見据える先にあるモノ
戦利品の確認と分配を終えた後、エスピラは追加で兵に臨時給金を支払った。
名目は労いのお金。目的は羽目を外し過ぎないように。
大成功とは言い難いが、一応は勝ち戦だ。それを無駄にするような愚を犯さないように、遊べるだけのお金を兵に配ったのである。これは、借金、もといカクラティスが払ってくれたオピーマの蔵の残りからだした。
そして、許可をもらってカナロイアの領域の端に仮の陣地を作る。二日間だけの突貫工事。そこを拠点に一応の身だしなみを整えさせ、それからカナロイアや周辺都市へ兵が遊びに行くことを許したのだ。
何故カナロイアか。
もちろん、近かったと言うのもある。
だが、エスピラ自身もカナロイアに用事があった、というのも大きい。
「カナロイアはエスピラに繋ぐための場所では無いのだけどね」
その用事によって渦中にされた人物。カクラティスが冗談めかして肩をすくめた。
「それは大変だ」
エスピラもおどけて肩をすくめ返す。
言葉をエリポス語に戻し、「随分と大きくなったなあ」とエスピラはカクラティスの息子を持ち上げた。
脇の下に手を入れ、エスピラの頭上へ。六歳になったばかりのカクラティスの息子フォマルハウトは、嬉しそうに顔をほころばせている。
エスピラは、何度か急降下と急上昇を繰り返して遊んだ後、フォマルハウトを黒髪黒目の妃に返した。
母親の元に戻ったフォマルハウトは、しかしもう子供じゃないと反抗するかのように母親の腕から脱し、仁王立ちになる。
「もうそんな年頃か。早いなあ」
言いながら、エスピラはフォマルハウトの頭を撫でた。幼子を扱う行為であるにもかかわらず、フォマルハウトは嫌がったりはしていない。
「私はエスピラと大事な話がある」
カクラティスもエリポス語で妃に言って、エスピラに奥に来るようにと目と顔の動きで表してきた。
「では、また」
とエスピラは丁寧にフォマルハウトに言って、手を振りながらカクラティスについて行った。
「親に甘えることを恥ずかしがっているようだが、随分と落ち着いた子だな」
カクラティスの横に並んで、続ける。
「クイリッタと同じ歳だったか。まあ、クイリッタならまだ大人しく抱きかかえられてくれるどころか抱き着いてきそうだけどな」
「言ってられるのも今だけだぞ? その内、やめてください、なんて拒絶されるさ」
「クイリッタがそんなことするわけないだろ?」
「帰った時には既にそうなっていたらどうする?」
「毎晩同じベッドで寝てやろう」
「嫌われる父親の典型だな」
「酷いことを言うな。だいたいな、クイリッタは」
「おっと。その話、長くなるか?」
「もちろん」
むしろ長くならない訳が無いと言う自信をたっぷり含ませてエスピラは返した。
「私がしたい話は、それじゃない」
「マシディリか? ユリアンナか? リングアも大丈夫だが、チアーラは私が居た頃はまだ赤子だったし、アグニッシモとスペランツァにはまだ会えていないぞ?」
「自分の子供に持っていくな」
「カクラティスにメルアの話はあまりしたくないな」
「もう十分に聞いたよ」
「十分とは何だ。そんなにまだ話してない」
面倒くさいなあ、と態度で十分に表しながらカクラティスが顔を背けていった。
「マシディリは間違いなくウェラテヌス史の中でも一番に挙げられるほどの天才として名を残すぞ。将来が楽しみだ。今でも随分と頭が回るし、勤勉だ。まあ、勤勉すぎるのが少し怖い所ではあるが」
そんなカクラティスを見つつも、エスピラは頬を上げ、口角を緩めてでれでれと話し始めた。
「はいはい」
「適当に流すなよ。今から知っておいて損は無いぞ。良好な関係を築ければ、必ずカナロイアにも益をもたらしてくれるからな」
「私からしてみれば、十分にエスピラもウェラテヌスの歴史に名を残すと思っているけどね」
