殴り合い(さぐりあい)
「キンラ様の前で言うことではないと思いますよ」
エスピラはやんわりとシズマンディイコウスに返す。
此処で否定すればキンラに全権を渡しかねない。肯定すれば簒奪の意思を高らかに宣言してしまう。しかし、反応しなければ強制的に家族ごっこの開幕だ。
「あいや、これは失礼。すまなかったな、キンラ」
「構わないよ。誰でもそう言うだろうさ」
(敵か味方か)
少なくとも、キンラとシズマンディイコウスは完全に思いを一致させている訳ではなさそうだ。
エステリアンデロス、現ビュザノンテンが大事な立地だと言うのは此処にいる者は皆分かっている。その土地を所有することがどういう事かも。そして、維持には最早他領域の力が必要だと言うことも。
「いやあしかし。エステリアンデロス、いや、もうビュザノンテンと言うべきですか? 兎も角、メガロバシラスはおろかマルハイマナをも刺激すると知りつつこの都市を要塞化するとは。キンラもエスピラ様も思い切ったことをされますなあ。いやいや、それほどまでにアレッシア軍に自信があるのか、あるいはマルハイマナとの関係に自信があるのか」
す、と食事の並んでいる寝台のような場所に案内しながらシズマンディイコウスが言う。
「マフソレイオとの関係に自信があると言うべきでしょう」
こちらからも仕掛けるか、と思いつつエスピラは言った。同時に、寝転がって食べることもやんわりと拒否する。
「エスピラ様。不慣れかも知れませんが、エリポスではこれが普通のこと。この機会に慣れては如何でしょうか?」
キンラが言う。
「アレッシアでもエリポスの方式で晩餐会を行っている一門は存在いたします。ですが、私はウェラテヌス。アレッシア建国五門の一つ。誇りと言うモノがございますので。これは、最愛の妻の父の前でも変えることはありませんでした」
声だけは至極丁寧にエスピラは言った。
「形式が二つ交ざるのも、また新しい関係としてよろしいのではありませんか?」
エスピラとキンラの静かな殴り合いを止めたのはシズマンディイコウス。
互いに同意して、エスピラやシニストラ、ソルプレーサは座って。キンラとシズマンディイコウスは寝っ転がって食事の前についた。
「そう言えば、紹介が遅れてしまいましたが、こちらが私の被庇護者にして優秀な軍団長のソルプレーサ。もう一人は妻の縁者にして文武両面で私を支えてくれているシニストラです」
エスピラの紹介中にアグネテも食事の前についた。ただし、寝っ転がってではなく、座って。子であるディミテラも同様に。
(ある意味図太いと言うべきか)
幾つも釘は差したと言うのに。
「いやあ、エスピラ様は優秀な者に囲まれていて羨ましい限り! つい先日もマフソレイオから支援があったとか。食糧や武器だけでなく、此処を守るための建材も運び込まれていたと聞いております。手紙しか送ってこない本国以上の手厚い支援ではありませんか?」
シズマンディイコウスが奴隷に酒を注いでもらいながら上機嫌で言ってくる。
エスピラは前菜に白身魚が使われており、酒もリンゴ酒が用意されているのを確認しながらも、笑顔を崩さないよう努めた。
「マルハイマナとの交渉もありましたので、イェステス陛下には大いに気に入られているだけです。国としてアレッシアに協力してくださっているのも有りますが、どちらかというと個人的な関係に支えられている支援ですよ」
エスピラのグラスにリンゴ酒がなみなみと注がれた。
エスピラは探るような瞳をリンゴ酒に向け、香りを堪能する。
「個人的な、ということはマフソレイオはまたすぐにでも建材を?」
次に聞いてきたのはキンラ。
「いえ。陛下にも国との都合がございますから。追加を求めてもすぐにとはいかないでしょう。それに、建材も防衛用の物はほとんど揃いましたので、後は組み立てるだけ。奴隷がしっかりと学んで素晴らしい設計を書き起こしてくれておりますから。文字の読める者と一緒に監督させればすぐにでも完成しますよ」
奴隷への褒美を何か考えないといけませんね、と言いながら、エスピラはリンゴ酒を口にした。時季外れ故か、少しだけリンゴ本来の旨味が消えている。
「しかし、これほどまでに他国と仲良くしていれば、本国から何か言われませんか?」
キンラが重ねてきた。
「許可は取っておりますよ」
それが軍事命令権を保有する前になのか、それともビュザノンテンを建設するにあたってなのかは言わないが。
「まあまあ。難しい話はこの辺りで。今日はエスピラ様を労うためでもあるのですから」
またもや途中でシズマンディイコウスが入ってきた。
「シズマンディイコウス。エスピラ様は忙しい身なのだ。街を管理している私ですら中々会えないほどにな。だからこの間にただ互いのことを知るだけではなく、これからの街の方針も話し合う必要があるのだ。分かるだろう?」
「申し訳ございません」
エスピラは爽やかに、軽くだけ謝っておく。
「お気になさらずに。エスピラ様が昼夜分け隔てなく働いているのは良く存じております。まさにアレッシア人の美徳の様だ」
(奴隷のようだ、の間違いじゃないのか?)
