牙を研ぐ
「予想される戦果に対して手間がかかるんだから仕方ないよ。行軍も遅くなるし、警戒もされるし。それなのに確実に落とせるわけじゃないんだから」
そう、ジュラメントがイフェメラに対して言った。
イフェメラの顔が同意を求めるようにエスピラに来る。
「しかし、師匠。エリポスの、それもメガロバシラスの攻城兵器は間違いなく戦力になります。確かに師匠が再現されたスコルピオが投射兵器としては一番でしょう。ですが、投石機はアレッシアにある物よりも鹵獲した物の方が性能が良いのは明らか。是非とも持っていくべきです! いえ、無理なら交換いたしましょう!」
そんな必死の訴えを聞きながら、エスピラはお茶で喉を潤した。
飲み終えれば、ゆるりと陶器を机の上に置く。
「私も投石機を一新したい気持ちはあるが、捕虜があまり取れなかったからな。測量に手入れに改造。正直、時間が足りない。人手が足りない。
今やっていることでもっとも優先すべきことは分かるな?」
優しく問いかければ、イフェメラが目を下に逸らした。
「防御陣地の建設、です」
軍団の労力をどこに一番割いているかを見ればエスピラの用意している回答は一目瞭然だろう。
「でも、師匠」
イフェメラの顔が勢いよく上がった。
イフェメラの隣に座っていたルカッチャーノが肩を跳ね上げている。
「防御陣地があるのであれば、なおさらメガロバシラスから奪った攻城兵器をディティキに置いておく必要は無いのではありませんか?」
「本当にそう思うのか? あの隘路に設置した防御陣地だけしか防備が無い状態で、イフェメラはディティキを落とせなくなるのか?」
「それは……」
「先の戦いはおそらく王かあるいは政治的な権力が強い者が実権を握っていた。メガロバシラスに良将が一人もいないとは思えないからね。きっと、本隊が東部に行けば無理にでも防御陣地を突破してくるさ」
「しかし、グライオ様が居れば引き返すだけの時間は守り切れませんか?」
イフェメラがなおも食いついてくる。
「エリポス諸都市との交渉は私だけでは手が足りないぞ? 軍団を分けざるを得ない状況だってこれからもある。兵に熱を伝えないといけない。冷めた思考も必要だ。だが、どちらかに偏ってはいけない。両方を備えたまま、従来の作戦目的の維持と目の前の戦局に素早く対応できる者は、正直多くは無い。もちろん、これからそうなれる者は多いと信じているけどね」
エスピラは諭すように言った。
組み合わせれば求める条件に合致する人たちは居る。
だが、一人で、となるとエスピラはグライオと騎兵隊長であるカリトンしか思い浮かばない。そして、カリトンに対しては指揮官としての信用はあるが自身の考えを察知してくれるか、連携不十分でも意図を理解し合えるかと言うところに怖さが残ってしまう。
「攻城兵器がディティキに残っていれば、防御陣地を突破された後も守ることが出来る。それに、戦いの数を増やすわけじゃない。見せつけるだけ。そうであるならば、メガロバシラスの兵器を使った戦いではない方が意味もある。そう言うことですか?」
ジュラメントの隣にひっそりと座っていたカウヴァッロがぼそりと、それでいて全員に届く声で言った。
「その通りだ。それに、居場所を固定できた方が解析と改造も捗るしな」
いつまでも他国が作った攻城兵器を奪って使い続けるわけには行かない。
戦術がそうであるように、武器も他国からの物をアレッシア流に改造する必要がある。
エスピラとしては、それは経験で他の軍団に大きく劣るエスピラの軍団で行われるのが最善だと思っていた。
それこそが、他の軍団との力量差を埋める柱の一つである。
もう一つの柱は、まだタイミングと相手を見定めている最中だ。
「それなら、何故残す人選を」
「イフェメラ」
失言が完全に出てしまう前にエスピラは声を低くした。
「皆必要だから連れていく。それだけのことだ。残る者にも実績はある。それに、折角募集を始めた技術者には居場所と良い待遇が必要だろう?」
