夜間に火ぶたを切り落として
しかし、そう、ソルプレーサには休むともとれる返しをしたのにも関わらず、メガロバシラスが動き始めた報をエスピラは起きたまま聞いた。
メガロバシラスの本陣があったところには火が煌煌と焚かれており、まだ明るい。だが、動いているのだと言う。
「暗闇の中を歩く時。人は真っ直ぐ歩いているつもりでも斜めにずれるものだ」
「はあ」
「悟られないようにしたつもりだろうが、メガロバシラスは余計な時間を食うことになったな」
横に居たファリチェにそう言うと、エスピラはメガロバシラスを睨む柵から離れた。
「出撃だ! 此処でメガロバシラスの息の根を止め、アレッシアの神々と父祖にこの偉大な勝利を捧げる!」
エスピラは叫ぶと、赤のオーラを上空に放たせた。
音も鳴り響き、にわかに陣が騒がしくなる。
警戒している者を残しておけばメガロバシラスにも露見するだろう。だが、それで良い。
兵を残していれば本陣、エスピラの方に気を取られ、他の隊が攻撃する際の支障になり辛くなるのだ。相手の焦りにも繋がるのだ。
焦って、脱出部隊の攻撃が雑になればそれだけつけ入る隙も生じる。
「エスピラ様」
すぐにやってきたのはシニストラ。その後ろに続くようにカウヴァッロ。
「軽装歩兵隊四百。精鋭快速重装歩兵部隊百。準備が整いました」
「騎兵隊百。準備が整いました」
前者はシニストラ。後者はカウヴァッロ。
「流石の速さだ」
エスピラは自信に満ちた笑みを浮かべて、二人に頷いた。
シニストラもカウヴァッロもその笑みを受け取るかのように頷き返してくる。
炎を背負っていてもしっかりと表情が分かるほどに。
「目的の第一段階は敵部隊の補足。オーラを使い、周囲を明るくしろ。範囲の広い緑や青を積極的に活用するように。その後、敵部隊の配置が分かり次第本格的な行動に移ってくれ。勝ちを決定づける攻撃を。ただし、こちらの被害は抑えろ」
「はっ!」
「かしこまりました」
威勢よくシニストラが頭を下げ、地面に染み入るようにカウヴァッロが頭を下げる。
「皆に、神々の加護があらんことを」
「必ずや、父祖に誇れる勝利を」
エスピラは二人の肩を掴み、力強く揺らしてから送り出した。
整った隊列の部隊が次々と闇の奥へと進んでいく。足音も揃い、まだまだ温かい夜の中を敵に向けて。運動するには丁度良い気温の中を死合の場へ。
「ソルプレーサ。守りは任せる」
「かしこまりました」
音も無く後ろに立っていたソルプレーサが静かな声を出した。
遅れて、レコリウスとステッラがやってくる。
「エスピラ様。こちらも、準備が整いました」
とステッラ。
エスピラが今宵率いるのは重装歩兵八百。ソルプレーサに預けたのは千二百。
「ステッラ。レコリウス」
「はい」
二人の返事が重なる。
「私の下した命令に、すぐに是と答えてくれるか?」
エスピラは、そんな二人は見ずに闇の向こう、動き出したメガロバシラスへと目をやっていた。
「亡きタイリー様は、エスピラ様の命令を聞くようにと言い残しております。そして、この三年間、エスピラ様は一度も私たちを失望させることはありませんでした。今更その質問に答える必要は無いでしょう」
ステッラが述べる。
レコリウスも同意するかのように頭を垂れる気配がした。
「心強いな」
エスピラは、誰にも見えないところで口角を緩めた。
すぐに引き締め、振り返る。
集まってきていた金属音が止まり、ずらりと、牙を剥くのを今か今かと待っている者達が闇の中、炎に照らされて浮かび上がった。
歩兵第三列の面々とは言え、若い。平均年齢を求めればエスピラよりも三から五歳上に落ち着くだろう。
とは言え、十分に信頼に足る面子である。
「この戦い、私が欲しているのは勝利では無い。アリオバルザネスの首とメンアートルの首。ただそれのみ。だが、それを取れば即ち勝利となる。そして、後続部隊を止めようと思えばアリオバルザネスが出てくるはずだ。
奴らが倍近い兵を有しておきながら攻撃してこなかったのはなぜか。それは、二万の部隊の意思が統一されていなかったからだ。アリオバルザネスに従えない者、そもそも意見を異なる者、王に媚を売ればそれで良かった者。危機を目の前にして纏まることなく自分たちの利権を求めていたからだ。
覚えは無いか? そんな軍団に。
そして、そんな軍団が分かたれた後、全く別物のように強くなった軍団に。
決して油断するな。今までのメガロバシラスとは違う。
今宵我らが当たるのは栄光の、世界の覇権を握りかけた大王の軍勢だ。
だが案ずるな。神々の御加護も、父祖の助力も、全ては我らが中にある。我らが勝つと信ずるに足る実力も、この一年半で存分に身に着けたはずだ。幾度も戦い、その中で苦戦は無かった。我らの実力は、苦戦するほどの相手は。我らが思い描ける栄光の中にしかない。血肉躍らせた英雄譚の世界、その軍団に近い位置にいる者しかあり得ない!
