対ディラドグマ開幕戦
「お待たせいたしました」
その言葉に、エスピラは顔を上げた。
「こちらこそ急に呼び出してすまない。不都合は無かったか?」
「エスピラ様の仕事量に比べれば、私などは商人との都合をつけるだけ。家に居る時とさほど変わりませんので」
「そんなことは無いだろう」
笑いながら、エスピラはアルモニアの前に酒を置いた。
「副官として、散らばっている軍団のまとめも担当してもらっているのだ。おかげで私はエリポス諸都市、諸地域に集中できているよ」
エスピラの言葉を聞きながらアルモニアが酒を煽り、丁寧に返してくる。
「此処までの伝記も書き、アレッシア本国との繋がりもエスピラ様任せ。比べ物にはならないでしょう」
「そこは趣味に近い領域だ」
「戦意高揚が目的だとしてもですか?」
「読めない人の方が圧倒的に多い」
アレッシアは識字率が高いとはいえ、口伝によって広がる方が圧倒的だ。
そもそも、書いた物は誰かが書き写さない限り増えることは無いのである。
「まあ、その話は置いておこう」
話題を切り上げ、エスピラは話題の中心となるべく鎮座している地図に目を向けた。
アルモニアが来る前から地図を囲っていたのは軍団長であるソルプレーサと騎兵隊長であるカリトン、そして軍団長補佐筆頭のグライオとシニストラ。
と言っても、シニストラは少し離れたところ。基本的にエスピラの後ろを守るように立っていただけであるが。
「ディラドグマ領のエテ・スリア・ピラティリスに去年の海賊が入った。裏でメガロバシラスが手を引いているのは知っている。此処を、解放しに行く」
「それは、港湾都市の安定のためにその後もアレッシア軍が居座ると見ても?」
「致し方ないだろうな」
アルモニアの疑問に、エスピラはさらりと答えた。
「船をディティキから連れてくることは出来ない以上は海に逃れられた海賊を追う術はない。街を守るためには良港であるエテ・スリア・ピラティリスの守りを固めるしか無いさ」
「正当な理由ですね」
エスピラの方も見ていたアルモニアだったが、エスピラと同じぐらいに淡々と、白々しく同意を示してきた。
「オリュンドロス島攻略は海賊退治が大義名分だ。それは多くの国が認めている。今回も同じだと言うのに大きく否定はできまい。否定することは即ち自身の益にならないことは拒否するのと同意だからな」
例え、オリュンドロス島攻略がマルハイマナやメガロバシラスからの影響力を下げることだったから同意しただけだとしても。
「加えて、ドーリスは黙認、カナロイアは海賊退治を積極的にしてくれと言ってきた立場。ジャンドゥールはやはり戦争によって益を得て、アフロポリネイオはこの戦いが正しいとという占いの結果を出す。これを基に他の国々へも工作を仕掛けるつもりだ」
「商人への工作を私がすればよろしいのでしょうか?」
アルモニアがカリトンとグライオを見てから言う。
「もちろんそれもやってもらえることに越したことは無いが、君に一時的な軍事命令権の代行をお願いしたい」
「それは」
「まあ、事後承認になるな」
エスピラはアルモニアの言葉を遮って言い切った。
「だが、エテ・スリア・ピラティリスにはアレッシア人奴隷もいる。一人でも多くのアレッシア人を解放するためならば元老院も否とは言わないさ」
「アルモニア様」
エスピラの言葉の後にソルプレーサがアルモニアを呼んだ。
「エスピラ様も無理にとは言っておりません。そうなった場合は私が代わりに行くだけのこと。アルモニア様にはこれまで通り、そしてこれからも折衝を担当してもらうことになります。軍事功績を与えたいと言うエスピラ様の親心というだけでしょうから。無理をすることが一番望まれている行動とは離れている行いになります」
「……断る気はございません」
アルモニアが言う。
「良かった」
とエスピラは安堵したかのような笑みを浮かべた。
「ソルプレーサはああ言ったが、正直、未だに纏まり切らない軍団を纏めるにはアルモニアが適任だったからな。立場を優先させるなら次点はソルプレーサだが、ソルプレーサは貴族連中を納得させるだけの実績と官位に乏しい。その点、君は護民官をしっかりと実を持って務め上げた。副官がまとめるのは私も行ったこと。理解は得られやすい。何より調整が上手いアルモニアが最も適任だと思っていたんだ。本当に助かるよ」
「お褒めの言葉、恐悦至極にございます」
