親友(きょうてき)
その日は朝早くから妙な緊張感に包まれていた。
エスピラとしてはいつも通りで良いと言いたかったが、やってくるのは王族だ。しかも、ご丁寧に複数回の先触れまで出して到着時間まで伝えてきたのである。
野蛮国だと思われているというある種の諦めも持っているアレッシア軍にとって、これは驚くべきこととして伝わり、同時に野蛮国では無いと言う威信を示したいと言う話なのだろう。
(それこそが目的なのだろうがな)
名を使って相手を委縮させ、丁寧に見せかけて周囲を把握する。相手がいつも通りの実力を出せないようにして交渉を有利にする。
これがアレッシアに対する目的。
エリポス諸都市に対しては最初の国家がアレッシアに礼を尽くすことによって他の国家を牽制する目的もある。どれだけ条件を吊り上げなければならないのかと。メガロバシラスに対抗できる兵を思い通りにするためにはどれだけの物を差し出さなければならないのだろうか、と。
そして貢ぐ物にも限界はある。同じようなものばかりになれば価値は下がるし、アレッシアが必要として居なければ意味は無い。そうして急ぐあまり無駄な物を送ればその国の価値は高くならない。
後々敵対するにせよ味方となり、大同盟を組むべし。
戦わずして国力の差をつけ、武力と言うバックを手に入れられる可能性が高くなるのだ。
(どれだけの者が気が付いたかな)
ソルプレーサとシニストラにはあらかじめ伝えてある。グライオは既に見抜いていた。騎兵隊長であるカリトンもエリポスへの印象が悪くなっていた。
後は、高官にしろ末端にしろ。情報を集めている段階。
見抜いた者は高くかう。それこそ、無理矢理出世させても良い。
「行こうか」
エスピラはずっと背後に控えていたシニストラに言った。
向かう先は謁見の間。今は亡きディティキの王族が使っていた宮殿をアレッシアがそのまま行政の中心とし、エスピラが過度と判断した装飾を売り払った質素な一室。
そこには軍団長補佐以上の者とディティキの守りを担当していた三人が全員そろっていた。
全員鎧姿ではなく、シニストラ以外の軍団長補佐筆頭以上の者およびディティキの行政官の三人はトガを纏っている。残りの人は軽く武装できるような略装だ。
「ご苦労」
言って、エスピラは玉座のあった場所の前に立った。
アレッシアは王政を嫌う。
故に、玉座などは必要ない。真っ先に売り払った。
王冠も着飾る宝石も要らない。必要ない。
エスピラもまたトガとウェラテヌスの短剣、ウーツ鋼の剣、指輪、そして革手袋と言ういで立ちだ。
全員が揃い、顔を確認し終えたところで扉がノックされる。
しかし、次に聞こえたのは慌てるような声。目に入ったのは黒髪。しかも、扉を客人自らで開けている。
「久しぶりだな、エスピラ」
そして、アレッシア語でカナロイアの次期国王カクラティスが言った。
多くの者の反応に遅れが生じている。
「会いたかったよ、我が友カクラティスよ」
そんな中でエスピラは普段と変わらない会話のリズムで言い、両腕を広げて数歩前に出た。
カクラティスも笑みを浮かべたままエスピラに近づき、両腕を広げて抱擁を交わす。
カクラティスが連れてきていた奴隷は慌てているが、カクラティスに最も近い所に立っている二人のカナロイア人に動揺は無い。
「他の者ならまだどうしようかと迷っていたところだったが、来たのは我が友エスピラだ。いやあ、遅れてしまって申し訳ない」
と、エリポス語で抱擁を解きながらカクラティスが言った。
カクラティスの両手はしっかりとエスピラの二の腕あたりを掴んでいる。
「随分早い到着だよ。公人だからカナロイアを贔屓にはできないが、この行動のおかげで私人としての私と切り離されずに済みそうで本当に嬉しいよ」
エスピラも流暢なエリポス語で返した。
互いに互いの行動の意図は理解しているだろう。
