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良き友人であろうね

「受け取れません!」


 ジャラスが慌てて頭を下げる。

 未練など無いように、すぐに布から目を切っていた。


「君個人への気持ちだよ」

「しかし!」

「誰もが受け取っている」

「私は受け取っていません!」

「国への忠誠心があるなら、何故自分が使者に選ばれたかぐらい分かっているだろう?」

「少なくとも、懐柔されるためではありません」

「その通りだ」


 エスピラが肯定すれば、ジャラスの勢いは止まった。


「一度目は何の官職も無い私がハイダラ将軍と面会出来た。二度目はマフソレイオの王の代理としてエレンホイネス陛下にお会いした。昨年は最初から将軍も居た。その後に陛下にもお会いした。で、今は君か? 植民都市の一財務官。前法務官として軍事命令権を持つ私に? 君の才、忠誠心は確かに立派な者なのだろう。だが、あまりにも格落ち過ぎないか? せめて、君に何か、付加価値を持たせるのが普通ではないのか?」


 動揺なくジャラスが口を開く。


「それは、陛下がエスピラ様がそのようなことで判断をされないと考えてのことでしょう」


「良く口が回り、忠誠心がある。だが、あくまでも代わりが利く立場の人間。そのような者を使う時の理由は何だ?」


「開戦の使者、でしょうか」


 ソルプレーサが『如何にも』な声で入ってきた。


「和平条約はまだ八年生きております」


 ジャラスが言う。


「そちらが破りかけたがな」

「しかし、それを言うのであればエステリアンデロスを奪ったこともまた条約に抵触するのではないでしょうか?」


「地峡の地域を黙認すると言っただけだ。こちらが奪わないと約束はしていない。それに、ここはもうエステリアンデロスではない」


 ジャラスの口元が引き締まった。

 顎も少し引かれている。


「では、なんと?」


「ビュザノンテン。解放都市との意味を籠めた、植民都市ビュザノンテンだ」


「植民、都市」

「アレッシアと国境が接したな、マルハイマナよ」


 余裕の笑みで口角を上げ、エスピラは続ける。


「ディティキ、ディラドグマ、ビュザノンテン。エリポスを横断するアレッシア領だ。一前法務官の権限で、そんなことが出来ると思うか?」


 前法務官の権限で好きかってやっているのが事実だが。

 元老院は、まだこのことを知らない。



「三方を海に囲まれ、陸地側も十分に堀と壁を張り巡らすことが出来る。その上、長距離射程の投石機が周囲を睨み、有事になれば港を利用して多くの物資を溜めることが可能だ。


 立地としても地峡を睨むことができ、敵対意思がある者が東方から押し寄せればその補給線を絶つことが出来る。略奪も、ディラドグマとエテ・スリア・ピラティリスを抑えている以上はその範囲を狭められるのだ。


 まあ、だからこそエレンホイネス王はすぐさま使者を送ったのだろう?」



 ジャラスが顎を引いて眼光を冷たくしたまま口を開く。


「ですが、今のアレッシアに植民するほどの余裕は無いはず。エスピラ様の軍団も、いずれは半島に帰りましょう。文字通りの防御力を発揮できるとは到底思えません」


 エスピラは鷹揚に頷いた。


「そうだな。しかし、ジャラス。アレッシア兵は、果たして私が連れて来た者だけか?」


 ジャラスの眉が少し寄った。

 背筋は真っ直ぐのまま。拳は軽く握られている。口は閉じられて。


「マールバラが売った先。その多くはエリポスだ。アレッシア人奴隷が、数多く居るのは此処だよ、ジャラス」


「一つ一つ解放していくのでは、到底数は集まらないと」


「誰が一つ一つ解放すると言った? 私か? いや、違うな。解放するのは私ではない。奴隷を持っている者自らだ。ディラドグマは、この世の光景ではなかったぞ」


「国家が解放すると? そんな、まさか」


 ジャラスの反応を見て、エスピラはこの者が多くの情報を持ってはいないなと判断した。


 それがマルハイマナと言う国家としてなのか、この者の立場上なのかまでは見抜けない。


 しかし、少しでもエリポスに精通していれば商人やアカンティオン同盟が奴隷の解放を目指して動いていること、実際にその数が二千人に上っていることぐらいは分かるはずなのだ。


(その程度の使者か)


 ジャラスの実力が、ではなく。マルハイマナがアレッシアに向けられる労力が。


「いえ。例え奴隷を解放し、アレッシア人を増やしたとしてもエステリアンデロスの民がアレッシアの植民都市になることを認めるでしょうか?」


「そうだな。私が敵国ならそこを突く。内部から反乱を起こし、門を開けられるようにエステリアンデロスの民とコンタクトを取るとも。君も、そうするために来たのではないのか?」


 ジャラスの瞬きが止まった。

 表情は変わらないが、止まった瞬きが再開したのは少しして。ゆっくりと。回数もやや増えて。


「まあ、そんなことは誰もが想像のつく、平々凡々なことか」


 エスピラも、心の隙間に染み込んでいくように、水滴が服に広がるかのように。声を出した。


「とはいえ、人は見たいモノだけを見る生き物だ。そんな平凡なことをエレンホイネス王が仕掛けないとしても、果たして皆はそれを信じると思うか? 皆が信じないものが正解だとしても、それが事実になると思うか?


