嫌な方々
「安心してくれ。借金が大量にあるとはいえ、現執政官であり友であるマルテレスからの借金だ。返済期限には大分手心を加えてくれているよ」
カクラティスの眉が僅かに動いた。瞼も一瞬だけ反応する。
マルテレスは猛将として既にエリポスにも話は伝わってきているが、やはりマールバラの方が評価は高い。そのマールバラに挑み続けるのはマルテレスだけ。
いつ死んでもおかしくは無いのだ。
そして死んでしまえば、建て直しのためにオピーマが借金の返済を求めてくる可能性は非常に高い。そうなれば、エスピラも死ぬ。
「まあ、私が死んでもマシディリだけは生かしておいてもらえるように頼んではあるけどね」
もちろん、これもマルテレスが死ねば意味は無いとカクラティスも知っているはずだ。
「あまり安心できないが、エスピラは私の子がかわいいといつもうるさいからな。そう言うのならそうしておこう」
奴隷の足音が近づいてきたのを認めてか、カクラティスが半歩離れた。
会場に残し、会議の再開が告げられたら呼びに来るようにと命じておいたのであろう奴隷がカクラティスに会議の再開時間が近いことを告げる。
「一緒に行くか?」の誘いに、エスピラは「もう少ししてから行くよ」と告げてカクラティスを見送った。
「会心の交渉だった。アレッシア、カナロイア双方にとってね」
エスピラはシニストラにウィンクをかまして告げ、背筋を整える。
シニストラが「おめでとうございます」と、感情の無い淡々とした声で返してきた。
「さて。どちらが早いか。やはり、私の方が早いと思うな、カクラティス。まだカナロイアは纏まらんよ」
ソルプレーサを甘く見てもらっては困る。
もちろん、邪魔をする気は無い。邪魔をするならば助言などしない。警告もしない。
突如剥いた牙でかみ殺すだけだ。
そして、エスピラの方に近づいてきていた奴隷の足が止まった。
その視線の先には、エスピラが先に足音に気がついていた者達。アフロポリネイオの大神官マディストスとエリポスの都市国家の一つ、ディラドグマの王アポオーリアが居た。
「これはこれは。その節は、大変お世話になりました」
エスピラは慇懃に腰を下げる。
シニストラは遅れはしたが、エスピラに続いてくれた気配がした。したは良いが、かなり不承不承であるとは良く分かる空気を醸し出している。
「いえいえ。馬も調教が行き届いていなければ暴れることがあるモノ。特に駿馬であればその気性の荒さもまさに野獣の如き。御せるのは選ばれた数名だけでしょう」
アポオーリアが、丁寧そうな声で、言った。
アレッシア軍とエスピラを馬鹿にする意思の込められた言葉選びである。
そうとは気づかないと思っているようでもあるが、流石にエスピラもシニストラもそこまで馬鹿ではない。
「如何に優秀な馬であれ、操れなければ害を為すだけ。そんな馬は肉に変えてしまうのが常でございます。さすれば、より文化的であらねばならない人間でも当然同じ処置をするべきでしょう。陛下。ディラドグマで最も重い処刑の方法とは何でしょうか?」
「エスピラ様。兵も人。大事な命です。そこまでされるべきでは無いでしょう」
止めに入ったマディストスに、エスピラは良い笑みを向けた。
「マディストス様。これは、アレッシア全体に関わる信用問題なのです。
わざわざ遠出し、ディラドグマの領域内でアレッシア兵が強姦を行う。一人の規律違反でアレッシアはエリポス全域から白い目で見られるのです。補給が滞り、敵視され、孤立し、野盗に襲われる。下郎が犯した罪一つでアレッシアの軍団全員が危険に晒されたのです。大事な命ならば、私は数が多い方を守ります。
それに、謝罪の言葉だけで襲われた側が納得いたしますか? 金品を払えば解決いたしますか? 国に逃げ込んで無かったことにできますか?
