カリヨ・ウェラテヌス・ティベリの訴追状
(どうやって察知しているんだろうな)
思いつつ、手袋を整える。目は手紙。マシディリの整えようとしている字や、クイリッタの少し波打っている字とも違う。清く澄んだ、華の文字での一文。『メルア・セルクラウス・ウェテリの訴追状』の文字のみを捉えて。
もちろん、訴追している文章など一切無い。その一文しかないのだから。
元は、カリヨ・ウェラテヌス・ティベリがロンドヴィーゴ・ティベバリウスに叩きつけ、何故か噂になっている『カリヨ・ウェラテヌス・ティベリの訴追状』だろう。
乱暴に要約すると「思い上がるなよ」、という一文。
ウェラテヌスが汗水どころか血まで流して得た栄光を、労せず手に入れようとするなと言う怒りの文章。
それでもロンドヴィーゴが何も言えないのは、インツィーアの戦い以降カリヨがティバリウスの中でも存在感を相当強くしたことと訴追状が尤もな内容であったこと。そして、戦車競技団を連れてきたことで民の人気を得たためである。
「旦那様。開始時間が過ぎております」
焦ったようにウェラテヌスの奴隷が言ってきた。
「待たせておけ」
悠然とエスピラは奴隷に酒を勧める。
暑い中であるためか、奴隷は受け取って飲み干し、それでもちらりちらりとメガロバシラスの宰相が居る方に眼球を動かしていた。
その様子を見てから、再びエスピラは手紙に目をやる。
「エスピラ様」
次はシニストラの声。
かけるべきか迷ったような声だ。
「メルア・セルクラウス・ウェテリの訴追状とは、私は何を訴追されるんだろうな」
そんなシニストラにも、エスピラは楽しそうに返す。
「おそらく、家を長く空けたことを、では無いでしょうか」
シニストラは歯切れが悪いながらも生真面目に返答してくれた。
「言葉にしてくれるならありがたいな。メルアは、いつも機嫌が悪くなってからじゃないと示してくれない。そこがまた可愛いのだが、人によっては面倒くさいだの大人では無いだの言われてしまっている」
文句を口にしつつも、少し浮かれた声でエスピラは返した。
ソルプレーサが動く気配がする。
「子供の、特に娘の成長過程における父親嫌いは想像を絶すると言われております。そう考えれば、メルア様は十分に大人でしょう」
「言うな、ソルプレーサ。折角の炎も全て消えてしまう」
ユリアンナやチアーラが「父上嫌い」なんて言い出したら。
考えるだけでも衝撃は大きいのに、実際に言われでもしたら動けなくなってしまいそうだと、エスピラは思った。
「エスピラ様。あまり遅くなると、今度からは家族からの手紙を朝のうちに届けるのはやめようと言う流れになるかも知れません」
シニストラが声を小さくしつつも強めの口調で言う。
「それは困るなあ」
「でしたら、どうか、辛いとは思いますが今だけは会談へと向かいませんか?」
「手紙が届いて無くとも、私は遅刻したさ」
シニストラだけではなく、奴隷もエスピラに多くの意識を割いた気配がした。
「そうか。カリヨが褒められるのを察して、その時に必ず自分を思い出すようにとした線もあるな」
そんな人たちを意に介さず、エスピラは浮かれた声を出した。
「もう一度メルア様を思い浮かべてから言っては?」
「そうか。カリヨが褒められるのを察して、その時に必ず自分を思い出すようにとした線もあるな」
ソルプレーサの皮肉すらきかず、エスピラは全く同じ調子同じ言葉を繰り返した。
ソルプレーサが呆れたように肩をすくめたのが視界の端に映る。
「何故、遅れるのですか? 良いことは無いように思えますが」
シニストラもシニストラで、エスピラとソルプレーサの会話を気にせずに質問してきた。
「普通の会談だったら意味がないだろうな。信用を落とすだけで、利益は何一つない。
だが、上位者ならば遅刻しても許される。下の者が咎めるのは厳しいからな。メガロバシラスとアレッシア。今、どちらが上なのか。現状、どちらが頼み込んでくる立場なのか。どちらの武力が優れているのか。
身をもって知ってもらうためだよ。最早メガロバシラスの後塵を拝していたアレッシアでは無い。
国家の情報を流す者に、頼らなくても良くなった、という話にもなるな」
実際にはどんな弱小国であっても情報を流してくれる者が内部に居てくれるに越したことは無いが。
「オリュンドロス島での会談も、時間を空けていたのはそう言うことだったのでしょうか?」
「その通りだよ、シニストラ。流石にエレンホイネス陛下が来ていれば話は違ったがね」
言い終わると、エスピラはリンゴ酒を一口飲んだ。
山羊の膀胱を眺め、口を紐で締めると奴隷に渡す。
「ま、そろそろ行くか」
とても会談に臨むとは思えないほど軽い調子で言って、エスピラは外に出た。
正直、暑さはそこまで変わらない。ただ、直射日光と地面から湧き出る湿気が肌を撫で、確実に体に疲労を溜めていく。
(あと一月か)
会戦を仕掛ける場合ならば。
それぐらいは待たないと兵が保たないだろう。
もちろん、大前提としてエスピラから攻撃を仕掛けるつもりはない。基本的には盆地に閉じ込め、枯らす。そのための進捗に遅れは無い。
エスピラは天幕を前にして、最初の言葉を考えた。
お待たせいたしました、は、すぐに却下する。言わない方が良い。
「エスピラ様が到着されました」
考えている最中に目の前の布が開けられる。
アレッシアの者は立ち、宰相メンアートルを除いたメガロバシラスの者と思わしき者達も立ちあがった。
その中をエスピラは背筋を伸ばしたまま堂々と進み、メンアートルの正面へ。
メンアートルは獅子の彫られた豪華な金細工の留め具を着けており、纏う外衣も絹で出来た白。染色は鮮やかな赤紫の線がある。
兵が逃げる時に盗んでいけば、ほとぼりが冷めるまで暮らせるだけの価値はある逸品だ。
「メガロバシラス軍は余程治安が良いようですね」
言いながら、エスピラは目の前に座った。
奴隷に手だけで酒を持ってくるように指示をする。
「アレッシア軍の規律の正しさも、私たちの想像以上でしたよ」
宰相メンアートルが言う。
「お褒め頂き光栄です」
「特にカルフィルン、アブライカ、デラノールズの三都市を瞬く間に落としながらもエステリアンデロスを完全に手中に収めた今回の軍事行動。神速とはまさにこのこと。アリオバルザネス将軍も褒めておいででした」
(どれだ?)
