片腕の喪失
「非常に癪だが、やはり、この軍団から誰かを派遣するしかないだろうな」
重くエスピラが呟く。
「それは、派遣する兵の数を減らすため、ですか?」
「ああ」
エスピラはジュラメントの言葉を肯定した。
「私が行きます!」
少し躊躇ったような様子でジュラメントが大声を上げた。
「父の失態を拭う責任もありますし、何よりディファ・マルティーマで徴兵した部隊ならば私は長として認められやすい立場にあります」
硬く握られ、張りつめたように伸び切った腕でジュラメントが続けた。
イフェメラの目が正面に戻る。
「あまりこういう事は言いたくないが、ジュラメントじゃあ無理だ」
「何をっ!」
イフェメラの言葉に、誰よりもジュラメントが強く反応した。
「トュレムレに兵を入れたくはないが、入れざるを得ない状況なんだ。兵を連れて行くことを前提にしているようじゃダメなんだよ。
それに、攻城戦は苦手だろうが、それでも相手は怪物マールバラだ。そんなの相手に、バラバラの部隊で師匠が帰るまでの二年間トュレムレを守れるのか? 守れなかったら、余計に人を割くことになるんだぞ?
友としてジュラメントの力は認めているが、マールバラ相手じゃ荷が重い」
イフェメラが感情をかみ殺すように、それでも溢れ出た声をジュラメントにぶつけた。
誰も、イフェメラの意見を否定しない。
「でも、納得するような人選じゃないといけないだろ?」
ただ一人、ジュラメント本人を除いて。
「納得する人選であれば、私ならば」
「裏切り者のナレティクスと見られて終わりですよ」
イフェメラがジャンパオロの言葉をも切り捨てた。
「伝え方には気を付けろ、イフェメラ」
この言葉には、エスピラも口を挟んだ。
イフェメラが小さく頭を下げる。表情は変わっていない。
「私に行かせてください」
そして、グライオが半身を中央の、空いている通路に入れて訴えてきた。
「駄目だ」
誰かの反応を待つ前にエスピラが反応する。
「エスピラ様。失礼ながら、未だ若いエスピラ様を本国に、半島に広く認めさせるためには建国五門の面々を軍団に加えて格を高めておく必要があります。ルカッチャーノ様、ヴィンド様、ジャンパオロ様は軍団に残しておくべきでしょう。
ディファ・マルティーマ近郊で徴兵した軍団とアレッシアで徴兵した軍団の均衡を保つためにもソルプレーサ様、フィエロ様、ジュラメント様を動かすわけにはいきません。
カリトン様、ピエトロ様の経験もまた必要になってきますし、アルモニア様の調整能力は軍団内外に重要になってきます。軽装歩兵だってネーレ様がもっともよく知っている。ネーレ様を欠いては軽装歩兵の運用に幅を持たせられなくなります。
シニストラ様やイフェメラ様、カウヴァッロ様など、エスピラ様よりも若い方々ではトュレムレに集まった兵たちも一発では納得しないでしょう。
やはり、私が向かうのが適任かと思います」
「私の作戦にはグライオが必要だ」
「エスピラ様が私を高くかってくださっているのは知っております。ですから、エスピラ様ならば私がベロルスの者三名を連れてトュレムレに向かうだけでも、エスピラ様が帰って来られるまで持ちこたえるとの約束を完遂できると信じてくれるものだと思っております」
感情的に口を開きかけて、エスピラは止めた。
周囲の空気は納得しかけている。グライオの言葉に。グライオの理屈に。
上が感情論だけで語れば、今後にも支障をきたす。
「君ならそれも、できるだろう」
絞り出したと悟られないように。
エスピラは、言葉を何とか紡いだ。
「エスピラ様。エスピラ様はディラドグマで軍団を精兵だらけに変えたはずです。この兵は、一人でも多くエスピラ様の手元にいるべきでしょう。今でさえ敵兵はこちら以上の数が居るのです。エスピラ様の言葉を借りるならば、兵は数。もう一つ借りるならば、この数は命を懸けることが出来る兵の数。
相手の二万全員がとは言いませんが、本国に危機が迫った時にメガロバシラスの兵数も大きく増えるでしょう。その時には、やはりこちらも数が必要。
私ならば、此処にいる兵を引き抜かずに済みます。トュレムレを守れます。エスピラ様に与えてしまう損害を最小限にしたまま、トュレムレを守って見せます」
「優秀な将もまた得難いものだ」
