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滞陣一か月を優に超えて

「トーハ族は敵対した相手を許す行為として利き手の人差し指を使えなくする風習があるらしい」


 あえてエリポス語で言って、エスピラは馬の革で出来た袋から落ちて来た腐りかけの右手人差し指を再び袋にしまった。


「なるほど。つまり、これは君の人差し指を切り落として送ってあげれば良いのかな? いや、許す対象は基本的には将であったはず。となると、陛下か宰相殿か、はたまたアリオバルザネス将軍か」


 袋を持ったまま立ち上がり、たいして離れていない距離をかなりの時間をかけて近づいた。


 そして、メガロバシラスからの使者、もとい宰相メンアートルからの使者の目の前に袋を置く。エスピラの指は、地面すれすれをなぞるようにして使者の右手人差し指へ。


「君は、どう思う?」


 言って、エスピラは使者の右手首を思いっきりつかんだ。

 ひっくり返し、人差し指を自身の右手で握りしめる。


「賭けてみるか? 私が赤のオーラか黒のオーラならば君の人差し指は使い物にならなくなる。だが、違ったのであれば君は無傷で許される。どうする?」


「どう、と申されましても」


 使者の顔に、暑さからではなさそうな汗がうっすらと浮かんだ。

 使者の表情は硬くはなっているが、隠せる範囲内である。


「冗談だ。返事を書くまでの間、ゆっくりと待つと良い」


 雰囲気を一転させて柔和に笑うと、エスピラは使者を天幕の外に追いやった。


 奴隷も一人ついて出て行き、天幕の中にはエスピラとソルプレーサ、シニストラだけが残る。


「トーハ族が動かなかった訳が分かりましたね」


 ソルプレーサが置いていかれた袋を持ち上げながら言った。


「裏は取れていないけどな。それに、族長の指だとは誰も言っていない」

「有力者が姓を配りすぎていますからね。ウェラテヌスはどうかあまり配らないでいて欲しいモノです」

「そればかりは子孫がどうなるかと状況次第だな」


 袋の中身は『カラブリアの指』とのこと。


 このカラブリア。トーハ族族長の姓ではあるが、実力主義なあの騎馬民族は有力者に簡単にカラブリアの名前を配っているのだ。この指が、本当にカラブリアの者かも怪しいが、カラブリアの者だとしてどの程度の有力者かは分からない。


「トーハ族の戦闘能力は高いと聞いております。はったりの可能性が高いのでは?」

 とはシニストラ。


「だが騎馬民族だ。馬に不向きな地形の多いエリポスで、防衛ラインを決めて壁を作れば追い返すことはそう難しい話では無い」


 確かめるために人員を割くのは当然として、その結果警戒が薄くなる場所も出てきてしまう。


 それが目的かは分からないが、本当にトーハ族の動きを止められたとすれば、ますます軍団同士の対決は避けられなくなるのだ。トーハ族との共同作戦が潰されたことで全てが崩壊するわけでは無いが、有利の度合いが下がったのは事実。


 あるいは、トーハ族の側からあえて送って天秤にかけている可能性もある。


「長期戦の目的か」


「噂を流すために細々と敵の補給を認めているのも仇になりましたね」


「おかげでアリオバルザネスの現状が詳しく分かっただけでも良しとしてくれ」


 ソルプレーサの痛い一言に、エスピラは苦笑いを返した。


「アリオバルザネスがこちらと繋がっていると言う噂を流すことは不可能なのですか?」

 とシニストラ。


「メンアートルはアレッシアと一戦交えるつもりらしいからな。王と宰相が蛮族などに後れを取ってなるものかとなっている以上は成功確率は低い。尻尾を振るふりをして反攻作戦の準備をしていた以上は、メンアートルは全力で将軍を守るだろうさ」


