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知識が仇となる

「エスピラ様の命令に無茶な命令はあっても実現不可能なことを命じるものはございません」


 シニストラが背筋の伸びた姿勢に相応しい声で言った。


「シニストラ、イフェメラ、カウヴァッロで右翼側を。グライオ、ジュラメント、ルカッチャーノで左翼側を占拠してもらいたい」


 右翼の方が伝統的に位が高く、重要視されている。

 その右翼をシニストラに任せる。イフェメラやカウヴァッロと言ったエスピラの評価が高い者と組ませて。


 それは、シニストラとグライオの分隊長としての評価の差をごまかす策でもあるのだ。


 大事で重要な場所だからこそ、評価の高い者と組ませた、と。シニストラだけではない。ジュラメントやルカッチャーノも含めた本人たちに評価の差を悟らせないための策である。


「兵数は?」


 との質問に、エスピラはすぐさま答えを出した。


「重装歩兵千二百、軽装歩兵八百、騎兵七十。スコルピオも各三台ずつ、矢も四百本ずつもっていけ。少々編成は変わるが、そこは致し方無い。それと、騎兵はほとんど戦闘では役に立たないことだけは頭に叩き込んでおいてくれ。念のためだ」


 基本は斜面や木々のあるところを通ることになる。


 鐙など存在していない上に農耕民族であるアレッシア人の騎兵がそんな道を縦横無尽に駆け回るなど不可能だ。もちろん、とんでもない異才はどこかには居る者だが、全員などはほとんどあり得ない。普通の山道ならば異才でも無理だろう。


「前進は慎重に。スコルピオを使っても構わない。むしろ、厳しいと感じたらすぐに使え。大木の裏に設置した投射兵器が大木を貫通して矢を放ってくれば、それだけで恐怖を増やせる。大事なのは本当に両脇を取ることでは無く、相手に撤退を促すことだ」


 相手と互角か劣勢な兵数で包囲戦術を上手く使えるなどと言う評価をエスピラは自身に下していない。


 ある程度訓練された国の軍団同士でそんなことが可能なのはマールバラぐらいだろう。

 恐らく、聞いた限り見た限りではマルテレスは包囲よりも突破の方が得意だ。少数で弱点を突破し、連鎖的に起こった弱点に更なる兵を突っ込ませることに長けている。


 これも、エスピラからすれば十分にあり得ない才能なのだが。

 無い物を求めても仕方が無い。


「威嚇などは行いますか?」

「首尾よく陣地を築けたなら投石機を運ぼう。それをいざとなれば敵陣に打ち込んで欲しい」


「人に?」

「ああ。人に。攻城兵器を」


 シニストラの返事が、珍しく数瞬遅れる。


「何と言って、兵を説得すれば良いでしょうか?」

「城壁に居る兵に当たるのも元から兵に向けて当てるのも死に方は同じだ。何も思う必要は無い。いざとなれば、シニストラやイフェメラが石を放てば良いだけさ」


 奥歯にものが詰まったような声音をしたシニストラに、エスピラは水たまりは避ければ良いとでも言うような声音で返した。


 かしこまりました、とシニストラの頭が下がる。


「安心してくれ。本当に放つことにはならないさ」


 まだな、と小声で付け加えて、エスピラは櫓の端、メガロバシラス側に移動する。

 炊事の煙は昨日とさほど変わらない。時間も同じ。


(動きなし、と判断するべきか)


 いつもと変わらぬ調子のままでこちらを惑わし、急に攻撃してくる可能性も捨てきれるわけではないが。


「そんなことを言っていれば何もできなくなる、か」


 呟いてから、エスピラは櫓の端から離れた。

 シニストラの前を過ぎ、櫓を降りる。


「軍団長補佐以上に召集をかけてくれ。他の者には朝食を。それから火も増やし、順次訓練に入るように」


 エスピラは奴隷に伝え走らせ、一緒に来たステッラには訓練の内容の確認を行いながら会議に用いている天幕へと歩いた。後ろからはシニストラもついてきている。


 真っ先に来たのはイフェメラ。グライオとソルプレーサがすぐにやって来て、エスピラはまずソルプレーサと土地について確認を行った。それから櫓の上で立てた作戦が可能かどうかを論じていく。


