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ドーリス王アイレス

 ドーリスからの使者が来たのは、それからほどなくしてからであった。


 最早砦と化した防御陣地で威容を示しつつ、エスピラ達は使者を出迎える。

 使者の瞳孔が大きくなり、歩幅も少しばかり一定しなくなったが、それ以上の動揺を見て取ることは出来ず。


「武装してきてください」

 との言葉だけを頑なに伝えてきて、使者は去って行った。


 その後ろ姿にシニストラが「言われなくてもするに決まっているだろ」と吐き捨てたのはご愛嬌。


 そして、その言葉通りエスピラはシニストラに剣を持たせ、馬に盾を積み、カウヴァッロら十五名の騎兵を完全武装させ、自身はいつも通りの服装に剣を二本、短剣を一本帯びてドーリスに入った。


 街並みに特筆すべきところは特にないが、奴隷の多さは流石である。やや老齢な者が多いが、それでも街はまわるだろう。そして、街の人全てが漏れなく筋骨隆々であり、堂々としていた。


 そんな街を、門まで出迎えに来てくれていた者について進んでいけば広場に出る。


 広場は多くのドーリス人に囲まれており、奥にはひときわ立派な鎧兜に身を包んだ者が居た。兜のとさかは赤く立派にそびえたっており、盾は傷だらけ。鎧も新しくはない。


 エスピラは、その壮年の男の姿を認めると、すぐに馬から降りた。


 降りる際にシニストラにも目をやり、すぐに下馬させる。だが、カウヴァッロらは押しとどめた。


「アイレス陛下とお見受けいたしますが、間違いございませんでしょうか?」

「如何にも。その方はエスピラ・ウェラテヌスか?」

「はい。ご明察の通りにございます」


 エスピラはペリースの下から革手袋に包まれた左手を出し、自身の胸に当てて軽く一礼した。


「武装してくるようにと伝えたはずだが」


 アイレスが蒼い双眸を鋭くしてくる。


「ドーリスでは戦場で役に立つのならば卑怯なことは全て認められていると聞きます。そうであるならば私のような体重の軽い首魁が武装して入ることに何の意味がありましょう。身軽な服装で討たれるまでの時間を稼ぎ、その間に味方に多くのドーリス人を殺してもらう。その方がアレッシアのためになるというモノです」


「一騎討ちをしようと申してもか?」


(そう来たか)


 エスピラは腰を曲げた姿勢のままで逡巡する。


 言葉を弄すれば臆病者と見なされるが、エスピラが勝てる可能性が高いのは殺す場合。


 今は、力を見せるためにという目的のはずだ。


「自身に刃が降りかかる時が全て分かる者はおりませんが、常日頃から鎧を着けて暮らす者がおりましょうか?」


 少し迷って、まだ申し込まれていないとエスピラは気が付いた。


「ならば、力を見せてみよと申しても問題無いな?」

「問題はございません。私が死んでもドーリスの民は皆殺しにするなとも伝えておきましょう」


 カウヴァッロだろうか。

 馬の蹄と石畳が当たる音が二回届いた。


「ほう」


 ドーリス王アイレスの目の色が深くなる。


「私は武勇に秀でているわけでは無く、前線に立って剣を振るって味方を鼓舞する者ではございません。ですが、不思議と一騎討ちで負けたことは無いのです。先の言葉は気にせずとも構いませんよ?」


 微笑ながら、エスピラは剣を抜いた。

 カナロイア次期国王カクラティスから貰った、ウーツ鋼の剣である。


「ならば余が死ねば王位はその方にくれてやろう」


 王も不適に笑って盾を持ち上げた。


 槍も持ち上げている。密集陣形での主流となった五.五メートルの槍ではなく、二メートルほどの短い槍だ。


(流石は王か)


 エスピラは殺すとは言わなかった。アイレスに対して言うことは外交関係を想えばできないのだが、同時に言うように誘導していた面もある。後継者を指名しておけと。


 そして、指名されたのはエスピラ。


 もちろん、殺したところで譲位がスムーズにいくわけが無い。だが、殺しても良いとは言ったのだ。交渉相手が居なくなっても良いのなら。全面戦争になっても良いのなら。ドーリスが不要なら。


 これでエスピラが負けたとしても、そこには一切の言い訳は使えない。


(ウーツ鋼の剣の出所も知ったうえでの言葉だろうな)