「しかし、仕掛けてみても良いのでは?」


 ソルプレーサが言う。


「今か? どうせなら、もしもの時に『アリオバルザネスが上手く行ったのは内通していたからだ』とした方が良いと私は思うが」


「それでは負け惜しみにしか聞こえません。何よりも、内側に」


 なるほど、とエスピラは思った。


 つい抜け落ちていたが、アレッシア人にとっては本来調略のような手段は外道の策。それを負けてから使えば、軍団内におけるエスピラの求心力は急低下しかねない。


「仕掛けておくか。敵も、固定できた方が良いしな」


 一々調べなおすのも時間がかかるのだ。


「頼んで良いか? ソルプレーサ」

「言うと思いました」


 諦めたような口調でソルプレーサが言った。


「対マルハイマナでは楽にさせているだろ?」


 エスピラも冗談めいた口調で返す。


「そもそも、話を聞いている限りではエレンホイネス陛下ではズィミナソフィア様の相手にならないのでは?」


「女王陛下はアレッシアのために動くとは一言も言っていない」


 エスピラのために、という意図で動くことはあれども、アレッシアと言う共同体のためには動いたことが無い。


「夏場故、水夫の休憩場所にと言ってオリュンドロス島に積極的に乗り上げているのは良いことだけどな。まあ、下手をすればマフソレイオ単独でマルハイマナとメガロバシラスの連合軍と戦い、ハフモニに背後を取られることになる以上は無償でとは言い難いよ。その点、フィルムが良くマルハイマナの船を接収してくれたけどな」


 水夫などの派遣や見回りと言う名目でマフソレイオに完全に奪われないようにと。

 そう言った話でうまくマルハイマナを丸め込んでくれたのだ。


「マルハイマナとの友好の証として、アレッシアとの共同事業をしようとなれば良いのだがな」


「地峡の運河の拡張、及び増加など、マルハイマナは到底飲まないでしょう」


「分かっている」


 ソルプレーサの言葉に、エスピラは椅子にどっしりと腰かけながら答えた。


 シジェロの占いがのっているカレンダーを引っ張り出す。ここしばらくは、五も無い。四も二個だけ。


「どうするかな」

「マルハイマナに対してはこれ以上どうこうとはいかないでしょう。これまでと同じように細々とやり取りを続けていくしかないかと」


「そうだな。何か、印象に強く残る逆転の一手が欲しい所だが、こればかりは好機を待つしかないか」

「有利なのは、以前こちらでは無いのですか?」


 エスピラの言葉に、シニストラが首を傾げた。

 エスピラもシニストラの言葉には肯定しつつも地図を指さす。


「トュレムレがマールバラの猛攻に晒され、トュレムレが落ちればディファ・マルティーマも危うくなる。さっさと決めねばならないように見える状態で、アレッシアの味方だったはずのトーハ族が動かなくなった。しかも、アレッシア軍はディラドグマなどで苛烈な仕置きを行っている。

 そこだけ切り取れば、これ以上味方が増えるとは言えないだろう?」


「しかし、プラントゥム方面はピオリオーネ以東を踏ませておりませんし、カルド島は未だ混乱の最中。オルニー島は抑えてあるありますので、北方の脅威はほとんどない。トュレムレの攻略に失敗すれば追い込まれるのはマールバラの方では?」


「その通りだよ、シニストラ。そして、そこが見えないのも人と言うモノだ。それに、未だにマルテレス以外はマールバラに勝てていない」


「グライオにはトュレムレの防御設備があります」


「使うのは人間だ。兵の質はマールバラが上。裏切りが起きた時に甚大な影響を受けるのはグライオの方。シニストラがグライオの実力を認めてくれているのは嬉しいが、良い状況では無いのは確かだよ」


 困ったことだ、とエスピラは嘆息した。

 シニストラが口を開く。


「スコルピオを使用されては?」


「流石に、スコルピオをメインで使用しようとすれば露見するだろうな。向こうはスコルピオが乱戦で使えないことを理解していてもおかしくは無い。何のために行軍訓練をたくさん行ってきたのか。何のために全軍にスコルピオの威力を教えていたのか。何のためにディラドグマで撤退する味方の居る中でスコルピオを使用させたのか」


 全ては射線を開けさせるため。スコルピオの命中精度でも的確に敵を貫くため。

 その意図もあってグライオが先陣でもあったのだ。


「まあ、利便性が勝っていればタイリー様も積極的に活用していたさ」


 そもそも、鎧を嫌う北方諸部族に対しては過剰な貫通能力だったと言うのも使用されてこなかった理由の一つである。


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