断じて否。金品を払うとはすなわち相手を娼婦と同じ扱いにすること。娼婦もまた自身の技術を磨いて金を稼いでいるのです。金品を払う行為は即ち被害者も娼婦も馬鹿にする行い。解決手段としては下々の策。
それに、これは軍記違反なのです。死刑が妥当。それ以外ありえない。
私としましては、こめかみに穴を開け、逆さに吊って見せしめも兼ねてゆっくり殺そうと思っております。逆さになったところでこめかみの穴から血が抜けますから。長い間苦しんで死ぬことになる、罪人への刑罰です。
もちろん、被害者の訴えが本当だったなら、ですがね」
「こうも証言があるのに疑ってくるとは」
処刑方法を聞いても顔色一つ変えずにアポオーリアが言った。
「随分と偏っている上に、実際の位置関係の曖昧な証言ですがね。とは言え、こちらは被害者から金品を持ってきていることは事実。兵たちは『貰った』『押し付けられた』と言っておりますが、盗んできたことの正当化かもしれません」
「良く分かっているではないか」
アポオーリアが頷く。
目はエスピラとは合っていない。マディストスは両者を取り持つように「まあまあ」と言って手を動かしていた。
「ディラドグマはアフロポリネイオと古くから親交のある土地。エスピラ様もマフソレイオからの信任が厚いお方。此処は一つ、私の顔を立てて穏便に済ませては頂けませんか?」
「そうですね。では、神にお伺いを立てては頂けませんか? こうしていても証言だけでは食い違うモノ。神に聞き、決着をつけるのが最も早い結末かと思います。
それでも違うと主張するのであればそれは神に対する裏切り。親諸共処刑いたしましょう。神にまで嘘を吐こうとしたのですから。
加えまして、ディラドグマの民の証言が正しいとなれば、アレッシア軍はアフロポリネイオから完全に撤収いたしましょう」
エスピラの言葉に、マディストスの瞼が少しだけ動いた。口は開かない程度に下唇と上唇のつなぎ目が薄くなっている。
「もちろん、支援物資も要求いたしませんし、アフロポリネイオにもディラドグマにも二度と近づきません。『何があっても』」
メガロバシラスが攻めてきても。
アフロポリネイオと言う都市が存続している限りは。
「エスピラ様。それは些か行き過ぎた行為ではありませんか?」
マディストスの声は落ち着いたものだが、額は少してかりが増したように見えた。
「いえ。何も。
他国の地で他国の軍が問題を起こしたのです。これは兵一人の問題ではありません。国と国の問題です。完全にこちらに非がある場合は、最初期に絶対の行動を取るべきでしょう。もちろんアレッシア人ですからアレッシアの法で裁きます。ですが、これで棒叩き五十回や百回では被害者は納得しないでしょう? 徹底的に、処罰するべきかと。獣の集団ならいざ知らず、大局を考えられる人間の集まりなのですから。自分の軽はずみな行動がどのような影響をもたらすかを考えられないなんてことはあり得ません。国の信用を落とす行いをした者は死んで然るべきかと。
ああ、近づかない点ではご安心を。マフソレイオにもアフロポリネイオには近づかないことを伝えますので、物資の受け渡しは別の地で行います。マフソレイオも、戦争中は想起させる恐れがあるので近づかないでしょう。安心してください。他国の軍団は寄ってきませんから」
メガロバシラスは知りませんが。と、言外の言葉は誰の耳にも届いているだろう。
「ああ、それと、庇った噓つきは二度と嘘を吐けないように舌を焼き捨ててしまいましょうか。お望みならば、それも致します。エリポスの民がお望みなら、ですよ」
お前らが嘘を吐いていたら、お前らの舌を焼くぞと目の奥で脅して。
(証拠なら出ているがな)
アレッシア兵が無実であると言う証拠が。
「アポオーリア様。エスピラ様もこう申しておりますし、アレッシア軍も反省しているようですからここいらで許されてはいかがですかな?」
マディストスが、言えば、アポオーリアが「仕方ないな」とでも言うような雰囲気を出してきた。
アレッシア兵に引かれれば困るのはアフロポリネイオも同じこと。しかも、マフソレイオとエスピラの仲が良いことは事実。そして、アフロポリネイオは覇権を握ったことが無い、軍事力に乏しい国家。メガロバシラスは宗教会議自体を軽んじている。
しかも、アレッシアはカナロイアから地図を貰っているのだ。兵の質、数で上回り、地の利も得つつあるのが今のアレッシアの軍団。メガロバシラス以外のエリポス国家は単独ではアレッシアの軍団に対して勝ち目は限りなく低い。無いに等しい。
だからこそ、力関係の確認をしてきたのだろうが、これ以上問題がこじれるのをアフロポリネイオもディラドグマも望んではいないのだろう。
「それでは被害者は許しませんよ」
だが、エスピラは、こじれるのを望んでいる。
ここでいう被害者は実際に強姦事件があった時の被害者もそうだが、冤罪をでっちあげられた側のことも言っているのだ。




