軍団長補佐
グライオは優秀な人材である。
そんなことは、きちんと国家運営をしているエリポス人なら誰でも分かっているはずだ。
もちろん、メガロバシラスも。
故に、派手な見送りは出来ず。夜中に、ひっそりと出て行く姿を見送るだけしかできなかった。
それでも、数日もすれば露見するだろう。グライオの担っていた仕事が他の人に代わって行けば隠すことはできないのだから。
だがしかし、その数日こそが体制を整えるのに最も重要な日数である。重要にしなくてはいけない日々である。
そうならないのなら、どうしてグライオを隠して見送ったのか。
グライオの担っていた任務は多岐にわたる。その中でも初動が大事なのは外交関係だろう。ジャンドゥール、アフロポリネイオに関してはグライオに一筆書いてもらい、エスピラが引き継ぐ。ジャンドゥールに関しては技術開発なのだ。エスピラが引き継ぎ、直接交渉するしかない。下手に既存の意識が強すぎる者、エリポスの兵器に意識が向きすぎている者では駄目なのだ。
アフロポリネイオに関してはすぐにマフソレイオに手紙を出した。関係改善に協力してもらえないかという要請である。同時に、エスピラが担当しつつもファリチェとリャトリーチと言う役職に就いていない者にもある程度の権限を投げた。
メガロバシラス軍と睨み合っていなければ、ルカッチャーノとジュラメントにしても良かったかもしれない。だが、その二人にあまり仕事を増やすわけにはいかないのだ。
そして、リャトリーチをエスピラが使うことで出来てしまったロンドヴィーゴへの抑えは、まずは息子であるジュラメントに手紙を書いてもらった。数日から十数日は大人しく成ってくれるだろう。
その間に、エスピラは妹、カリヨ・ウェラテヌス・ティベリに手紙を送った。
名目は戦車競技のチームを引き連れてディファ・マルティーマを戦争中の避難場所にできないかという相談。そのためにディファ・マルティーマに入る。
裏はもちろん、ティバリウスの権限の内の多くをカリヨに握ってもらうこと。出来なくても、ロンドヴィーゴの権限を侵してもらうこと。
アレッシアに手紙を送り、カリヨが受け取り、日程を調整してディファ・マルティーマに移動する。
確かに時間はかかる。数日では到底片付かない。月単位だ。
しかし、エリポスでの変事を聞きつけて敵が動こうとしても同じくらいはかかる。
なるほど。最速で相手が聞きつけたのであればエスピラの方が、カリヨの方が時間的に厳しい。でも、最速で聞きつけられるのか? 手を打てるのか?
それもまた厳しいのだ。
新たに占領した三都市、カルフィルン、アブライカ、デラノールズはソルプレーサを軸にシニストラが文化的な側面を考慮する形で統治政策を引き継いだ。
そのほかの小国家群はアルモニアを多めに。エスピラも持ったが、此処はその内数人に割り振っていくつもりである。
戦場の外、大事な基盤の維持に目を向けたその後は戦場でのこと。
川を挟んでの滞陣は川向うにエスピラの指示がなくともエスピラと考えを共有できる人物が必至なのである。
ディラドグマ殲滅戦での第一陣、兵器開発、三都市との交渉。それらはグライオの担当だ。
そうなった場合、代わりを誰にするか。カリトンとアルモニアを組ませるのが一番だ。
では、その時に隘路の守りは?
