出ていると言えるな」
イェステスの表情が固まった。
言葉が出てこないところを見ると、人では無く犬猫の話か? と思いつつも人だったらどうしようか、とでも悩んでいるようにも見える。
「その実、常に美容に気を遣っていて、あまり弱っている様を見せたがらない人だな」
人間だった、と言わんばかりにイェステスが小さく頷いた。
「りんごと白身魚が好きで、はちみつの消費も多い。我がままだが可愛く、どこか献身的な面もある。そんな女性が好みの女性だな」
「やけに具体的ですが、つまり、それは」
「陛下。そこまでにした方が良いですよ」
カクラティスがイェステスを止めた。
何故ですか、とイェステスが興味が尽きない顔でカクラティスを問い詰める。
「エスピラの妻自慢は、薪をくべ続けるかの如くとても長いからです」
そんなイェステスに、カクラティスは深い溜息で返していたのだった。