 グライオやイフェメラも加わってある程度作戦を詰められたところでアルモニアが来た。その時点で先の会話は終わり、朝食などの陣内の様子へ会話が移る。残りも続々と集まり、全員が揃ってから作戦に話が戻った。


 結論から言うと、作戦は実行へと移ることが決まった。


 大隊を纏める軍団長補佐以上の者は変わるものの、それ以下の者で率いる部隊、人は変わらず。アントンとディティキで募った観天師を二人ずつ付け、雪で身動きが取れなくなる前に退くことが出来る可能性を高くして。


 そうして、二人の軍団長補佐筆頭に部隊を預けて送り出した。


 軍団長であるロンドヴィーゴはディファ・マルティーマの守り。副官は傍に。もう一人の軍団長であるソルプレーサは斥候と奇襲が主目的だと認識されている。


 だからこそ、使いたかった人材であり、立場的にも妥当な二人を送り出せたのだ。


 同時に、エスピラは軍団を前進させる。


 大盾持ちと大きな丸太を運ぶ部隊を前にして、ゆっくりと。会戦に至るにはまだ遠い所に、ゆっくりとした速度で。されど、足を止めたのは当時最強だったドーリスを歴史のある国家の一つ、傭兵産業の都市国家に貶めた戦いでジャンドゥールの指揮官が布陣を引くふりをした距離。敵の油断を誘う距離。突撃に移行した距離。メガロバシラスの大王の父親が最も参考にした国家、恩師の用いた策と非常に似た動き。


 アレッシアの軍団、特にエスピラが調練した軍団は行軍しながら布陣を整えるための訓練に時間を割いているのだ。


 その動きに釣られたメガロバシラス軍は陣地を出ないまでも動きが慌ただしくなった。アレッシア軍に備えるような動きを見せた。


 そして、それこそがエスピラの目的である。


 相手が絶対知っている過去の戦法を現状に合わせてなぞることで警戒を生む。その警戒はどこに多く向くかと言えばエスピラの居る本隊。真似ている所。

 だからこそ、シニストラとグライオの別動隊がメガロバシラス軍の多勢に襲われる危険性が大きく減るのである。


(警戒しすぎたか?)

 と思い、次にエスピラが採ったのは少しだけ誘うような策。元老院からのお目付け役でもあるピエトロの献策。


 陣の両端を前に出し、騎兵を配備する。本陣と騎兵陣地の間には軽装歩兵を置き、本陣周りは重装歩兵で固める。もちろん、本陣にも騎兵と軽装歩兵は居る。


 その上で両端の騎兵にはいつでも出撃できる兵を各三十は常に用意しておき、別動隊に対して動きを始めたらすぐにでも側面を突けるようにしておいた。


 ただ、危険もたくさんある。


 一番大きいのは端に布陣している者達が敵に近いことだろう。


 騎兵を使ったり軽装歩兵を使っての攻撃を受ければ半包囲の形になりやすくなってしまうのだ。それに対しての援軍として、すぐさま動ける軽装歩兵を近くに配備しているのだが、この軽装歩兵が下手に動きすぎると本陣との間に隙間ができる。そこを突かれれば分断されてしまう。


 もちろん、メガロバシラス軍の騎兵の割合も軽装歩兵の割合も低いことを把握しており、速攻を仕掛けてきた場合は騎兵や軽装歩兵をほとんど残っていないのは知っている。だが、密集隊形を捨て、重装歩兵の利点の多くも捨てれば重装歩兵だって走れるのだ。しかも距離は遠くはない。むしろ近い。


 乾坤一擲の勝負に打って出られれば、アレッシアは主導権をメガロバシラスに渡してしまう状況なのだ。


 とは言え、メガロバシラス側は此処で勝ち、アレッシアを敗走させたとしても下手をすれば冬を越すために軍団を分散させる羽目になってしまう。そうでなくとも、元から壁などがある場所にはもう入れない。その上、ソルプレーサによる奇襲で実際に敗走している身なのだ。食糧も無いのだ。


 攻めてくる可能性は非常に低く、兵が集まっているのも純粋な統率力か、それとも纏まった方が逃げやすいからかは分からない。


「脅さなければ逃げたかな?」


 全くそうは思っていない声で言って、エスピラは手紙を書き終えた。


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