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布石

「ピエトロ様は元老院からのお目付け役です。あまり動かさないのが無難かと思います」


 グライオがすぐにエスピラに言った。


「無能を送りつけた方が悪い」

 シニストラが吐き捨てた。


「シニストラ。言葉が過ぎるぞ」

 エスピラはやわらかく窘める。


「とはいえ、私の意思を理解しない、しようともしない者を高官に置いておくことは軍団にとって不利益しか生まない。どうとでも元老院はねじ伏せられるさ」


 来年の護民官選挙にはネーレをねじ込むことが決まっている。


 この調子で護民官に対してウェラテヌスが一定の権限を持ち続ければ、グエッラの時のようにとまでは行かないが元老院に対して意思を押し通すことも不可能では無いのだ。


 グエッラと違うのは、エスピラはゆっくりとその平民の特権を侵食する予定であることだが。


「危険性は理解しておりますが、ピエトロ様は実績のあるお方。その使い方をテストされている可能性もあります」


 発言をしたグライオがシニストラに睨まれる。抜身の剣のような視線で睨まれている。


「使い方か」


 エスピラは手でシニストラを制しつつ言った。


「はい。ピエトロ様は敵前から逃げたことは無く、その胆力でのし上がっていったような人です。エスピラ様が既にお考えだとすれば申し訳ないのですが、居残りの軍団としてマールバラに備えさせるのがよろしいかと思います」


「随分と権限がでかいな」

 シニストラが顔を背けながら毒づいた。


「おいていける兵は千か二千。エリポス西岸を落ち着かせたとしてもそこから数千増えるだけだと愚考しております。初期の居残りはディファ・マルティーマを守るだけあってロンドヴィーゴ様にせざるを得ませんが、その後はピエトロ様を返すのがよろしいかと。その際に軍団の作戦理解度からしてと言う名目で一緒に返す百人隊長にも自身の監督する兵に対してはピエトロ様、ロンドヴィーゴ様と同程度の権限を与えれば元老院も文句は出ないと思います。何せ、少数の兵で逃げずに帰還する場所を守る光栄な任務なのですから」


 グライオが丁寧に、エスピラに正中線は向けたまま声をややシニストラに向けて言った。


「目途は?」


 エスピラが聞く。


「お許しを頂けるのであればピエトロ様、ロンドヴィーゴ様配下の百人隊長および十人隊長の調略に入ります」


「ロンドヴィーゴの方は私でやる。ピエトロの方は任せた。だが、グライオの策を用いるのが不可能になる可能性もある以上は匂わせる程度に留めておいてくれ」


「かしこまりました」


 要するに、絶対に失敗するなと言うことを含めての了承の返事だろう。


(何が悲しくてこれだけの時間を使っても味方がまとまっていないんだろうな)


 溜息を心の中でかみ殺し、エスピラは頭の中で計画を微修正していく。


「とはいえ、不満があるのも事実か。これまでの成果を見せると言う名目でちょっとした褒美をかけた大会でも開こうか。種目は防御陣地の作成で行こう。ディファ・マルティーマ近くの村を幾つかだけ要塞化しようじゃないか。


 それと、仮装大会も開こう。木こり、農夫、行商人。なんでも良いが、ディファ・マルティーマに来てから見たどこにでもいる者に化けてもらおう。チーム戦が良いな。変装させる側も居て良い」


「仮装大会の方は、兵の観察眼を試していると思っても」

「もちろんだ」


「お伝えしますか?」

「しなくて良い。見抜ければ評価を高くするし、仮装が上手ければ高い待遇を用意するが主目的は息抜きだ。緊張させる必要は無いよ」


「かしこまりました。準備は、どなたに?」

「ジュラメントと、そうだな、カウヴァッロにさせよう」


 こういう時に義弟ジュラメントのような者は使いやすい。カウヴァッロに関しては、戦闘ばかりでこういう息抜き的な行事に関わったことが無いからこその指名である。


「もちろん、グライオにも手伝ってもらうかも知れないが、君に一番やってほしいことはスコルピオの真の完成だ。それは、君か私にしかできない」


 本当は君にしかできないと断言したかったが、そう言ったあからさまな持ち上げをグライオが嫌うことは良く知っている。


「お任せください。必ずや、完成させて見せます」


 その上で改良まで施しそうだな、という期待を抱かせるには十分な声であった。


「ああ。心配はしていない。だが、もし行き詰るようなことがあれば報告だけでなく相談でも何でもしてくれ」

「ありがとうございます」


 再びグライオが頭を下げて、それから退室していった。


 エスピラはグライオをしっかりと見送ってから、鈴を鳴らす。

 数秒してから慌ただしい足音と共に奴隷が二人、入ってきた。


「ロンドヴィーゴ様とピエトロ様を呼んでくれ。明るい話題ではない。来るまでの間に、私が何を狙って何を思ってここまでの行動を取ってきたのかを答えられるようにしておくようにと伝えてくれ」