互角だ。
全力の、栄光のメガロバシラス軍団と我らは互角である。
そうであるならば、負ける決まりなどは無い。必ずや勝つ。勝って、大王が西進して我らが父祖と戦った時どうなるかという酒飲み話に決着を付けようでは無いか」
最後は染み渡らせるように。
エスピラは穏やかに言った後、再び雰囲気を戦闘前のそれに戻した。
「アレッシアに、栄光を!」
ざ、と軍団から揃った音が聞こえる。
「祖国に、永遠の繁栄を!」
盆地全体に響き渡るようなアレッシア語の大合唱の後、エスピラ達も一気に夜の闇の中へ突き進み始めた。
松明を持ち、明るい状態で。アレッシア軍ここにありと全体に教えて。
逃げも隠れもしない。兵数も誤魔化さない。正々堂々と正面から。
まずは真っ直ぐ進んで、エスピラ達は無人のメガロバシラス軍の陣地を踏み倒した。
テントも全て引き倒し、ある程度戦利品も確認してから反対側へ。
その頃には赤のオーラと白のオーラが同じ方向へ向けて動いていた。
カウヴァッロとシニストラだろう。
先発部隊がメガロバシラスの後続部隊を捉えた。そして、砦の壁の方でも幾つかオーラが舞い、松明が増えている。おそらく、そこがメガロバシラスの攻撃地点。
「劣勢か」
「主要人物の首を取る、という目的においてはそのようですね。ですが、被害を与える、易々と撤退させないと言う意味では優勢かと」
エスピラの呟きに、ステッラが答えた。
「此処で決める。その旨は、あそこを守っているイフェメラもジュラメントも聞いていた。無論、シニストラもカウヴァッロも聞いている」
それと、ルカッチャーノも。
ディティキで。エスピラが愛息マシディリの手紙を読んでいた時に。
「さあ! もう一息だ!」
大きく声を出し、エスピラはすぐに軍団を行軍させた。
駆け足で一気に光の元へと急ぐ。ほとんど乱れていない軍団の呼吸に、剣戟の音が混じり始めた。匂いも濃くなる。土の匂いは薄まり、血と臓物の臭いが立ち込める。
誰も風呂など碌に入っていない。川と雨だけ。それによるすえた汗の臭いも、どこか遠くへ行くような戦場の香り。
そしてついに、オーラに照らされた密集隊形を視界に入れた。
きっちりと並んでおり、大盾を前面に五メートルを超える槍を密集させている。
「食らいつけ!」
エスピラは、腹からの怒号を上げた。
前列の兵が赤いオーラを剣に纏わせた。一気に明るくなる。光の塊が槍に触れた。槍が壊れる。壊れた槍が前後する。防ぎながら、足を緩めることになりながらもアレッシア兵が突き進んだ。メガロバシラス兵の顔が光で照らされる。表情が見えた。
全員が、引き締まった表情をしている。
(不味いか?)
年齢は若くても三十。五十近い者も見える。
例えば、これが全員北方の、トーハ族などとの戦いに没頭していた者達だとすれば。
アリオバルザネスと共に戦い続けていた者だとしたら。
殺人技術は、圧倒的に敵が上だ。
「青、準備」
エスピラが言えば部隊の腰の高さに青いオーラが浮かんだ。
赤の部隊が密集陣形の盾にたどり着く。盾が壊れた。直後に襲ってきた剣によって、幾名かが後退する。どちらかと言えば、押し込まれるように。剣術同士で、後れを取り始めた。
「行け!」
声が伝播し、アレッシアの第二陣が突撃した。
青のオーラが気を落ち着かせ、冷静に距離を取り始める。メガロバシラスは深くは追撃してこない。すぐに横と歩調を合わせる。囲わせず、ただし囲わない。
完全に時間稼ぎの構え。
それでもとアレッシア兵が攻めかかれば、弾き、防がれ、アレッシア兵も退かざるを得なくなったタイミングを見計らって兵が交代する。前列が疲れていない者に入れ替わる。
一々指示がある動きでは無い。兵たちの判断だ。少なくとも、エスピラの目にはそう映った。
(精鋭か)
数も質も、分が悪い。
「退かせろ! それから、投石機をぶち込め!」
「エスピラ様!」
叫んだフィルムを、エスピラは睨みつけた。
フィルムの肩が大きく揺れる。
「あ、あ、あの。敵と、味方の区別が……」
そうでは無い。
人に投石機を食らわせたくない。それはしたくない。
そんな意思が良く分かるほどにおどおどとした表情でフィルムが目を泳がせた。
「伝令に出せ。オーラで示す。その範囲にぶち込め、と。砦の者に伝えろ」
エスピラは、冷たく低い声で言うとフィルムを無視して伝令を走らせた。




