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エリポス的戦争

「ありがとうございます」


 エスピラに応えるようにピエトロが頭を下げた。


 エスピラはピエトロに言葉は返さず、書類の束の中からビュザノンテンに関する資料を取り出す。天幕に控えていた奴隷に地図を片付けてもらい、新たに街の地図を広げた。


「ビュザノンテンは、街の中でまで戦うような都市にはしない。今ある建物の中で道幅を広げるのに邪魔な建物は難癖をつけてでも退ける」


 ピエトロを近くに呼び、指で大通り予定地をなぞりながら伝えた。


 他にもグライオとの間で共有したおおまかな方針、グライオが今進めていたところ。それを口頭で伝え続ける。


「とは言え、覚えきるのは難しいだろう? 何かあれば遠慮なく聞いてくれ。私が自分たちでも考えるようにと言っている以上は中々に難しいことを言っているのは理解しているが、相談はいつでも受けるよ」


 最後にそう伝えると、この場の質問を幾つか受けてからエスピラはピエトロを見送った。


 翌日、戦闘を行うべきではない六番目の月に盆地へと続く道の封鎖を開始する。


 敵補給部隊はあえて見逃し、同時に人質もとって封鎖を漏れにくくして。漏れたとしても、互いに少しの間見逃すと言う、ある意味エリポスのルールに従って。


 これが対ハフモニ、対北方諸部族であれば見逃したところで相手は攻めて来ただろう。

 アレッシアも、見逃さなかっただろう。


 だが、エリポス圏の国家が相手だと、こんなお遊戯みたいなことも通用してしまう。


 戦争にもルールが必要だと言うのは分かるが、守るかどうかを相手に委ねるのはアレッシア人には受け入れがたい話。エリポスから一度ひとたび出れば、誰もしなくなるとエスピラは思いながらも命令を下していた。


 頻繁に斥候を出しつつ、川登りができないかを泳ぎが得意だと言う者達を集めて行いつつ。


 砦を築くべく、まずは防衛用の堀を巡らせていく。人一人が入れるくらいの深さを掘り、後ろにスコルピオを数台派遣して脅したり、あるいは騎兵を用意して近くをうろうろさせたり。


 最初は補給の返礼として黙っていたともとれるメガロバシラス軍であったが、一週間も経てば動き始めた。


 攻撃に対して、アレッシア軍はすぐに退く。

 人に被害が出ないように。作ったモノが壊されても構わないとすぐに逃げて。

 誰が指揮官でも退かせて。


 エスピラは、その様子を聞きながらまとめていた。


 どう退いたか。どのタイミングで退いたのか。あるいは油断した敵に対して反撃を試みたのか。それとも撤退を徹底したのか。


 次第にメガロバシラス軍も手応えなく引くアレッシア軍に嫌気がさしてきたのか、おざなりの反撃が多くなってきた。

 とりあえずはアレッシア軍以上の数で出陣して、迫り、盾を構えて大声を出す。騎兵は走り回る。そして、退く。


 夜は涼しいとはいえ、基本的にはアレッシアも夜は工事をしない。つまり、メガロバシラスは暑い中の出撃になる。重い鎧を着けて、熱のこもる中他の人と近い所に。普通なら戦わない季節の中。

