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期待

 エスピラは腰の浮いたジュラメントに右手のひらを見せて、押しとどめる。


「言いたいことは分かるが、今のアレッシアにエリポス全土を直接統治するだけの力は無い。ハフモニとの戦争に勝てば得るのはカルド島とオルニー島、そしてプラントゥム一帯だろうしね。両島からは穀物が豊富に採れ、プラントゥムは良い銀と鉄の産地だ。旨味も十分だが、ハフモニとて現地部族を完全に掌握しているわけでは無い。反乱は起こるだろう。まずはそこをしっかりと固めることが優先されるだろうな」


「それならばエリポス諸都市を生き残らせたまま協力体制を敷いた方が良い、と言うことですか?」


 ルカッチャーノが言った言葉をエスピラは肯定した。


「しかし! それでは!」


「足場作りだよ、ジュラメント。ハフモニと戦争するために何の準備をした? 船を作り、カルド島とオルニー島をゆっくりと実効支配に持っていき、南のマフソレイオ、東のエリポスと攻め込まれないようにしていった。国力も充実させ、国庫を満たし、武器も改良を加えた。半島内部の不安も一掃するように動いた。


 それから、ピオリオーネをマールバラに攻めさせて、開戦の口実を得て、ようやくこの戦争は始まったんだ。


 それに対して、今回のメガロバシラスとの戦争は準備万端とは言い難い。突発的な戦いだ。勝つための準備、想定が不足している以上は直接的な戦いに負けないことを優先しなくてはね」


「メガロバシラス併合戦をその内行う、ということですか?」


 イフェメラが唾を飲みこみながら聞いてくる。


「併合まで行くかは分からないけどね。私は、併合してもまだ消化不良を起こすと判断してしまうが、時間をかけすぎればマルハイマナと組んで攻めてくる。マフソレイオと連合を組んで対抗しても良いが、そうなると戦後処理が厄介だ。ほどほどに殴っておいて、また攻め込ませるべきだろうな」


 相手に殴らせてから叩き潰す。

 それが、アレッシアの基本的な開戦方法だ。


 アレッシアからは攻撃をしかけないのである。例え攻撃するように仕向けていたとしても。


「拠点となるほど仲の良い所を作る、と言うことですか?」

「もちろん、それもあるとも」


 エスピラはルカッチャーノの言葉を認めた。


「しかし、そんなに都合の良い所など」

「無いだろうな」


 重く吐き捨てるようなルカッチャーノの言葉に対し、一拍待ってからエスピラは頷いた。


 流石に、エスピラの態度から策か何かがあることは理解しているのか、続きを待つようにこの場の全員が一様に口を閉じている。


「戦争だよ、結局はね。エリポスの国家群は一つ一つを見れば大した軍事力は保有していない。その地域に、メガロバシラスを打ち破っただけの戦力がある。しかも、その国のたった一部でしかない上に若輩者だらけの集団だ。国として味方にできればそれは大きな戦力となる。ただし、全軍が借りられるのはいつになるのか不明なのが問題点だがね。


 他にも、エリポス側の目論見としては文化的に侵略することも挙げられるだろう。何せ、アレッシア人の中にもエリポス文化を『崇拝』している人たちもいるからね」


 本当はもう少し毒を混ぜたかったが、それをするにはエリポス文化に好意的な人が多すぎるためエスピラは言葉を此処までにとどめた。


「他にもオリュンドロス島や近くの諸島を攻め落とした実績はそのままアレッシアに味方した勢力の海軍力が増すことを意味する。しかも、エリポス随一の海軍を有するカナロイアも私の味方だ。港からはマフソレイオも援助をしてくれる。港を持つ都市は私に味方せざるを得ないだろうさ」


 カナロイアを『私の』味方と言ったのは失敗だったかと思いつつ、エスピラは本心を仮面の下に隠して全員をそれとなく見回した。気づいた様子はほとんどない。ソルプレーサが渋い視線を一度向けて来たぐらいだ。


(ソルプレーサに裏切られるくらいなら、私は何も成し遂げることは出来ないな)


 だから、問題は無い。


「一度栄光に浴した国々もこちらから頭を下げれば乗っ取る好機とばかりに群がってくる。そうして引き寄せたところで、一気にひっくり返す。自陣に深く侵入させて、四方八方から包囲するようにしてね。一度味方したならば二度と逃がさない。エリポス諸都市が突破し、こちらへの影響力を強めるのが先か、こちらが絡めとるのが先か。