 それだけ言って、エスピラは右手のひらを見せながら奴隷を送り出した。


 ついでに、アレッシアに居るカリヨに対してジュラメントの乗っ取りを進めるように手紙を出すかを少しばかり迷う。迷って、やっておこうと決断した。


 アレッシアの慣例通りにこなし、大きな失敗を犯さないロンドヴィーゴよりも、エスピラの意思を理解している方であり、ウェラテヌスとアレッシアにとっての最善を考え続けるカリヨの方が良い。そう言うことである。


 例えロンドヴィーゴの失点が少なくとも、より優秀な方が居れば入れ替える。

 それだけのことであり、それだけ残酷な決断でもあった。


(これまで通り、ではいけないのだ)


 マールバラに攻城兵器を持ち込ませないところまでは確実に成功していた。


 その後の苦境は、これまで通りの慣例がもたらした部分も存在する。領域が大きくなり、政治にかかわる者が多くなった以上は、多くの者が同じような権限でいろんなことを自身の利益に絡めて話していては駄目なのだ。


『エリポスを切り取って、自身が上に立つ制度を敷いては如何ですか?』

 と、ズィミナソフィア四世の声がした気がした。


「馬鹿々々しい」


 エスピラは、小さく吐き捨てる。


 素早く統一された意思決定は必要であるが、多様な意見を斬り捨てるような制度は作ってはいけない。それは、父祖が嫌った行いだ。


「エスピラ様?」


 シニストラが先程までとはまるで違う声を出す。


「大丈夫だ。中々、軍団を思い通りに動かすのは大変だなと思っただけだ」


「心労、お察しいたします。ロンドヴィーゴもピエトロも、何故自身が生き残っているのか、出陣することが無く余っていたのか。理解して欲しいモノです」


 ふふ、とエスピラは口を閉じたまま笑ってしまった。


 余りモノか、と思うが、確かに二人とも今起こっている戦争では一度も軍団に徴兵されていなかった。五十四歳と四十九歳。十分に出陣していても良いはずであり、特にコルドーニが実質的な支配者になっていた軍団では一人でも多く欲しかったはずだ。指揮経験があるならば猶更。それなのに、呼ばれなかった。


 シニストラのは言葉が過ぎるが、注意するのも野暮だろう。


「心労を察してくれるならば、グライオに対する態度も少しだけ改めてくれれば嬉しいな」

「それは……」


 冗談めかして言ったエスピラの言葉に、シニストラが言葉を詰まらせた。

 目は左右に泳いでいる。風が髪を揺らしもするが、それよりも眼球の動きの方が早い。


「グライオなら許してくれそうだが、と言ってしまいそうだぞ?」


 笑いながら、エスピラが言う。


「……善処します」


 シニストラの目の動きが止まり、下に行った。


 六歳差、となるとエスピラとイフェメラやジュラメントとの差と同じになる。

 彼らが何か言っても全く気にしない、とは、エスピラはならなかった。それでもグライオは流すのだから、彼に対する評価も高くなるというモノだ。


(そもそもが一門を窮地に追いやったウェラテヌスに従っているしな)


 エスピラとしては、ベロルスに対しては微塵も謝る気は無いが。


 むしろグライオを残して根絶やしにしてやっても何も感じない。高揚感すら覚えるかも知れない。


 一切そう言った行動をしないのは、そんなことをすればグライオからの信を失うから。それだけだ。


「心配はしていないよ、シニストラ。君もグライオの実力を認めているのは知っている。感情的には難しいかも知れないが、できれば何か分からないことがあった時に一度ぐらいはグライオを頼って見て欲しい。それだけで、大分違うはずだ」


「……かしこまりました」


 酷く小さな声でシニストラが返事をする。


「シニストラは私の剣。グライオは私の服だ。服で敵を打ち払うことは出来ないが、剣で全てを隠すことは出来ない。どちらも大事な存在だ」


 自身の代わりも務められるから服なのだが、短くしようとすると身代わりと言った言葉になりそうで。エスピラは、服に例えた別の理由を述べた。


「がんばります」


 シニストラの言葉に、エスピラは頷いた。

 笑みを浮かべるエスピラから、シニストラの視線が逸れていく。


 仕方が無いか、と思いつつも、エスピラは期待を込めて笑みを維持し続けた。


「ちなみに、ソルプレーサやアルモニア様などはどうなるのでしょうか?」


 エスピラの笑みが、少しだけ固まる。


「そうだな。ソルプレーサは耳目でアルモニアは糸か?」


 考えたことはあまり無かったが。


「イフェメラ様やジュラメント様は?」

「イフェメラとジュラメントか」


 難しいな、と言いながら。


 イフェメラを『これから打つ紅い鉄の剣』だとは言いにくくて。


 エスピラは唸りながら、ひねり出しながら、ロンドヴィーゴとピエトロが来るまでシニストラの質問攻めに耐え続けたのだった。


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