 だらだらと、ある意味間延びした戦争になるのもある意味当然であった。


「エスピラ様。メガロバシラスの宰相を名乗るメンアートルなる者が面会を求めているとの使者が来ました」


 その中で、互いに戦闘を望んでいないとメガロバシラスの一部が感じるのも当然のこと。

 そのために高位の者が交渉に来るのも、エスピラの予想通りではあった。


「メンアートルか。私の知っているメンアートルと同じなら、間違いなくメガロバシラスの宰相だ」


 軽く額の汗をぬぐい、エスピラは羊皮紙を受け取った。

 切れ端のような長さしかないが、これでも安くはない。


 本人の筆跡を見せること以外にも財力があること。それでも戦いの早期決着を望んでいることを伝えるために選んだ手段だとは推測がつく。


「まあ、会うか。向こうがこっちに来るならな」


 言って、エスピラは羊皮紙を横に捨てた。

 伝令が頭を下げ、恐らくメガロバシラスの使者に伝えに行く。


「応じるつもりですか?」


 シニストラが直立の姿勢のまま聞いてきた。


「向こうの調略も本格化してきているようだからな。メガロバシラス軍が本国を出ているだけでもメガロバシラスにつく者も増えているのもよろしくは無い」


 溜息を吐きながら、エスピラは地図の北方に目をやった。


「それに、メガロバシラス本国を脅かすと言ったはずのトーハ族はまだ動いたと言う報告も無い。連絡は遅れるものだとしても流石に遅すぎる」


「こちらが攻撃できない以上は様子見をしているのでしょうか?」


「だろうな。予想の範疇とは言え、どうするかな。騎馬民族である以上は冬の前にはメガロバシラスに襲い掛かって物資を奪うとは思うが。それは連携した故では無いだろうし」


 ならむしろ売ってしまうか、とすら思う。

 ただ、トーハ族が攻めてくると向こうに漏らした場合、そのことが露見すれば無駄な敵を生み出すことになるのだ。


 上策では無い。


「講和されるのですか?」


「…………しないさ。したところで、奴らはまた南下してくる。力の差をしっかりと植え付けてからじゃないとまた戦うことになるんだ。ならば、有利な盤面を放棄はしない」


 メガロバシラスの目的は? と考える。


 恐らく、無事に撤退することは優先順位の違いこそあれど目的の一つに連なっているはずだ。

 長期化することも、また目的の一つだろう。その間に、他のエリポス諸都市に味方を作ろうとする。国家レベルではなく、個人レベルで調略をすることも考えられるだろう。有力な者は居るわけだから、転覆をも狙ってくるかもしれない。


 だが、長期戦はエスピラも望むところ。


 二万の兵、というのはほぼ確定なようなのだ。奴隷を含めれば最低でも二万二千。下手をすれば二万五千人から三万人近い人が目の前にいる。


 そんな男共を一か所にまとめておく。


 むしゃむしゃと食糧を消費し、汗臭さと糞尿をまき散らし、衛生環境を悪化させる。

 この盆地には娼婦も呼べず、軍団内の風紀も乱れかねない。


 もちろん、これらはアレッシア軍にも当てはまることではあるが、ディラドグマ殲滅戦を経験させた兵だ。風紀に関しては、厳しい規律と自制心がある。それに、周囲を包囲していると言うことはこちらはまだ娼婦なり男娼なりを呼ぶことは不可能では無いのだ。


(時間稼ぎか)


 そうなれば、こちらが執るべき策は。


「香の類はどういたしましょう。エスピラ様はお持ちでは無いですよね」

「ああ。メルアが嫌がるからな」


 エスピラが焚くと思いっきり噛みついてくるくせに、自分が焚くことはあるのだが。

 下手をすると顔を引っ掛かれそうになったことがあるため、エスピラは香を所持すらしていない。


「カナロイアに頼みましょうか?」


 シニストラが聞いてくる。

 エスピラはシニストラの方を見ず、地図に目を落とした。ただし、見てはいない。


「まあ、戦地に居るのだからな。無くても良いだろう。いや、無しで行こう。正装もしない。わざわざ兵も並べない。君と、ソルプレーサだけで良い。後は参加したい者だけ、と言って来過ぎると問題だな。他は最大でも五名ぐらいで良いか」


「良いのですか?」


「文化を知っていることも芸術に関する知識も披露した。恩情も見せた。その中で向こうが馬鹿にしてきたのだ。こちらも相応の態度で臨むと見せるには丁度良いかもな」


 答えて、エスピラは外に出た。

 丁度今日の長距離行軍訓練を行っていた者達が水浴びを終えたところなのか、これからの作業の確認をしているのが目に入る。


「カルド島はハフモニの手に落ちた。トュレムレは維持できるとしても、半島南部の西側はマールバラに奪われるだろう。戦況としては、単純に見れば悪化したか」


「エスピラ様」

「気にするな」


 シニストラにそう返すと、エスピラは傷病者用の区域に向けて足を進めたのだった。


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