誰に任じても、今よりも大きな不安が覆ってくる。
そのため、アレッシア軍は大きな作戦変更を行った。
と言っても、基本方針が持久戦なのは変わらない。大きいのは隘路などの敵の退路を塞ぎ、補給などを脅かす策から相手を砦内に入れて完全に身動きを封じさせる策に変えたこと。
現在のメガロバシラス軍は山と川の恵み。そして近隣住民と称した味方になる都市からの援助をアレッシア軍に補足されないように獣道などを通って運んでいる。
これでも細々としているのだ。
確かに、伝統的に一か月は保つだけの食糧をメガロバシラス軍は運ぶとは言え、長くは保たない。そこに、更なる長期戦への備えを見せつける。撤退を促す。
アレッシアに協力的か疑わしいエリポス諸都市に対しては建材となる木々の提供を求めるだけで済むため、人手はかかるが忠誠を示しやすい。
それと、実行するためにもまずはメガロバシラスへ退く最短経路の二つの隘路にルカッチャーノ、ヴィンド、フィエロ、ネーレを派遣して封鎖を固め始めた。カリトン、アルモニアの二人もそちらにいる。
「さて」
シニストラが返事をしないのを知っているが、エスピラは溢しながら戦場の地図を眺めた。
ある程度どこにどう砦を築くのか、どの工事から始めるのかは決まってはいる。
地図を再度眺めたのは、確認と、修正のためだ。
エスピラが自身の唇にゆるりと触れると、近づいてくる足音が耳に入った。
地図を見ながらも少しばかり聞く方に力を入れ、目的地がエスピラの居る天幕かを確かめる。
どうやら、目的地はこの天幕であっているらしい。
エスピラが腰を伸ばせば、エスピラ様、と声がかかった。一拍置いて幕が開く。
入ってきたのは軍団長補佐のピエトロ。明日からの第一陣の、縄張りを張ることを担当している部隊を監督する長だ。
「どうかしましたか?」
「此度のメガロバシラスとの戦いに関する用事ではございません。ただ、エスピラ様が仕事を抱えすぎるのはよろしくないかと思いまして」
「苦言だけなら誰でも言える」
シニストラが小さく、されどしっかりとピエトロに届くように吐き捨てた。
ピエトロの鋭い目がシニストラに向かう。
エスピラは左手を挙げてシニストラの前に出し、二人の諍いを止めた。
「そこで終わりでは無いのだろう?」
それからピエトロに話を振る。
「はい。ビュザノンテンの開発、私にグライオ様に与えていたモノに近い権限を預けてはくれないでしょうか?」
ピエトロの提案に、エスピラは動きを止めた。
鋭くはない視線でピエトロの目を見る。
「上の者が仕事をし過ぎるのは、いざと言う時に下の者の意見を聞きづらい体制であると思います。奴隷と同じ行いをするべきではありません。少しでも動きやすく、下の者を守るべく動ける状態であればこそ他の者も思い切った行動がとれると言うモノ。今の我らは、衝角が沈みかけた船にございます」
衝角は、海戦の主力武器だ。
船の前面についており、これを相手の船にぶつけることで沈没させる。
「マルハイマナの植民都市を見たのは私とシニストラ、そしてグライオだけだ」
「ビュザノンテンに求められているのは最低限の都市機能を残した軍事都市。マルハイマナからの侵攻に対し、アレッシアから援軍が送られるまでの間持ちこたえることができますが、敵対した時にアレッシア軍が落とせるような防御施設を持つ都市。
今の兵器開発は、ビュザノンテン完成後に落とすための兵器の開発でもあるのではありませんか? 二重の防壁と堀。これらを攻略することができるように。故に、道は広いが水道は設置せず。エリポスの様式を保つと言う名目でありながら芸術を排する。
そのような都市にすると考えてよろしいのですよね?」
ほう、とエスピラは目をやや大きくした。
「誰から聞いた?」
「自分で考えました。マルハイマナの植民都市の様子に関しましてはエリポス人や交易に来た者、そしてグライオ様から。私は、一年前にディファ・マルティーマで叱られておりますので」
エスピラは右手の親指で自分の顎をなぞった。
ピエトロはエスピラよりも都市開発、建築の経験がある。突飛なことをするわけでは無いし、ビュザノンテン改築の目的を理解していると言えるだろう。
(任せてみるか?)
他に、ピエトロに積極的に任せたい仕事が無い、という事情もあるが。
それを抜きにしても、やる気があるのであれば任せるのが良いだろう。
「分かった。頼んだぞ、ピエトロ」




