ルール
計算通りならば、相手が船に高所を設けていた場合は気づきかねない距離に入る。此処からは各員、休ませていた兵も無理矢理起こすはずだ。それからの、衝突。
エスピラも、自身の旗下に指示を出し終わるとゆっくりと騒がしい甲板の上を船の先へと歩み始めた。
「指揮官とは、誰よりも情が深く冷淡であり、誰よりも自分に酔いながら自身の決断を疑い、誰よりも利を分配し己の利益に強欲でなくてはならない」
同時に、言葉を風に乗せ、押し流す。
「誰の言葉ですか?」
ついてきたソルプレーサが少し大きめの声で聞いてきた。
「タイリー様の言葉だ」
「難しいことをおっしゃるもので」
やや間延びした口調でソルプレーサもエスピラと同じ方を向いたのが分かった。
「それをしなければならないと同時に、軍事命令権保有者の苦悩も表した言葉だと思っているよ。今も、決断が正しいかは疑っているが決めた以上は誰よりも私がそれに突き進まねばならない。本当に、難しい」
「オリュンドロス島はマフソレイオとカナロイアを結ぶことのできる位置にあり、その周りの島嶼はエスピラ様のモノ。いざとなればマフソレイオから兵を借り、カナロイアで整えて海岸から強襲することもできる。なんてのは、考え過ぎで?」
「ご明察だな」
「耳目らしいので」
シニストラから聞いたか、とエスピラは軽く笑った。
アレッシアが他国から兵を借りるなどあってはならない。
だが、エスピラに言わせればそれにこだわって国が滅びるのであれば、そんな誇りは捨てて他国から兵を借りる。他国に領土をやる。
大事なことは何なのか、見失ってはいけないのだ。
(こんな重いモノを引っ提げて、国の期待を背負って。良く四回もマールバラと戦ったよ)
遠くの友を想い、エスピラは左手を横にやった。
ペリースが風にはためき、大きな音を立てる。
「全速前進。シニストラに、攻撃態勢に入る許可を出せ」
明朗一喝。
エスピラの覇気に満ちた声に応えるように白いオーラが変則的に四回、撃ちあがった。
時間を置いて、二度、三度と打ちあがる。
返答代わりに太鼓の音が鳴り、どんどん遠ざかって行った。
「さあ、思いっきり暴れてくれ。私の親愛なる剣よ」
その背に、エスピラは言葉を掛ける。
「エスピラ様のそう言うところ、子供心が残っている感じがしてすごく好きなのですが、子供たちに移らないと良いなと常々思っていますよ」
そんなエスピラに、ソルプレーサが覚めるような言葉を投げて来た。
エスピラは戦場に似つかわしくない大きな溜息を吐いてソルプレーサを見る。も、ソルプレーサはどこ吹く風。全く視線を合わせようとはしてこなかったし、反省の色も見えなかった。
ややもすると、赤い光が前方から上がった。それが攻撃開始の合図だと分かったのは打ちあがった回数を見てから。
近づくにつれ、大きなものが落下する音が鳴り響き、海面が揺れ始めていたが、そう長い時間揺れることは無く収まった。
赤い光が三回上がったのを確認してからエスピラも近くに居た者に赤いオーラを同じ数同じように上げさせ、太鼓を叩かせる。
前進して近づけば、真っ二つに割れたメガロバシラスの船の残骸が漂っていた。
さらに奥に行けば鹵獲されているメガロバシラスの船と、多少の喧騒。投石。投げ槍。
ただし、その頃になれば他の船からの援護射撃も加わった。精度の良くない投石機であるためてんでんばらばら、壁を飛び越えてしまったり低い位置に当たったりと散々ではあったが破城槌が上陸するだけの時間は稼げる。
そして、突撃。
アントンの壁は厚くない。
亀裂が入ると同時に、アレッシアに協力的な者が内部から扉を開いた。そこから一気にアレッシア軍が突入する。
後は、狩り。
罠を警戒し、エスピラはソルプレーサが用意した同盟都市の兵と自身の指揮する大隊を残していたが、突入するよりもメガロバシラスの盾が外される方が早かった。
守備兵は僅か四百。アレッシアに協力的だった市民はその四倍以上。
エスピラに判断を迷わせたアントンは、しかし僅か半日にも満たない戦闘で再びアレッシアの下へと戻ってきたのだった。