 残念ながら、そうはならない。特にエリポス系の人には、エリポス人優位主義とでも言うような意識がこびりついているようだからな。今だって、アレッシア軍を利用した気になっている者が多い。その軍事力を都合の良い時だけに利用できると思っていたからこそディラドグマの一件で多くの者が口をつぐんでいる。


 愚かだとは思わないか? ジャラス」


 数瞬おいて、ジャラスが渇いたような笑いを浮かべた。

 演技が入っているのだとは、エスピラならずともエリポス人と付き合ったことがある人ならば分かっただろう。


「ご尤も。アレッシアとハフモニの争いが片田舎の獣の争いだと思っているような者は多いようですが、その実、繰り広げられているのは覇権争い。勝った方がエリポスに手をかけるだけのこと。故に、今、エリポスに拠点を増やされるとマルハイマナは困るのです。当然、他の大国も思いは同じにするところでしょう」


「貴方に国家の決定権が無い以上、駆け引きをしても無駄ですよ」


「使者として来ている以上、私にも権限はあります」

「先の条約破棄を貴方の一存で決められると?」


 ジャラスの口が結ばれたまま動かなくなる。

 目は小さく細かく動き、言葉を探しているようだ。


「いやはや、残念だよ。これではどこからどう見ても、君は内部から崩壊させようとするために派遣された者にしか見えない。口が上手くても扇動するため。地位が低いのも切り捨てるため。あるいは、最初は低く、交渉の途中で実はと出してイメージをひっくり返すため。

 そうなれば、これ以上は話さない方が互いのためじゃないか? 君も、此処に来た以上は時間が無いだろう? こうしている間にも噂は広がってしまうのだから」


「脅しているつもりですか?」


「君の身を案じているつもりだよ。この軍団は自分で考えて動いて良いと、ある程度の権限を全員に分け与えているからね。ああ、この情報も中々に機密度が高い情報だ。陛下に伝えても良いが、此処では知らないふりをした方が良い」


「エスピラ様。お手柔らかにと言われていたのでは?」


 ソルプレーサがアレッシア語で、いつもより遅く言った。

 ジャラスの目はソルプレーサの言葉に従って僅かに開かれる。


(アレッシア語が分かる者か)


 程度は知らないが。

 だから、マルハイマナの言葉に切り替えても反応が薄かった。もちろん、知っていた可能性も高い。


「そうだったね。ジャラス君。話を戻そう。あの服を受け取ってくれるかい?」


 マルハイマナの言葉で言いつつ、エスピラはゆっくりと左手を先程の賄賂に伸ばした。


「もちろん、無理強いはしないとも。ただの気持ちだからね」


 笑顔も、しっかりとジャラスへ。


「ああ、そうそう。不安だと言うのなら先にアレッシアからの気持ちを表明しておこう。条約を破棄するつもりは無いと。そして、エリポス人奴隷も数百人君たちにあげるよ。残念だけど、これ以上は無理なんだ。駆け引きではなく、本当に、後はあげられるものは無い。強いて言うなら交換になってしまうが、土地の割譲の権限は無いんだろう? 私も、いちいち陛下を呼び出さなくてはならないのならマルハイマナに使う時間なんてもう無いんだ。こう見えても忙しい身でね。


 ああ、忙しいのはそちらも同じか。


 東方では植民都市の建設が進まずに大変なんだろう? 反乱が起こりそうだと言うのに、エリポス系の人が全然いないと。いやあ、本当に大変だ。なんで鎮圧してもすぐに反乱が起きてしまうのだろうね。まあ、私も人のことは言えないか。どうせ、エリポス人は私たちに刃を向ける。互いに大変だろう。その思いも込めて、此処から近いクリマティンシスモズの友人に、気持ちを上げたいんだ。言葉じゃあ上手く伝わらないからね。


 受け取ってもらえるかな?」


 そして、エスピラはもう一度笑みを深めた。

 ジャラスの顔が下に行く。手の震えは無い。手自体が見えない。


「………………喜んで、受け取らせていただきます」


 全く言葉にそぐわない声でジャラスが言った。

 エスピラは手を合わせ、過剰に喜んで見せる。


「気持ちが通じて嬉しいよ。是非とも、良き友人でいようね、ジャラス君」


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