二万人を超える小競り合い
「メガロバシラス軍が並び始めました」
と伝令が伝えてきたのはエスピラがメガロバシラスの動きを目視してから。
同早朝。エスピラは食事をとらせてから応じる構えを見せた。
本格的に陣から出るのではなく、簡易的な柵のある場所の後ろでずらりと並び。兵数は少なく。横、水平と言う兵数が分かりにくい場所からでもアレッシアの数的劣勢が分かるように。メガロバシラスは両翼に騎兵を配備しているのにも関わらず、アレッシアは両翼の守りを陣に任せ、重装歩兵だけを並べて。
(神よ)
聖なる鶏は、予定通りきちんと麦を食した。
シジェロの占いでは今日の運勢は三。この一週間では最高の数字。
天気は晴れ。快晴。昨日も晴れており、地面の状態も良好。
「二万の圧力か」
エスピラは小さく呟いた。
「夏場明けです。おそらく、五千ほどは減っているでしょう」
大分盛った数字だが、至極真面目にステッラが言った。
「頼もしいな」
そんな百人隊長と言う枠を超え、戦場でのエスピラの傍仕えに近い被庇護者にエスピラは笑みを返した。
顔を戻して盾を握り直し、目を凝らす。
微妙に動いているようにも見えるが、メガロバシラスの王は後方。多少の汗臭さ。砂ぼこりが少しだけ舞い、汗が頬を伝う。汗は落ちる前に布の中へ。距離は十分なのに、近くにいる者の呼吸すらも聞こえてきそうなほどの静寂があたりに満ちていた。
配置の準備はできている。陣内の柵、溝などの変更も完璧。
(最後にモノを言うのは、根性。胆力)
エスピラは盾を横にいるファリチェに渡すと、左手の革手袋に口づけを落とした。
神に祈りを捧げ、ゆっくりと左手を横に伸ばして盾を受け取る。
タイミング良くメガロバシラスの右翼が動き出した。
少し乱れてからは急速に。真っ直ぐ。隊列を整えて。アレッシアの陣に向けて駆け出してくる。最初の投石兵などのやり取りは無し。まるで選ばれた者しか戦いに参加しないとでもいうかのように。騎兵と、騎兵についてくる軽装歩兵のみ。
(予想通り)
あくまでも、ここまでは。
距離が縮む。エスピラの手元に投擲兵は用意していない。居るのはグライオが監督していた重装歩兵と作戦のためにねじ込んだエスピラの被庇護者。ついでに、将来有望と感じた者。
アレッシア側から金属音が一つもなることなく、地響きが足元を揺らし始めた。随分と敵兵が大きく見える。もう表情も分かるほどだ。
そして、騎兵の一人が投げ槍を持ったのが見えた。
「亀甲隊形!」
叫び、エスピラの声に応じて緑の光が各所から展開された。
高さは顔。あっという間に盾を構え、アレッシア兵が隠れた。多くの者は上部を盾で守り、端の者だけが側方に盾を構える。投げ槍がぶつかる音が聞こえるが、被害は出ない。
アレッシアの亀甲隊形は、元から防御隊形であった密集隊形をさらに防御に寄せたようなモノだ。
鉄壁の守りは、兵士一人一人の胆力が試されるものではあるが攻撃はまず受け付けない。耐え、そして通路を開けておくことで敵兵を受け流す効果もある。がら空きの後ろが見え、そして盾で隊を覆っているため動けない。だからこそ、敵は後ろを攻撃しやすくなる。密集隊形とは違って槍での攻撃力も無いのだ。ただ待つのみ。それ故鉄壁。
何より、アレッシアには青いオーラがある。
恐慌も混乱も最低限に抑え込み、維持を容易にしているのだ。
同時に、アレッシア人には愛国心がある。
国のために、アレッシアのために身を捧げることを厭わない者の集合体だ。
さらには、この軍団は凄惨な光景も経験させているのである。
耐え忍ぶこと、命令に忠実であることには最も秀でていると言えるのだ。
だからこそ、完全にメガロバシラスの初撃を防ぐことに成功したのである。
何度か硬質なものが当たる音が鳴るが、崩れる音も声も聞こえない。ただただ黙って防ぐだけ。
地鳴りも、横を過ぎてはいかない。
まだ前。
(何をしている?)