さらに息子自慢を続けようとしたエスピラをカクラティスの言葉が止めた。
「ディティキと言うエリポス圏への橋頭保づくりの第一功はエスピラだ。今回の一連の戦いでも、アレッシア人の中にあってエリポス人への気後れや劣等意識は無くなったと言っても過言では無いのだろう? 今だって、エリポス諸都市の国家間バランスで遊んでいる」
カクラティスの雰囲気が引き締まった。
子供を前にしていた時のそれでは無く、民の前で王族として振る舞い、他国に権威と才知を示すものに相応しいモノである。
「遊んでいるとは失礼だな」
雰囲気を変えて来たカクラティスに対し、エスピラは朗らかに、少しだけしか空気を変えずに返す。
「ドーリスは傭兵業で稼いでもいる国家。そんな国に対して新たな財獲得の手段を提示できない以上は傭兵稼業を認めざるを得ない。認めざるを得ない以上は全幅の信頼はおけない。それだけだよ。アイレス陛下はアレッシアとの戦いの結果メガロバシラスの軍権が制限され、次回以降の戦いではメガロバシラスが傭兵を雇うことを期待しているのかもしれないしね」
「あの筋肉ならやりかねないな」
カクラティスが同意してきたうえで続ける。
「アフロポリネイオは用済みかい?」
「カクラティスとしては、用済みの方が良かったか?」
話を流すことを期待しての言葉は、しかし、裏切られることになる。
「そうだな。あんな国家と並べられ続けることには我慢がならないよ」
と、カクラティスが、すぐにでも冗談だと言えるように表情を整えながらも本気の声音を出したのだ。
エスピラも、少しばかり作戦を立て直す。
「アレッシア国内ではウェラテヌスと言う権威がとても役に立つ。だが、エリポスではそうもいかない。力も、技術も。遜色ないでは済まされないほどあるのにな」
「ならこっちに来てくれ、エスピラ。お前の実力を見抜けていた者は既に亡く、居るのは折角の優良な婚姻関係を拒み続けた連中だろ? エスピラと、マフソレイオと、カナロイア。この三つが手を組めばエリポスの統一も夢じゃない。
そして、私がエスピラの権威となり、マフソレイオが食糧庫となる。エスピラが私たちの戦力になる。幸いなことにエスピラの娘と私の息子の年齢は近いんだ。
どうだ? 大王の為しえなかった超大国。その形成だけでは無い。その維持と発展を共に行わないか? エスピラの息子は、天才なのだろう? その才覚、最も発揮できるところを用意するのが親の役目だとは思わないか?」
エスピラは、大きな一拍分、言葉を止めざるを得なかった。
「私の兵はアレッシア人だ」
選んだのは、その一言。
「アレッシアの軍団は多くの独身男性で構成されているのは知っているよ。エリポス人と結婚させ、土着させる試みはエスピラもビュザノンテンで実施しているだろう? そのためのディラドグマの領域からの大移動では無いのか?」
「それでもアレッシア人だ」
アレッシアを裏切ることになることを、カクラティスが否定しなかったから。
エスピラは雰囲気を毅然としたモノに変えて、再び口を動かす。
「私の父祖はアレッシアを守るために幾度となく家を危険に晒してきた。愛する我が子たちのためにもそんなことは私にはできないししたくもないが、それでも誇りに思っていることに変わりはない。ウェラテヌスの当主はアレッシアのために生きている」
カクラティスの視線とぶつかった。
互いに戦い合うモノではなく、そのまま互いの瞳に行きつき、動かない。
エスピラは譲るつもりが無い。カクラティスもそのことは分かるはずだ。仮にもアレッシアを学んでいるのなら、分かるはずだ。
そして、エスピラの予想通り。
カクラティスの視線が先に外れる。
「まるで呪いだな」
その呟きにはエスピラは何も答えず。何も言わないのを答えとして。
しばし無言で歩いて、カクラティスが奴隷に扉を開けさせたのだった。