エスピラだから来たという風に宣伝したぞと言うカクラティスと、そんなことを言われても意味は無いぞ、と言うエスピラ。
物ではなく行動で恩を売って終わりにしたいカナロイアと、活動のための物資を寄こせと言うアレッシア。
そして、初撃に成功したのはエスピラだが、自分に都合の良い空気を作り上げたのはカクラティス。
「そこまで良く思っていてくれたとは嬉しい限りだ。いやはや、そう考えるとメガロバシラスへの遊学も無駄ではなかった。むしろ、感謝しなければならない神の御導きだったな」
カクラティスがエスピラの左手から手を放しながら言った。
「食糧が大事だったのと即金が欲しかったという理由こそあるが、真っ先にカナロイアに奴隷を安く売っただろう? そんなことをしたのは、もちろん君が居たからだよ」
エスピラは胸襟を少し開いて主導権を握ろうと動いた。
「おかげで助かってもいるよ。オリュンドロス島の農業もまたやり方に違いがあってね。未だに途上ではあるが、私の目標、ひいては王室の目標の達成には非常に近づいた。
全てはエスピラと言う友人あってのこと。
お礼として、カナロイアが出せる最上級の物を持ってきたよ。だが、これは友としてでは無く、カナロイアの王子からアレッシアの法務官エスピラ・ウェラテヌスに向けて、だと思ってもらっても構わないよ」
(なるほどね)
自身の名前はカナロイアの王子の後につけず、エスピラの名前だけを役職の後ろにつけてきたか、と。
そんな風に、エスピラがカクラティスの言葉を分析している間にカクラティスがお付きの者に視線を飛ばして、自身はエスピラの背に手を回しながら横にずれた。
エスピラも従って横にずれる。
そして、カナロイアの二人が大きな羊皮紙の両端を持ち、広げた。
描かれていたのはエリポスの地図。軍団が動けるような主要な道路はこの地図だけで分かるような、立派な地図。
ディティキ周辺だけを見ればこの地図に大きな狂いがないことは確実だ。他のところは情報が不足しているため分からないが、メガロバシラス遊学中に周辺地理を調べさせていたソルプレーサに少しの驚愕の色が見えることから、広い範囲に於いてほとんど間違いは無いのだろう。
「エスピラが、いや、アレッシアの軍団が最も欲しているものだろう? 気になるならば、手紙係にでも聞くと良い。きっと、一人二人なら通れる道までは記載されていないが、少し彫り色を濃くしているところ以外に万を超える軍団が展開できる道は無いはずだ」
自身の首輪の先の手綱と牽制。
エリポスに対して頭を下げるような動きをしつつも道を探り、軍事行動のための地図を作成していたことや、あるいはその先まで見抜けるほどの能力はあるぞと言う証明。
逃げ道を残すような言い方をしたのはエスピラの方だが、なるほど、これでは逆にこちらの逃げ道を潰しに来たか、と思わざるを得ない。
「素晴らしい贈り物だ。エリポスにおける最大のアレッシアの友は、間違いなくカナロイアだろうとも。そうは思わないか?」
エスピラが皆に問えば、一様に頭が下がった。
カクラティスは謙遜するように照れているように見える笑みをアレッシアの高官に返している。
(粘るべきでは無いな)
エスピラがカナロイアに求めていたのは兵糧。農奴をたくさん提供しただろう? という流れにして、食糧を確保したかった。
しかし、これでは不可能だ。
地図を手に入れたことは大きい。だが、カナロイアが、エリポスに於いても名のある国家がアレッシアに地図を提供した意味合いの方が大きい。
その意味合いをカクラティスはしっかりと理解しているし、下手にごねてアレッシアの印象を悪くすることは出来ない。
ここは敵地なのだ。
最高の結果を追い求めることもそうだが、そのために最悪の結果になるような賭けには出てはいけない。少なくとも、挽回する手段がない時には。