 ふう、と切り替えるためにエスピラは息を吐きだした。

 王が腰を落とし、盾に体を隠す。


「時に、その方にとって大事なモノを三つ挙げよと申せば何と答える? 余は、国と誇りと武名ぞ」


 なるほどね、とエスピラは納得した。


「私は妻と息子と娘と即答させていただきましょう。ああ、子供たちは七人ですが、『三人挙げよ』では無いので良いですよね?」


「親は挙げぬのか? アレッシア人は、父祖を大事にすると聞いておったのだがな」


 アイレスがすり足のまま半足分前に出た。


「陛下が挙げられたのは『守りたいモノ』。故人の誉れはそれに該当いたしますが、父祖を守るのであれば我が子達が居れば守ってくれるでしょう。ならば私が守るのは私の為すべきことを継ぐ我が子たちと、何にも代えられない妻。神を守るとは、誰も言わないでしょう?」


 言いながら、エスピラは大上段、赤のオーラ使いが良く使う型を取った。


 誰のか、あるいは大勢のか。


 研ぎ澄ました耳に、唾を飲むような雰囲気が届いた。


 アイレスの動きがぴたりと止まる。エスピラも、もちろん構えたまま。少しだけ、手を絞る。


「為すべきことか」


 王が溢す。


「言葉は不要。かかってこられよ」


 エスピラもまた王と同格の存在として、王を真似た言葉を放った。

 目を猛禽の如くしてアイレスを見定め、ゆるりと、鋭い雰囲気にそう形で口を開く。


「それとも臆したか? ドーリスの王よ」

「安い挑発は自身の品位を下げる。その方も王位継承権を持つ者であるならば気を付けられよ」


 アイレスが言った。


 だが、攻撃せざるを得なくなったのはアイレスの方だ。


 ドーリスは臆病者を『存在しない者』として扱う。仮にも王が、そのような疑いをもたれるわけにはいかないのだ。


 前に出れば撤退は無い。後退はあり得ない。

 卑怯結構。盗み上等。

 だが、背を向けるのは許さない。味方が夜に退いたとしても、朝まで待ってから堂々と去る。それがドーリスだ。


 その不退転の王が、一歩踏み出した。二歩、三歩とくると最早鎧が無いが如く迫りくる。


(神よ。見守り給え。私に、勝利を。そのための好機を)


 エスピラは堂々と構えたまま。


 引き寄せて、叩きつける。赤のオーラで砕き殺す。目にもとまらぬ剛撃で止めを刺す。守備型の兵種に最も適した攻撃方法。それが、大上段の、赤のオーラ使いが良く使う攻撃。


 そのことをアイレスが知っていると判断したエスピラは、槍を突き出す間合いに入る頃に大上段のまま一気に前に出た。王の足が止まりかける。歩幅が小さくなる。右手の槍はエスピラの真横。盾は近いが頭は兜のみ。


 エスピラは、全力で剣を振り降ろした。

 一刀剛撃。

 防いだとしても、それごと相手の頭を叩き割る。それがこの剣術。防御不可。絶対の一撃。


 あくまでも、極めた者が扱えば、であるが。


 エスピラの一撃は、防ぎに来た盾を押し込むことには成功したが、それ以上はいかなかった。硬質な手応えと、硬いモノ同士が当たる音。

 エスピラの剣は石畳を切り裂く。盾には切り傷。王の上体は上向き。踵体重。つま先はやや上がって。


 王の目がエスピラを睨んできた。エスピラは剣を右側に動かす。王の左手が剣に近づく。

 その状態で、エスピラは肩から王に突撃した。山の様である。重心は崩れているはずなのに、その場に根が生えているかのように動かない。一歩も後ろに行かない。


 だが、それは不幸だっただろう。

 エスピラは右手だけで剣を持ち、盾に当てた。右手は簡単に王に押し込まれる。その状態で抜くようにしてエスピラは左手を上に振るった。王の顎を下から殴り抜いた。剣を手放し、盾を掴み左手で槍を掴み、引き寄せて王の顔面目掛けて頭突きをかます。額に生暖かい粘体が垂れて来た。


 衝撃に揺れる視界で見れば、王の顔面が潰れている。真ん中は赤。


 エスピラは右手を放すと王の首を掴み、足で膝裏をかけて一気に石畳に叩きつけた。

 ひゅ、という死にかけの音共にエスピラは首を握りしめたまま王の顔をあげ、左手でとさかを掴んで兜を捨て去った。

 そのまま、もう一度石畳に頭を叩きつけ、首に体重をかける。

 左手は短剣を抜き、王の耳元へ。


 石畳がにわかに騒がしくなった。


「ドーリスの流儀に従えば、素晴らしい勝利だと思いますが、如何に?」


 そして、エスピラは真っ赤になった王とその周囲に朗と良く通る声で問いかけた。


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