「しかし、優秀な将だと他者が判断してくれる者でないとトュレムレを守り切れません。南方諸都市に援軍を出させないのは無理でしょう。その隙にマールバラが落としていくのを防ぐことも厳しいでしょう。そうなった以上、トュレムレを落とされるわけには参りません。トュレムレが落ちれば、ディファ・マルティーマの攻略に取り掛かれますから。今のディファ・マルティーマでは時間稼ぎしかできません。下手をすればメガロバシラスと睨み合っている状態で、こちらから背を向けなくてはいけなくなります。
そうなってしまえば、メガロバシラスを抑えることが遠ざかってしまうでしょう。
ベロルスの約束は、ウェラテヌスにとっては信じられないことと同義かもしれませんが、父祖と神々に誓って、アレッシアとエスピラ様のためにこの身を捧げております」
(アルモニアが居れば)
グライオを、押しとどめてくれただろうか。
説得してくれただろうか。
(いや)
きっと、説得されたのはエスピラの方だ。
そんなこと、理性は分かっている。
「太陽の居ない場所を照らすのが月の役目。エスピラ様と言う太陽が照らせない場所を照らす、そんな月のような役割を私にお命じ下さい」
グライオの信奉する神は月の女神。
そんなこと、エスピラはカルド島の頃から知っている。
「ベロルスは、まだ追放されている身だ。どうやって兵を説得する?」
我ながら苦しいと思った。
グライオならば、絶対に説得に成功してしまう。そう、エスピラが誰よりも分かっているのだから。
「私は三年間の軍事命令権の保有を認められたエスピラ様に、アレッシアきっての名門であるウェラテヌスの当主に認められて軍団長補佐筆頭になった身です。それが実力を証明する何よりの証左。
何より、此処に集まったのは元々誰が命令するかではなく誰から守りたいかで集まった者達。纏まり難いのは初めから分かっていたこと。誰が指揮を執っても文句が出るのも分かっていたこと。ならば、立場があり、後ろ盾があり、元老院から追放されていて手柄を独り占めなどできないベロルスの者である私がまとめるのが最も素早くマールバラへの対処に全力を割ける決断になる、と」
エスピラは、小さく二度頷いた。
「そうだな」
少し、力なく。
止めることは、不可能だなと。
「言葉では、何とでも言えます。だからこそ、私は行動で証明しましょう。カルド島の夜に誓ったように。これまでも。これからも」
グライオが力強く言い、それ以上に力強い視線をエスピラに合わせてきた。
(これからも、ね)
エスピラは、ゆっくりとまばたきをした。
「分かった。トュレムレには、君を向かわせる」
「我儘を聞いてくださり、ありがとうございます」
グライオが深々と頭を下げる。
エスピラは息を深く吸った。
匂いはほとんど感じ取れない。汗臭いはずなのに、ある程度、臭いの籠ってしまった場所のはずなのに。
「やるからには、と言おうと思ったが、グライオには言う必要が無いな。頼んだぞ」
「は」
エスピラは視線を落とし、右手を強く握った。
目を閉じて、そして開いて。手からも、力を抜いて。
再び、意識をグライオへ。
「アレッシアに、栄光を」
「祖国に永遠の繁栄を」
「君に、月の女神と運命の女神の加護を」
「ウェラテヌスに、沈むことの無い太陽を」
誰も、エスピラとグライオの誓いの間には入ってこなかった。
グライオと再度目が合い、そしてグライオが辞去していく。
すぐにでも荷物をまとめ、ディファ・マルティーマ、そしてトュレムレへ。
それが、最善の行動だから。
(とはいえ)
エスピラが立てた作戦の中で、トュレムレへの救援は最も生還率の低い任務になるだろう。
敵は天才マールバラ。
アレッシアきっての軍略家であるペッレグリーノを破り、アレッシアで最も権力を握った男であるタイリーを敗死させた。
独裁官となったサジェッツァにも勝ち、自身の軍団を大きく上回る八万を超える軍団に少ない被害で大勝利を修めた怪物だ。
マルテレスに負け、うまみのある勝ちを拾えなくなったとしても戦いにおいては最上級の警戒をしてもまだ足りない。そんな相手。
(考えても仕方が無い)
次の作戦を。グライオが居なくなったことであらゆるところを練り直さねばならないのだから。
「さて」
言って、吸い込んだ空気にはやっと匂いが混じり始めて。
暑さもしばらくぶりに感じながら、エスピラは口を開いた。