アレッシアの死者はゼロ。負傷者はいたが、白のオーラを使って治療を施して行けば死にはしない。戦線復帰もできる。その程度だ。
一方でメガロバシラス側は轟沈した八隻に乗っていた水夫や重装歩兵はほぼ全滅。陸上に居た者と逃げ延びたもの合わせて三百七名はそっくりそのまま捕虜となった。
エスピラは彼らの武装を解除すると、日の出から日の入りまで大麦二食で城壁の修理に当たらせた。と言っても、この時期は陽の出ている時間は九時間を超える程度。途中三度の休憩を取らせるため、急速な復旧とはいかないのが現実である。
とは言え、止まってもいられないためエスピラはソルプレーサが募兵した同盟都市の二千の部隊をディティキへ向けて先行させた。
「さて。報告から動きが無ければディティキ近郊で、そうでなくとも近々メガロバシラス軍と戦うことになるだろう」
これ以上の休憩は不要として、エスピラは百人隊長以上の高官を集めてから郎、と通る声を発する。
「そこで、一つ、覚えておいて欲しいことがある。それは、アレッシアの戦争とエリポスでの戦争はルールが違う、と言うことだ。
カリトン様やピエトロ様はご存知かもしれませんが、エリポスでの戦争は密集隊形を組める重装歩兵が大きな資源となっている。いわば、これの奪い合いだ。殺し合いが主眼の我らとは違う、生温い戦争だ。もちろん、戦っている間は殺し合いだがな」
言いながら、エスピラは捕虜から奪った槍と盾を受け取った。
「だが当然、資源になる重装歩兵には『降参』と言う概念が存在する。そんなの関係ない。殺してしまえ、と言えばそれまでだが、私の目的を果たすにはアレッシアを野蛮な国だと思われたままだと都合が悪い。とりあえずは」
エスピラは盾を地面に叩きつけるように立て、槍も石突から地面に突き刺し、穂先を天に向けて仁王立ちになった。
「エリポス圏の兵がこの体勢になれば降参の合図だからそれ以上の攻撃をしないように」
次いで、盾と槍を持ってきてくれた兵、ファリチェ・クルメルトを呼んだ。
軍団に入った当初は長髪だった黒髪をエスピラに合わせてばっさりと切り捨てたために何となく印象に残り、同じ船に呼んでいた青年である。
「それから、本当に降参したのかどうか分からない場合は」
ファリチェに降参した兵のように槍と盾を持ってもらった。
エスピラはそのファリチェから一度離れ、近づく。
「槍を奪った後で剣を捨てるように示し、自軍の方へと投げ入れるように」
近づいて槍と盾を取り、槍だけを捨て、剣と盾を交換してからエスピラは自身の後ろへファリチェの背中を押した。
「時間はかかるが、万全を期したいなら剣も奪え。そうでないなら槍だけを捨てて投げ入れろ。ただし、盾は絶対に返すように。エリポスの重装歩兵にとって盾が一番大事で、盾を無くした者は臆病者として蔑まれる。盾だけは絶対に粗雑に扱うな」
「それは、最初から知っていたのですか?」
ルカッチャーノが左手を軽く挙げてから発言した。
「そうだ」
「今になって伝えたのは、何故ですか?」
要するに、アントンが奪われている可能性を考慮しなかったのか。あるいは戦闘中に伝える余裕は無かったのか、と言う確認もあるのだろう。
(それとも、に行きついていれば嬉しいが)
思いつつ、エスピラは口を開く。
「降参するとは言え油断はできない相手だ。しっかりとこちらに罠を仕掛けても来たしな。故に、最初の一撃は最大の攻撃で以って砕かねばならない。慈悲なく、遠慮なく、確実に獲る。そのためには油断しかねないことを告げるべきではないと思っていただけだ。
だから伝えなかった。最初の戦いが小規模の可能性があったからこそ、伝えなかった。
そして、次からは大規模になりかねないからこそ、野蛮な民族にならないように今伝えただけだ。それ以上でも以下でも無いよ」
アントンでの戦いが予定通りのモノだった可能性もあるいは予測し準備していた出来事の一つだった可能性も残しつつ、エスピラは言葉を締めた。
それ以上はルカッチャーノも何も言わずに引き下がる。
「他に質問は?」