情報を渡すためか、脅すためか。はたまたはったりか。
どのみち、去年ほど簡単な軍団では無くなったのは確かなはずだ。
とは言え、強くなったのはメガロバシラスだけでは無い。アレッシア軍団も去年よりは数が減ったが、去年よりもまとまりが出来ている。経験値も貯まっている。遠慮や躊躇いも無くなっているのだ。
ただ、信用できて能力の高い高官が一名、居ない。
「敵国を褒める度量があるとは、アリオバルザネス将軍は素晴らしい方のようだ。妹にもしっかりと見習ってほしいモノですね」
「妹様が、何か?」
メンアートルの表情からは何も読み取れない。
知っているのか、知らないふりをしているのか。
流石は大国の宰相といったところだろうか。ディティキの亡き宰相とは大違いだ。
「訴追状なる者を義理の父に送ってしまいましてね。送ったことは話題になるとは思ったのですが、何故か内容も一部漏れてしまっているようなのです」
「それは大変ですね」
「ええ。本当に」
言いながら、エスピラは用意された酒を革手袋をはめたままの左手で少し宰相の方へと押して行った。
「義理父上は思い違いをされているようですが、兄、エスピラ・ウェラテヌスが法務官に任じられたのは兄の才覚のため、国家の危機のためでありティバリウスが何らかの影響を与えたわけではありません。その証明は幾つか挙げられます。
一.兄の能力によるもの。
その昔、アレッシアが半島の制圧に乗り出したころ。半島の内外にはエリポス圏の植民都市が溢れておりました。その技術、戦術に大きく後れを取ったのもアレッシアが苦労したことではありますが、何よりも言語が最も苦労したことです。エリポス語を使える者はエリポスに近しい者。アレッシアの言葉の穴をつくように、真意は違うのに意味としては間違っていない言葉を使って交渉を不利にしてくることがございました。ですが、兄ほどの言語能力があればどの国に対しても自分の言葉で交渉出来ます。これは非常に大きな特徴でしょう。
一.兄個人としての交友関係。
兄はマフソレイオの王族にまるで親族かのように慕われております。カナロイアの次期国王も借金を代わりに払ってくれるほどに仲が良いのです。さながら、エクラートンと仲良くなりカルド島の足掛かりを掴んだ父祖やクルムクシュと同盟を結び、プラントゥム方面へ抜ける道を確保した父祖の両名に並ぶ偉業でしょう。
一.共同体としての交友関係によるもの。
ドーリス、アフロポリネイオ、カナロイア。付け加えるとすればジャンドゥール。エリポスで影響力の大きな都市と言えばこのあたりでしょう。ですが、この国家群が同じ同盟に所属したことはジャンドゥールが成長する前のドーリスのみ。臨時的にと言えば今のマルハイマナが存在するところに建国されていた帝国が三十万とも伝わる大軍を用いてエリポスに攻めてきた時だけ。後の覇権を握っていた頃のカナロイアはドーリスを、ドーリスはカナロイアと手を組むことが出来ておりません。ジャンドゥールに至ってはカナロイアとドーリスが敵。最後にできたのはメガロバシラスの大王の父の頃。ギリギリで、最初の大王。
しかしながら、今、兄はエリポスの大国では無いにも関わらずこれらの国家を同じ連合体に入れることに成功しております。この業績に、ティバリウスは関わっているでしょうか? 否。そんな訳がありません。
一.兄の」
「もう良い」
淡々と述べるエスピラを、メンアートルが止めた。
「一度に言われても覚えることなど到底できん」
メンアートルがため息交じりに言った。
「私がどこまで覚えているかを確かめたいのであれば、全部とお答えしておきましょう」
そのメンアートルを見ながら言い、エスピラはリンゴ酒を喉から腹に落とした。
コップを置いた位置は、先程よりもメンアートル寄り。