攻撃音も、だんだんと少なくなった。
声や足音は続いており、目の前に居るのは分かっているが居るだけ。
「確認してくれ」
エスピラは小さく言った。
視界に入る位置にいる最前列の兵が小さく頷く。青いオーラは新たには出ない。盾の隙間から覗けば、槍や剣が差し込まれて死ぬかもしれない。亀甲隊形を維持し続ければ生きられるのに、わざわざ死ぬ確率を上げる。
そんな、非常に怖い役目にも関わらず最前列の兵は盾を少し開けてしっかりと外を見てくれた。
すぐに報告がエスピラにもたらされる。伝言が繋がり、ただ目の前で騒ぎながら走り回っているだけだと。
(疑問、で、埋めるな)
自分に言い聞かせて、エスピラは右手人差し指を折り曲げ、第二関節に噛みついた。
攻撃を仕掛けてこない。
つまり、スコルピオを破壊する目的は無く、機動力に欠け的となる密集隊形を使う意図が無いと言うことか。
単に、警戒しているのか。
確かにエスピラはアントンでは数的優勢を確保していたが、ディティキ解囲戦ではソルプレーサと二千だけ。圧倒的劣勢で勝利を修めている。
今も、数的には圧倒的な劣勢で会戦に応じた。
策があると思うのも普通だ。
(あるいは)
エスピラの動きを見越して、騒ぐのが目的だった。
時間稼ぎをする可能性が高いのは誰でも分かるだろう。アレッシアはメガロバシラスを囲んでいるのだから。エスピラは、亀のように甲羅に首をひっこめると。
そうなれば後は臆病者と罵れる。アレッシアは大事な時に何もできないと。
言われる分にはエスピラは構わないが、兵の思考には大きな影響を及ぼしてしまう。あるいはエリポス諸国がアレッシアを見限りかねないのだ。
「勝負を戦場外に持っていく、か」
隊形を解くのは自殺行為。前で騒いでいる兵はおよそ三千。しかも機動力に長けた騎兵や軽装歩兵中心。スコルピオは効率が悪い。
(だが、退いたのがメガロバシラスとなれば、まだ戦いにはなる)
乗ってやるよと思いつつ。このまま亀甲隊形を保ったままでは此処にいる三千の兵は良いとしても他の者はエスピラに何を思うだろうか、と。
命令には従い続けるだろうが、いたずらに忠誠心を下げるべきではない。
「カウヴァッロを出撃させる。奴らを蹴散らせ」
言えば、すぐさま赤いオーラが打ちあがった。
敵兵が少し距離を取った。隙間ができる。投げ槍も即座には届かない距離。
「解除しろ!」
今度は緑のオーラが足元を駆け抜け、エスピラの直接指揮下の兵が盾を下ろした。
メガロバシラスの一部の兵が前に出てくる。攻撃。投げ槍。それらを盾で弾きつつ、アレッシア兵は隊列を維持した。
やがて、おずおずと。判断に迷っている様子で敵騎兵が再度の突撃準備に入る。メガロバシラスからの鐘の音。おそらく退く合図。
それに戸惑った兵が居た瞬間を、アレッシア騎兵が突いた。重装歩兵の合間を縫って一撃を加え、すぐに退く。騎兵が退いたところに投げ槍部隊が投擲を行い、傷口を広げた。騎兵の第二撃。
流石にメガロバシラスも整い始める。二撃目による損害は少ない。
カウヴァッロの指示の下、軽装歩兵はあまり前に出ずに第二投を放った。その隙に騎兵が退く。そして、メガロバシラス軍が来る前に全員が再び帰ってきた。
「亀甲隊形!」
駆け抜けていく横で、エスピラ達が再度亀甲隊形に変化した。
味方の収容が終われば道を閉じ、あるいはオーラで合図を送りあって作る道を変える。メガロバシラス兵は潰したり、あるいは足を剣で突き刺したり。上に乗った者はそのまま押し返した。
メガロバシラス兵全体が退き返すと、亀甲隊形の中に紛れていた軽装歩兵が出て投げ槍を食らわせる。メガロバシラス兵が戻ってくる動きをすれば再び亀甲隊形の中に。
その判断は馬上のカウヴァッロが担当した。
まさに、見事な引き際をエスピラの前で披露した。
まだまだ少ないながらも益なく兵を損耗するだけと思ったのか、メガロバシラスが本格的に退いていく。アレッシアも追撃には移らない。
こうして、メガロバシラス二万とアレッシア四千で始まった戦いは、両軍合わせて死者数名、負傷者数百名と言う結果で幕を閉じたのだった。