キンラの言葉に、エスピラはそう思った。
アレッシア人もエリポス人も、その仕事の多くは奴隷に任せることが多い。
その間に自分は交流を持ったり、芸術に触れたり。一日の多くを仕事に費やすことはほとんどない。
そして、キンラが見て来たアレッシア人の多くは奴隷だ。朝から夜まで働かされているか、そうでなくとも午前中だけではなく午後も働いている。
「そんなに忙しいのであれば、それこそ落ち着けるひと時が必要だとは思わないのか?」
シズマンディイコウスが「なあ」と娘に同意を求めた。
同意を求められていたアグネテがたおやかな笑顔でエスピラに会釈した後、父の方に顔を向ける。
「お父様。叔父様と勝手に話を進めること自体、エスピラ様を困らせているだけではありませんか?」
美麗な声。
ただし、喧騒の中でも良く通って聞こえるような。
「ううむ。申し訳ない。しかしだな、エスピラ様が娼館に行ったと言う話は聞かない。いや、一回も行っていないと言う話ばかり聞く。しかし、子が七人もいるのだ。欲求が無いわけではないだろう? なあ」
「お父様。あまり、踏み込むべきではありませんよ」
アグネテが少しだけ強めの声を出した後、エスピラに申し訳ございませんと謝ってきた。
エスピラも「構いませんよ」とだけ貴婦人に受けの良い笑みで返しておく。
「男であれ女であれ、大事なことだろう? お前だってそうではないか。もう十一年。誰か良き人は居ないのか?」
「お父様」
今度は先ほどよりも強い声がアグネテから出た。
「皆様の前ですよ」
アグネテの言葉の後、シズマンディイコウスが目を大きくした。エスピラに目を合わせ、そして小さく困ったような会釈と共に食事に手を伸ばす。
「いやあ、これは申し訳ない。死別して十一年。娘ももう女盛りだと言うのに、良き話が無くて。我がことながら娘の美貌はまさに神が与えし最高の能力。これだけでどんな良縁とも結びつけると勝手に思っておりましてね。だからでしょう。これまでは良き縁だと思うものに出会えて来なかったのです」
それから、シズマンディイコウスがディミテラに目をやった。
アグネテがディミテラに話しかけるようにして彼女の気を逸らしている。
その隙にシズマンディイコウスがエスピラの方に身を寄せて来た。
「孫には申し訳ないのですが、正直最初の男にやるのももったいなかったのです。ええ。ディミテラと言う唯一無二の秘宝を手に入れられたのは良かったのですが、あの男ではどうも才覚が。何せいざと言う時に困難に立ち向かう気概が感じられなかったのです」
小声で言って、シズマンディイコウスが離れていった。
(そう言う作戦ね)
と思いつつ、エスピラはそれとなくキンラの様子を窺う。
能面、とまではいかない。一応、口角は上がっている。ただし、張り付けたように。
義兄弟で、片や名目だけの街の長。片や大きな土地を領有している有力者。
ほどほどに手を組めるのであれば良いのだが、猜疑心が邪魔をする。
そんなところだろうか。
(しかし、容貌を気にしている者の前で容貌について語るとは)
エスピラにとって最大の障害になるのはキンラとシズマンディイコウスが組んだ時。
エスピラは、キンラと親しい奴隷の顔を幾つか思い浮かべた。




