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マティ

 尤もらしい言い訳をつけて何かと遅くされるのは非常に嫌な手である。


 例えば漏れがあったら困るからきっちりと確認しただとか、毒が混入していたら困るから確かめただとか、道中で壊れていては元も子もないから武器の確認を頻繁に行ったとか。


 つまるところ、少しメガロバシラスと戦ったに過ぎないアレッシア軍団に物資の提供はしたくない、と言うことだろう。


 一部の都市国家同盟は『メガロバシラス憎し』で団結しているのか、アレッシアに非常に協力的だが、一方ではその都市国家同盟が嫌いな連中が対抗して遅延行為を行っている。

 だからと言ってメガロバシラスが憎い諸都市からの協力に依存すれば、必ずやメガロバシラスと決戦を行わなければならず、下手をすれば自分たちで戦場を選べない時もある。


 それが怖くて、エスピラはアレッシアにとって不利益な、アレッシアを舐めるような態度を取っている者達からの支援を打ち切れずにいた。


「本当に申し訳ない」

 と言いつつも、一度も物理的に頭を下げることの無かったエリポス国家の使者を笑顔で送り出し、エスピラは気分転換も兼ねて部屋を移動した。


 もちろん、次の約束があると言う実利的な面もある。


「良いのですか?」

 移動中にシニストラが聞いてくる。


「舐められたら終わりなのは理解しているとも。でも、今はまだ良い。油断させてから、一撃で息の根を止める。それに、少し不利になったらまた物資の供給量が減るだろう? ディファ・マルティーマからの補給では遠いしな。今は、少しでも量が欲しい」


 ディファ・マルティーマ近郊に訓練を兼ねて作った防御陣地のおかげで収量通りの小麦は貯まっている。だが、それをディティキに運び、ディティキから今いるジャンドゥールまで運ぶのは距離が長すぎるのだ。


 輸送隊を出して、輸送隊の食糧を賄って、輸送隊のための護衛をつけて。


 そこまでのコストを払うよりは周囲から貰い、マフソレイオからの支援を貰う方が都合が良い。


「苦労しますね」

「それを待っている者も居る、と言うことだ」


 エスピラは声量を落とした。


「メガロバシラスですか?」


 シニストラもエスピラに倣って声量を下げている。


「敵対する者だけでは無い。味方になりたい者も、困っている所を助ける方が恩をかけられるだろう?」


「困難に直面するのですか?」

「万事うまくいくことの方があり得ないからな」


「エスピラ様でも?」


 思わず、エスピラの顔に苦笑いが広がった。


「私を何だと思っているんだ」

「いえ。おそらく、更新が不可能なほどに若い内に建国五門の当主になられたので随分と大変な思いはしてきているのでしょうが、今もその、そう悪くはない展開にもっていっておられるので?」


「そう悪くはない、か」


 アレッシア本国でも、マシディリが『オプティアの書』の管理委員に任命されてしまっている。エスピラからすればいずれ、早いうちに通過させておきたかった役職ではあるが、マシディリは今年七歳。早すぎるのだ。


「ディラドグマやコウディドグマ、ファコス・ディ・ツェラマがスムーズに味方にならないのは予想できていたことでは無いでしょうか。ですから、エスピラ様は頻繁に手紙を送っていたのですよね?」


 ディラドグマ、コウディドグマ、ファコス・ディ・ツェラマ。


 いずれも、ディティキからマルハイマナとエリポス圏の地峡を真っ直ぐにつないだ時に主要な道路の近くに陣取っている国家群である。

 同時に、メガロバシラスからも微妙に離れているため、完全にメガロバシラスにつかずとも天秤にかけてくることができるのだ。


 どちらかが敵に回っても、どちらかが駆けつけてくれる。故に、条件を吊り上げられる。


 マルハイマナの動きを完全に封じるためにも、この状況はよろしくない。


 アレッシア軍が東に振られれば、海上に出るか南方を経由してエリポス西海岸に戻らねばならず、対メガロバシラスに於いても作戦行動を制限されるのだ。


「エスピラ様」


 エリポス語の黄色い声に、エスピラはすぐさま品の良い笑みを貼り付けた。


「どうかされましたか?」


 聞きつつも、エスピラは女性の手の中にあるマティ(目玉のような紋様のあるガラス細工のお守り)を認めていた。船に飾ったりする、航海の安全を祈るお守りから徐々に悪いモノ全般に対するお守りへと意味合いが変わって行っている。


