再渡航までの小休止
軍団長補佐は三個大隊のまとめ役である。
この一個大隊は五つの中隊からなっており、この中隊の長が百人隊長だ。そして中隊は兵士で言えば八人ごとにまた区切られており、そこにも隊長はいるが後の七人に関しては国から上下を決めることは無い。横一線の、ある種の最小単位である。さらにそこに二人の荷物持ち担当が加わるため正確には十人一塊が最小単位だ。
エスピラはこの夏、その最小単位同士の組み合わせを様々に変えて、ディファ・マルティーマ内外及び近郊の街で工兵としての鍛錬を積ませた。
作らせたのは最初は堀や簡易的な外壁。防御陣地。それをディファ・マルティーマの防衛や村の位置からの最適なモノを考えさせて作るところまで。
ここの監督は五十四歳の軍団長ロンドヴィーゴや騎兵隊長カリトンなど経験豊富な者に務めてもらった。同時に、訓練であるためどのような工事をするにしても一日十五キロ以上の負荷を背負った走り込みは忘れさせずに。
もちろん、訓練を積むことだけが目的ではない。守りを固めることだけも目的ではない。
兵と村人が顔見知りになることもそうだが、僅かな時間でも足止めをし、あるいはハフモニの軍団よりも早くに察知するためのシステム構築が目的である。ディファ・マルティーマとの行き来を村人にもさせ、避難を円滑にするのも目的である。増えたであろう賊に落ちた者から村を守りやすくするのも、収穫物を守るのも目的。守って、兵站に活かすためなのだ。
他にも、接し方、徴収の仕方、嫌われる行為の禁止。
これらを兵に徹底させるのも目的だ。マールバラへの簡易的な要塞群を作ると言う目的でもあるのだ。
その報告を聞きながら、エスピラは頻繁にエリポス圏に手紙を出しもしている。信頼できる者に託して、何度も。何度も。知っている内容でも相手が語りたいようなことであれば知らないふりをして。同時に風習などは知っていることに間違いは無いか? のような少しだけ野蛮と言うイメージを払しょくできるように気を付けて。古事を持ち出して良く見せて。そして、紙の枚数を減らす。政治にかかわる者から商人などへと関わる人を変えつつ色々な場所に信用のおける者を走らせて。
紙はアレッシア内で比較的に紙が多いアレッシア本国から運ばせた。金はかかるが、パピルス紙ではなくエリポスでよく使われている羊皮紙を取りよせた。それを使ってやり取りをする。お金の無い一部のエリポスの都市ではエスピラの文面を削った後に再利用することもできる羊皮紙で、だ。
知っていることを匂わせるのはまだ先だが、ある種の脅しの材料でもある。
そして、何より。アレッシアから紙を運ばせる利点は家族からの手紙も同時に届くと言うエスピラの活力が付いてきているのだ。
マシディリの手紙はもうしっかりとした文章が。その分量に負けないようになのか、クイリッタは大きい文字を躍らせて。ただ、そのことをカリヨに怒られたらしく、次からは小さな字を書いて紙の節約に努めることになったと後のマシディリの手紙には書かれていた。
目を閉じれば、その様子が瞼の裏に浮かんでくるようである。
「エスピラ様」
だが、今日はその空想が掻き消された。
エスピラは意識を秋涼の風が吹く執務室に戻す。その少し後にシニストラが羊皮紙を片手に入ってきた。
「言われていた時候の詩が完成しましたので持ってまいりました」
「助かるよ。いつもすまないね」
言って、エスピラは手を伸ばした。
「いえ。私の趣味も兼ねておりますので」
シニストラが言いながら渡してくれた。
エスピラはそれをアフロポリネイオへの紙束に混ぜる。
「マシディリ様からですか?」
シニストラの目はエスピラが先ほどまで読んでいた紙へ。
「ああ。大王の戦記は全て読み終えたらしい。諳んじたまま討論に参加できるほどに血肉としたい、と言っているから恐らくは今も読みなおしているのだろう。その上剣術の稽古も怠らず、馬術も手を抜いていないらしい」
エスピラは口角を緩め、極めてやさしい手つきでマシディリからの手紙に触れた。
「エスピラ様のお子であり、さらに努力家とは。将来が楽しみですね」
「ああ。全くだ。生きた教材としてマシディリに向けて現状を書いてしまいたいくらいだよ」