本当はもっと良い人材が欲しかったが、グライオが自腹を切ってでも初めに来た技術者の待遇を良くすると言ったのでエスピラはとりあえずでも来た者を断りはしなかった。
故に連れていけない、と言う事情もある。
だが、それを喧伝すればもっと良い人も集まってくると言う話には納得がいったので失敗だとは思っていない。
グライオが自身の例を取り出して、「エスピラ様が私などを重く用いてくれたからこそ他の者からの信頼と知恵が集まってくるのです」と言われればやらざるを得ない。
「しかし、これはロンドヴィーゴ様に対する信頼ではなく気遣いですよね?」
「イフェメラ」
ジュラメントの前だぞ、とは付け加えず。
「父上は確かに飛びぬけた長所がある方ではありませんが、それでも長年ディファ・マルティーマを纏めてきた実績がありますので、はい。エリポスに侵攻を続けるよりも力を発揮できる場をエスピラ様に設けていただいたことに感謝しております」
イフェメラの言う通り私も心配なんですけどね、とジュラメントが笑いながら締めた。
イフェメラも「すまん」とこぼし、小さく頭を下げている。
「実際に統治するとなるといろんな問題が見えてくるものだ。ならばやはり経験者が行うのが良い。となると、ただでさえ経験が足りていない軍団からさらに経験のある者を抜いてしまって戦いに行き詰れば本末転倒。大変だとは思うが、ロンドヴィーゴ様に任せるのが一番良いのだ。苦労をかけると伝えておいてくれ」
エスピラはやさしい調子で紡ぎ、ジュラメントに笑いかけた。
ジュラメントが「それだけで十分喜ぶと思います」と言って頭を下げてきた。
「ならば、せめて捕虜六百人は置いていきませんか? 彼らは敵による内応の材料になるとともに攻撃対象になります。ディティキに入れて置けば守りやすく、本軍の機動速度も上がると思うのですが」
ルカッチャーノが言う。
「ステータスなら近くにあった方が良い。それに、道案内もできるし繋がりを使って援助を貰うことだって期待できるだろ。貴重な戦争資源だからこそ物資と交換することもできるしな。師匠は、アレッシア軍以外の兵としての援助は絶対に断るだろうし」
イフェメラが隣に目だけ向けて言った。
その後、「ですよね、師匠」、と子犬のようになってエスピラの方を向いてくる。
「二人とも言っていることは何も間違っていない。その中で、私はメガロバシラスからの攻撃よりも物資が足りなくなることを恐れた。そう言うことだ」
エスピラはイフェメラと、その奥のルカッチャーノに向けて言った。
「ディティキ、アントン、トラペザから募兵して新たに一個大隊を作り上げたのは、アレッシア軍以外の兵とはならないのですか?」
ルカッチャーノがエスピラと目を合わせたまま聞いてきた。
イフェメラやエスピラの後ろにいるシニストラから不機嫌な空気がこぼれだす。カウヴァッロは我関せずとお茶を飲みだした。いや、本当に気にしていないのかもしれない。
「どういう軍団にしたいのか、だよ、ルカッチャーノ。アレッシアを守る戦いである以上、中心はアレッシア人でなくてはならない。自国を守るのは自国の民でなくてはならないのだ。誰が喜んで他国のために死ぬ? そんな人は、いないとは言わないがごく少数だ。
加えて、他国のために兵の命を使えば戦後処理でどういう要求をしてくるか分かったものじゃない。こちらが中心で血を流しても、だ。だから、主の居る兵は雇わない。
では、エリポス西岸の都市の民はどうだ? 三都市ともアレッシアの同盟都市だ。扱いは半島の民と変わらない。つまり、他国ではない。そう、私は思ってのことだよ」
しっかりと話を咀嚼しているようなルカッチャーノの対岸では、カウヴァッロが新たなお茶を奴隷に所望していた。
下がる奴隷と入れ替わるようにソルプレーサが入ってくる。手には書類。揺らして、目で訴えてきて。
エスピラは会話を中断するとソルプレーサに目を向けた。