 その中でも愛する者を僻みや妬みから守ると言う意味が強くなってきているのであれば、その後ろの意味合いも、ある程度推測はつく。


「あの、こちらを」


 ついに差し出されたマティを見て、どうしたものか、とエスピラは一瞬思案した。


 個人として受け取らないのは確定だ。そんなことするわけが無い。


「ありがとうございます。船に頼る部分も多いですから、貴女のような心清らかな乙女の思いが籠ったお守りは大変ご利益があるでしょう。嫉妬の感情もアレッシア軍には多く向けられておりますから。兵の皆も喜ぶと思います。


 独身の男が多いので勘違いされれば厄介かとは思いますが、そこは上手く伝えておきますのでご安心ください。ああ、いえ。もしも意中の方が我が軍に居るのでしたら、協力致しますので、貴女のようないじらしいかたに思われている男にまで脈無しとは伝えませんよ」


 僅かに迷った末に、やや説明くさく。文化文明を知っていると伝えつつも自分に対しては脈無しだ、心の美しい人であるならば貴方を評価していますよ、と。


 エスピラは予防線を張りつつ良い笑みで答えた。


 後ろの護衛や奴隷に軽くもてなすように伝えて、自身は目的地へと足を進める。


「娼館にも一度も行かない。貴婦人の誘いにも決して答えない。よもやエスピラ様の意中の相手は軍団内に居るのでは? と噂もございます」


 シニストラが小さく言う。


「そのお相手の有力候補は君らしいね。愛妻と同じアルグレヒトの血で、付き合いも長く、タイリー様と私のようにいつも近くに置き、良く引き上げている、と」


 それを言うならソルプレーサも条件に当てはまるのだが、年上の平民と年下の貴族はほとんどあり得ないとみなされるのが普通だ。


「私に対する評価としては好意的なものなのだろうが、シニストラにとっては良い迷惑だな。ロンドヴィーゴ様にはエリポス西海岸、ソルプレーサにはカナロイアを、グライオには此処、ジャンドゥールを任せているようには見えるが、シニストラは勇名と文化人としての資質で高く貢献していると言うのに」


「しかし」

「気にするな、シニストラ。君の実力は何より私が高くかっている。確かに昨年の戦いはグライオやソルプレーサに任せても良い戦果は出ただろう。だが、彼らにシニストラほど文化的な側面は無く、審美眼も無い。その差から生じるアレッシアに対する意識改革もシニストラでなくては意味が無いのだ。何より、君は私の家族自慢を嫌な顔一つせずに聞いてくれる」


 最後は茶目っ気たっぷりに。

 エスピラは振り向いて笑うと、再び歩き始めた。


 少しだけ遅れてシニストラもついてくる。


「師匠が弟子と関係を持つのは、弟子の力を認めているから、という側面もある。純粋に実力を評価しているが故に私の愛弟子は君なのではないかと思っているのかも知れないな」


「それは、光栄なお話です」


「とはいえ、妻の共有などは絶対にしないからな」


「そんな邪な気持ちを抱いていては、マシディリ様やクイリッタ様にあわせる顔がございません」


 シニストラがやや慌てたような口調で、早めの声で言い切った。


「冗談だ」

 エスピラは軽く笑う。


「メルア様のことになりますと区別がつきにくいので、冗談はやめていただけると幸いです」


 シニストラが安堵のため息交じりに言ってくる。


「安心してくれ。君にしか言わない」

「その……」


 シニストラの言葉が止まってしまった。


 歯切れの悪い雰囲気と、細かく首が動いているのであろう衣擦れの音がエスピラの下に届く。


「すまない。去年の記録をアレッシアに送った時にマシディリとクイリッタからは反応が返ってきたのだが、メルアは一言も手紙に添えてくれなくてね。少しだけ、むしゃくしゃしていたようだ」


「それは、心中、お察しします」


(真面目だな)

 と思いながら、エスピラは目的地の扉を開いた。


 中に居たグライオが頭を下げる。グライオの連れて来た男は遅れて小さく頭を下げた。


「お待たせして申し訳ありません。私がこの軍団の軍事命令権保有者のエスピラ・ウェラテヌスです」


 エスピラは先に名乗り、男に手を差しだしたのだった。


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