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九番目の月の十七日 暮れ

 仕事の無くなる午後。

 エスピラは神殿の奥に籠って、ひたすらに祈りを捧げた。


 捧げる理由も、そうする理由も『言わずとも分かるでしょう』で通る話である。


 今回の件は神の力で解決したことになっているのだ。


 神を冒涜し、神を欺いてアレッシアを陥れようとしたハフモニ人が、神の怒りをかった。

 そのせいで苦しんでいる、と。

 だからエスピラは感謝をささげているのだろう、と。


 エスピラが捧げているのは、どちらかと言えば謝罪である。


 午前は仕事中も運命の女神の像を握り、謝罪に明け暮れた。ならば午後は、神殿の主である処女神への謝罪に明け暮れるべきである。

 それがエスピラの気持ちだった。


「そろそろよろしいのではないでしょうか」


 ことり、と燭台を置く音共にシジェロの声が届いた。


「お気持ちは分かりますが、多くの者は既に夕飯を食べております」


 エスピラは目を開け、頭を上げた。

 これまで守られていた胸元から冬を告げる寒さが入り込み、空の暗さに瞼を薄くした。

 炎は、煌々とエスピラを照らし続けている。


「シジェロ様は、既に食されましたか?」

「いえ。エスピラ様をお待ちしようと思いましたが、それならば呼びに行けと言われてしまいました」


 なるほど、と思い、エスピラは腰を上げた。

 流石に固まっていたのか、いつもより自分の体の動きが悪いように感じる。


「マルテレスは?」

「私は見ておりませんが、恐らくは終えているのかと思います。ふふ。そう言えば、マルテレス様も、エスピラ様を探しておられましたよ」


 仲が良いですね、とシジェロが付け加えた。


「それは、悪いことをしたな」


 シジェロの笑いがますます濃くなる。


「すみません。マルテレス様も、エスピラ様が籠られている話を聞いて同じことを言ったものですから」


 エスピラは服装を整える手を一度止めたが、何も言わずに「困ったものだ」と笑って見せた。


 整える手を止めずに、エスピラは

「あの男は?」

 とシジェロに問いかけた。


「何も話していないそうです」

「尋問できるまでに回復したのですか?」


 男の容態については、エスピラが一番よく知っているのにも関わらずにエスピラは何も知らない風を装った。


 シジェロの目は特段動きを見せず、体に不自然に力が入ったことも無い。雰囲気も変わらなかったので、気づかなかったようである。


「神殿から離れるにつれて痛みが引いていったと聞いております。今は耐えきれる程度の痛みだと、報告に来た方が言っておりました。やはりあれはまごうことなき神の御意思なのですね」


 シジェロがやや高揚した声で言って、炎に向けて感謝の祈りを捧げた。

 その様子からエスピラは目を逸らし、ゆっくりと唇に左手の革手袋をくっつける。目を閉じて、許しを。


 対象は、もちろん神以外にありえない。


「では、行きましょうか」


 シジェロの背中に優しく投げて、エスピラは踵を返した。

 お腹が減った感じは無いが、時間的には食べるべき頃ではある。贖罪は明日もやれば良い。とりあえず、今日は神殿に来た本来の目的は果たせたのだから良しとしよう。


「お待ちください!」


 シジェロの鋭い声にエスピラの足が止まった。

 振り向けば、シジェロが炎を睨んでいるかのように険しい雰囲気を纏っているのが見える。


 それから、シジェロが何か、恐らく木片を取り出して炎に投げ入れた。揺らめき、形が変わる。


 神託、だろうか。


 本当の神の御加護とはこのことだと、エスピラは思った。


「何とおっしゃっておりますか?」

「まだ終わっていないとおっしゃっております。何でしょう、これは。残るけれど奪われる。広がる、に近いのでしょうか。水だけで被害をもたらすには時間がかかり、雷は一瞬で被害を大きくする、と」


 エスピラの眉間に皺が寄った。


 暗雲は雨雲であったと。そこは良い。

 残るけど奪われる。あるいは広がる。

 間違いなく物品や人物ではないはずだ。尊厳でも無い。

 水は時間がかかり、雷は一瞬。

 実際の雷雨も、雨による被害は秒単位の降水で起きることは無いが、雷は一度落ちるだけの一瞬で被害を起こす。だが、そうでは無いだろう。


「残るけど奪われる、か」

「心とかですか?」


 シジェロの言葉を、エスピラは意図的に無視した。


「すみません。変な意味ではないですよ。あのですね、午前中の男とか、ここで血を流れさせたことで動揺を誘ったわけですよね。アレッシア人の心を外国の方が分かっていたと、心を盗まれたと言うことに……なったりしませんかね……」


(アレッシア人を理解していた、とも言えるか)


 戦争以前は半島から出たことも無い民族、海洋交易のできない民族と見下していたアレッシア人を、調べる気になったと。


 何のために、と言えば、反抗のためにだろう。一時は覇権を握りかけた国がこのまま黙っているはずが無い。はずは無いが、優秀な将軍は死に、後を継いだインクレシベは暗殺した。


(違うか)


 だからこそ、アレッシア人を調べた。気質を、戦法を。学んで、活かすために。


「雷神の怒りは神々をも焼き尽くす」


 午前中の男の口を真似て、エスピラはハフモニ語で言った。


「えっと、なんとおっしゃったのでしょうか」


 シジェロが首を傾げた。


「狼藉者が言った言葉です。『雷神の怒りは神々をも焼き尽くす』と。雷神はハフモニで最も崇められている神。神々と言うのは処女神と豊穣神を全員が崇めつつも各々が信じる神を別々に持っているアレッシアに対してならば、明確な敵意で」


 エスピラの言葉が止まった。

 考えを纏めるため、先にシジェロに何も言うなと手を広げて見せた。


 焼き尽くす、とは。


 雷神の怒りとは言ったが雷神がとは言っていない。雷でも焼けるが、それはそこから派生した炎の影響もある。そして、炎は処女神の神殿なら事欠かない。様々な神を慕っている者が一様に遺書などの大事な文書を、自身の恥部とも言えるモノすら隠すのはここだ。


「残るけど奪われる。文書や記録は残るけど、読まれれば情報は奪われる」


 そうなれば、行き先は分かる。


 午前中の男は時間の調査、そして誘導。一度起こればあとは油断する。気が緩む。そこを本命が行く。


 良く聞く話だ。

 仮初の勝利を貰い、元気よく追走していたら伏兵に壊滅させられた、なんて。


「先に食べていてください。行くとこができました」


 足早に言って、エスピラは風のように駆けだした。


 神殿内部に入り、トガを握りしめながら走る。すっかり暗い神殿は、ぽつり、ぽつり、と炎が照らしているだけ。怪しい人がいても、一瞬見逃せば一生見つけられないかも知れない。気に留めなければ、分からないかも知れない。そんな暗さだ。


 そんな暗さでも、あるいは例え炎が消えて明かりが無くとも。


 保管場所の数々は神官として二か月以上に及び歩き続けた通路であるため、エスピラは走れただろう。


(そう言えば、タイリー様は最初から狙われる場所を定めていたな)


 二か月で、神殿が狙われることしか頭にないような状態になってしまっていたが。


 ついに見慣れぬ人影を見つけて、足を止めた。


「そこは立ち入り禁止ですよ」


 エスピラは、半ばハフモニの属州と化しているプラントゥムで最も使われている言葉を人影に放った。


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