「本心さ、アルモニア。じゃなければ副官と言う大事なポジションに君を指名してはいない。
それに、カリトン様の前で言うのは申し訳ないが私は軍事命令権を保有するにあたって元老院にアルモニアとソルプレーサ、シニストラ、グライオ、イフェメラ、そしてカウヴァッロを軍団に加えてもらえるように頼んでいる。是が非でも欲した六人の内の一人だよ。私はアルモニアの実力を高くかっているとも」
マルテレスも欲していたことは、言う必要が無い。
「さて。また話が逸れてしまったね」
言いながら、エスピラは地図の上、アフロポリネイオに置いていた石たちを動かした。
「アルモニアには一万二千八百を率いて先行してもらう。と言っても、いないのは私とソルプレーサ、シニストラ。加えて、ステッラやレコリウスなどの私の被庇護者である百人隊長たちだ。投石機なども持ち運べる形にして持って行ってもらって構わない」
「食糧も全て運ぶ形でしょうか?」
「いや、高速機動の時と同じように兵一人一人に三十日分の食糧を持たせて移動させてくれ。一部奴隷に多めに持たせるが、長期戦に備えた分は私が輸送しよう。だが、行軍速度は一日二十を出してはいけない。平野なら構わないが、十五までを目安にしてくれ」
高速機動を用いるのならば、もっと速い速度も出せる。
軍団で最も遅いのは食料などの輸送部隊なのだ。そこを置いていけるならば、エスピラの下でひたすら行軍訓練をさせられているこの軍団はもっと速い速度を出せる。
「かしこまりました」
何のためかは聞いてこず。おそらく推測だけしてアルモニアが返事をした。
「それから、エテ・スリア・ピラティリスでは陣の設置場所に気を付けろ。あそこは、一日の中で海の範囲が大きく変わる。アルモニアならば心配いらないが、地元の者を多く味方につけておくべきだろう」
エスピラはカナロイアにある石も幾つかつまみ、アフロポリネイオから移動させた石に合流させた。グライオがジャンドゥールに置いてある石の一部も移動させて、エスピラが合流させた石たちに合流させる。
「最終決定は全てアルモニアに任せる。だが、グライオ、カリトン様と良く相談するように。それと、イフェメラやカウヴァッロの提案した策は積極的に検討してみてくれ」
そして、合流した石たちをエスピラはアルモニアに任せるようにして、少し地図から離れた。
アルモニアが石に手を伸ばす。
「天候に恵まれれば十五、六日といったところでしょうか」
言いながら、アルモニアが石を一つ、地図上のルートを通って集合地点からエテ・スリア・ピラティリスまで運んでいる。
「そうなるな」
アルモニアの見立てを、エスピラは肯定する。
「行軍速度に制限がありますが、戦術機動となった場合はこの制限は無視しても良いと思ってもよろしいでしょうか?」
アルモニアが疑問を口にする。
「構わないとも」
エスピラはすぐに肯定した。
「スコルピオの使用許可は下りているのでしょうか?」
「使用どころか移動許可も出してはいないよ。ただ、投石機は自由に使ってくれて構わない」
「略奪はしても?」
「海賊に協力するのならば致し方ないだろうな。完全に禁止しては兵に不満が溜まるだけ。略奪と言う楽しみも与えないと酷だろう。だが、無用な略奪は避けてくれるとありがたい」
「いざと言う時に臨時給金を配るのは大丈夫でしょうか?」
「どの程度ひっ迫した事態かによるが、借金はお勧めできないぞ」
要するに、軍のお金では認められないと言う話だ。
「かしこまりました」
とりあえず、今浮かんだ疑問は解消したのかアルモニアが言った。
「行軍速度に制限はかけたが、進発までは制限をかけていない。すぐにでも全軍に準備させて行軍を開始してくれ。頼んだぞ、アルモニア」
「はい」
頭を下げたアルモニアを、グライオとカリトンに任せてエスピラは部屋を出た。
エスピラもエスピラで軍団を養うだけの物資を調達し、同時に正当化を本格的に進める。裏から表に出す。神殿に行く日取りも決める。
始めにジャンドゥール。続いてカナロイアとドーリスにも依頼しつつ自身はアフロポリネイオで神託を聞いてから物資の集積地へ。
そうして、エスピラが輸送隊を引き連れて進軍を開始したのはアルモニアらの出発から十日ほど遅れてのことだった。
そして、汗だくの使者が現れたのは、行程の半分も言っていない山中でのことであった。