しまいたい、と言っているが、エスピラは既にマシディリ用にかなり正確な現状を書き記し、軍団長補佐以上に課しているようなエスピラの目的と他の者の目的を考えさせる文章を完成させている。
六歳の子供に送るものでは無いが、論理的な思考ができるようになるのは個人差があるとはいえ三年以内にはその時期が訪れるはずだ。そう見越しての物でもある。
「そう言えば、メルア様のお腹の中のお子は無事産まれましたか?」
シニストラの言葉に、エスピラの顔から余裕が消えた。眉はやや下がり気味。
「多分な。流石に、何かあれば連絡は早いと思うから、無事産まれたということなのだろうが……。こればかりは、次の連絡を待つしかないな」
シニストラの目も泳ぐ。
口は薄く開いて、閉じて。また開く。
「アレッシアの雰囲気は、どうなったと書いてありましたか? マルテレス様が三度の防衛に成功し、野戦でも勝利を収めた、と聞いておりますが」
エスピラとて、シニストラが本当に何も知らないとは思っていない。
「大騒ぎだ。マールバラに勝てる、と分かったからな。とは言え、流石にマルテレスしか勝てない、と言う意見が大半だがな。それに、マルテレスも半ば長い時間をかけて育てたような兵を多数失っている。次は、厳しいだろうな」
エスピラの調べでは防衛戦だけでマールバラの被害は五千六百。マルテレスは四千八百。その後の野戦で全滅させたと言っても良い七千を討ち取ったが、マルテレス側も五千失っていると考えられるのだ。
マルテレスの二個軍団は既に壊滅したと言っても問題ない。
補充が出来るとすれば、サジェッツァの二個軍団の内一つを貰うことぐらいだろうか。
「互いに動きが止まりそうですか?」
「いや。マールバラは動かざるを得ないはずだ。諸都市はマールバラが勝てることを頼りに裏切っているだけだからな。マールバラが動かなくなれば、都市の裏切りが止まってしまう。攻略にこそ失敗したがマールバラはまだ奪った都市を失ってはいないのにも関わらずわざわざ不利にはなりたくないだろうさ」
「そうなると、次はオノフリオ様がマールバラに挑む形になりますか?」
エスピラはまたもや否定の意を示した。
「オノフリオ様の軍団は奴隷の軍団。マールバラとはそもそも戦うことは出来ない。まあ、正規軍でも逃げただろうがな。マールバラはそれを確かめるべく動いてから、おそらくは新たに半島に入ってきたハフモニの将軍とオノフリオ様が戦うことになる。
オノフリオ様が勝てばサジェッツァも奪還地点を定めて動き出し、負ければまだ軍団に調練を施し続けるだろうな」
オノフリオが勝てば本格的にマールバラも動かざるを得なくなる。そうなればマルテレスの軍団が再起動できるまでには時間を稼ぐ必要があるのだ。
一方で、オノフリオが負ければマールバラも無理には動いてこない。軍団の再編と防御体制の構築に時間をかける。
あくまで、どちらも可能性の話ではあるが。
「アレッシアが奪還するとすれば、インツィーアですか? それとも、アグリコーラか、あるいはもっと南方に下りますかね」
「どうだと思う?」
「インツィーアを取り返せば食糧保存庫を奪えると同時に可能性は低いとはいえエリポス圏からの上陸地点を減らせます」
表情を変えずに言ったシニストラに対し、エスピラは頷いた。
「そうだな。私たちからすればそれが一番ありがたい」
「実際は違うと?」
「そこは分からんよ。だが、アグリコーラが奪われた衝撃が一番大きいが、奪い返せば次はハフモニが大きなダメージを負う番だ。ただし、攻略の難易度はアグリコーラの方が高い。大幅に減った国力でどう戦うべきかは人によって結論が異なるさ」
答えにならない答えではあるが、こればかりはサジェッツァを中心としたアレッシアに残る者達の考え次第。
サジェッツァの性格を考慮するとアグリコーラ攻略に全力を注ぐと思われるが、そこまで確実に絞れるものでもない。
「エスピラ様でも分からないとは本当に難しい問題なんですね」
「君は私を何だと思っているんだ」
溜息を吐きたいエスピラに対して、シニストラは至極真面目な表情しか向けてこない。
本気かな、と言うのはエスピラも理解しつつ、どうしようかと思っている間に扉がノックされてしまったのだった。