 インツィーアでは、突破よりも包囲の完成が先だったが、こっちはどうだろうな」


「それは、商人と仲良くしていることにも関係があるのでしょうか?」


 イフェメラが聞いてくる。

 エスピラは声を出さず、笑みと共に軽く頷いた。


 見事な回答だと言う褒めの姿勢である。同時に、エスピラの耳には駆けてくるような足音が届いたからこれ以上話さないように、との態度でもあった。


 遅れて幾人かが気が付き、そして扉が開く。


 入ってきたのは奴隷。ティバリウスから借りている伝令係。


「旦那様。グライオ様が帰ってこられました」

「ご苦労。少し休むと良い」


 労って、エスピラは近くに居た別の奴隷にお茶を淹れるように指示を出した。


「さて、少し早めだが、先延ばしにしている仕事やここでのやり残しがあるならばすぐに済ませてくると良い。すぐにでも出発することになるだろうからね」


 優しく言うと、エスピラは立ち上がった。


「グライオ様が成功した保証は無いのでは?」

 とはルカッチャーノ。


 その言葉を、エスピラは笑顔で受け流す。


「グライオが失敗したとすれば、その時は大きく戦略を練り直さなければならないな」


 そうして、一歩進みかけたところでエスピラは足を止めた。


 再び集まっていた者、イフェメラ、ジュラメント、ルカッチャーノ、カウヴァッロ、ファリチェを見回す。


「そうそう、商人は要だ。実際に、私は商人を介してメガロバシラスの捕虜を各国に渡し、各国からは物資の援助や道案内を手に入れることが出来たからね。いわば商人の信用を間借りして、各国との関係の第一段階を持つことに成功したわけだ。


 では、次の段階は? と言うことを是非とも考え、分かったら私に伝えに来て欲しい。ただ、アルモニア、ソルプレーサ、グライオに相談することは禁止だ。彼らには既に伝えているからね」


 それだけ言い残して、エスピラは歩き始めた。


 先に来るのはカウヴァッロかイフェメラか。もちろん、ファリチェやジュラメントの線の可能性も零では無いし、ルカッチャーノも意外ときちんと考えている。


(楽しみだな)

 と思いながら、エスピラは周囲に気をやった。


 近くに居るのは後ろについてきている二人。ソルプレーサとシニストラのみ。


「シニストラ」

「はい」

「各国の宗教や文化は頭に入ったかい?」


「一通りは」

 と、少しだけむくれているのが分かる声が返ってきた。


 エスピラはシニストラから見えないのを良いことに、緩んだ口角を戻さずにそのまま口を開く。


「それは良かった。シニストラにしか頼んでいないからね。君以外の、例えばアルモニアやグライオ、あるいはピエトロなどに聞いても解決しないだろう。だが、私に質問に来ることも無かったから、少しばかり心配していたのだが、いやはや、失礼な発想極まりなかったね。謝るよ」


「いえ。そのようなことはございません」


 シニストラの機嫌はすっかり直ったようである。


「それは良かった。彼らも国ではなく私たちのことを知りたいだろうしね。とは言え、大勢を招きはしないだろう。そんな時に君が居れば心強い」


「そう評価していただけるのは嬉しい限りなのですが、正直、何をすれば良いのか」

「いつも通りで良い」


 自信満々に言って、続ける。


「君はアレッシアの貴族の教養をしっかりと持ち、それに恥じない立ち振る舞いもできる。その上詩作もでき、送った手紙についていた詩は誰が書いたモノかと何度も聞かれるほどの出来だったよ。しかも、オリュンドロス島攻略戦やアントン上陸戦におけるシニストラの勇猛な働きぶりは誰もが知っている。アレッシアの勇将だとね。


 そうだな。だから、シニストラに頼むのは即興で詩を詠むことがあるかも知れない、ということぐらいかな? 何、私が良くしていた無茶ぶりに比べたら楽だろう?」


「確かに、楽ではありますが……。いえ。決してエスピラ様のことを良く無茶ぶりをする人だなどとは思っておりませんが」


 笑い声をあげながら、エスピラは後ろに向けて右手を軽く左右に振った。


「構わないさ。度肝を抜いてやれ、シニストラ。蛮族の蛮族たる勇猛果敢な戦士が、その実エリポスの文化人を唸らせる詩作家だったと。貴様らの印象が如何に稚拙で、凝り固まった自分優位を中心に据える狭い視界なのかを思い知らせてやろうじゃないか」


 グライオを出迎えるための一本道。

 外と中の繋がりまで来ると、エスピラは足を止めた。


 流石にここまでくれば人はたくさんいる。


「それが出来るのは、シニストラ。君だけだ」


 最後にシニストラに目を向けてから、エスピラは両手を広げて帰ってきたグライオを迎え入れたのだった。


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