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理性的な刃

「理性的な刃、であるならば互いに思惑は一致しているはず」


 大臣の目が細くなった。アブハル将軍の目は変わらない。


「ラクダが優秀なのは砂漠の踏破性と馬に比べて動じないと言うところ。異民族の騎兵に対して馬はすぐに驚く可能性も捨てきれませんが、ラクダならばそうはなりません。まあ、そもそも戦闘に向いては居ないので大軍が出張れる状況ならば私は怖くて使えませんがね。馬に比べて移動速度は遅いですし」


 マフソレイオからどうやってマルハイマナの東方に連絡を取るのか。


 それは国境である不毛地帯の下に広がる砂漠地帯を越え、陸の端に出てから船で移動する。そうすればマルハイマナの領域を一切通らずマルハイマナの東方に手が届くのだ。


 道を知り、言葉を知り、文化を知っている。

 ならばあとは軍を動かすだけ、とも言えよう。


 文字だけではなく発音もしっかり学べるとなれば、年単位でしっかりと通路を作り、人の行き来を可能にしたルートがある証明なのだから。


「これからは夏。暑い季節。とても重装騎兵カタフラクトを何度も使える時季では無い。加えて大軍を略奪で賄うことは厳しい地帯が戦地となり、制海権は失っている」


 とは言え、制海権と言う言葉は微妙なところ。

 要するに、海上に食糧保管のための島を用意することは出来ない、程度の意味が相応しいだろう。


「理性的な刃とやらはアレッシアからは見えませんね」

「『基本的に』は『絶対』では無いのだろう?」

「私は法務官とは言え異例の二十七歳での任官。そうそう例外を乱発できる立場ではありませんよ」


 互いに確証は与えないまま。


 振り上げた拳の下ろす先は互いに目の前の敵ではないが、自分から戦いを降りる形にはしたくない。


「二万の大軍を率いて、と言う話でしたがどう考えてもここに居るのは数千。今、将軍の旗下に居る兵団は三万を数える。その強気はいつまでもちますかな?」


 大臣が言った。


「それは表にするべき情報ではなかったでしょう。高々四千の兵を二万と見間違うなど、自国の諜報能力の低さを他国に知らせているだけではありませんか?」


「そなたらが喧伝するのが上手いと言うのは見抜いている、と言う話ですよ」

「得意なのは詭弁を弄することだけでは無いのですがね」


 ふむ、とこぼしてエスピラは立ち上がった。

 将軍の手が少しだけ剣の方へ動く。大臣は不動。


「どちらへ?」

 と大臣。


「このまま交渉しても埒が明かないと思いまして。アレッシアの法務官、つまりは一国の国王級の存在と国王の配下では折れるのはそちらが道理のはず。だが、何を認めたくないのかそっちはこちらに頭を下げて欲しいと来たものだ。これが話になると?」


「話にならないのはそちらでは無いか。国王級? 蛮族の国の一行政官が何を言っている」


「国王の居ない国ですよ。当然国王と同じ力を持つのは独自の軍事命令権を保有している者達。王とは、国家を守る責務を負っている者のことでしょう? 王が国を守らない存在ならば、民衆にとって王は必要ありませんから」


「それは将軍だって同じこと。将軍も、また軍事力を持ち国を守っている」


 王への不敬は許さないと言うのか。

 大臣がまくしたてるように唾を飛ばした。


 エスピラは余裕の表情で軽く指を折った右手を振る。


「将軍の軍は国王によって没収される。だが、法務官の軍団は誰かの命令では没収されない。全然違いますよ」


「しかし、法務官の上には執政官が居る」


 大臣も冷静さが戻りつつある声で返してきた。


「その通りです。と言うことは、何を望んでいるのかが分かりますよね?」


 大臣の鼻筋がひくついた。

 ぴくぴく、と鼻が動き、顔もまた赤らんでくる。


「私では解決できないからと、陛下に御出馬を願え、と?」


 対して、エスピラは普通の表情で淡々と口を開く。


「国家のためにこの程度の不名誉もかぶれないのであれば出てこない方が良い。貴方が頭を下げないことで起きるのは両国の不幸ですから」


 要するに、まずはそちらが頭を下げてエスピラに頼み、エスピラはそれに応じてマルハイマナの国王、エレンホイネス二世に頭を下げる。それで解決。


 と言う落とし方である。


 そして、多分、その話の落とし方も想定してエレンホイネス二世はアブハル将軍を大臣と共に行動させているのだろう。


「お好きな方をお選びください。マルハイマナの、エレンホイネス二世に仕える、外交を任せられるほどに信任厚き大臣として。最良だと思う方を」


 唇を噛み締め、大臣が吐きだした言葉はエスピラの行動を是とする返事であった。




「本当に頭を下げるのですか?」

 とは対して見送りもせずにマルハイマナの者を見送った後のシニストラの言葉。


「一回じゃ終わらせないさ。何度かこの島とエレンホイネスの下を行き来する」

「何故ですか?」

「何故だと思う?」


 シニストラの眉が僅かに寄った。

 視線も下に行き、そして戻ってくる。


「メガロバシラスの動きを止めるため?」

「じゃあ、何故止まる?」

「それは……」


 シニストラの眉間の皺が濃くなった。

 いじめたいわけでは無いので、エスピラもすぐに口を開く。


「メガロバシラスには交渉の内容が分からないからさ。だから、親密な関係を疑いもするし、締結した後で分かってもそれだけ関係構築に時間をかけた、しっかりとしたモノを作ったと思わせることも狙える。一回の交渉程度で築かれた関係が脆いことは、今のマルハイマナの行動で良く分かっただろう?」


「なるほど」


「まあ、ついでに逃げた海賊討伐と称して幾つかの小島を襲うつもりではあるけどね」


 立ち位置的にメガロバシラスに近い島を。

 それでいて、防衛や海戦のリスクに見合わない島々を。


「それは、ソルプレーサを使ってメガロバシラス国内の足並みを乱し、漕ぎ手たちにアレッシアの怖さを教えているから、と言うことですか?」


 エスピラは少しだけ目を大きく開き、すぐに元に戻した。


「その通りだ。メガロバシラスに海戦と言う選択を取らせないために、だ。もちろん、兵も将も陸戦の方が得意だからこそすぐに海戦と言う意思はなくなるだろうがね」


 ついでに、エスピラはエリポスの国々にも手紙を書きまくって。


 カナロイアやアフロポリネイオを中心にではあるが、全体的に。満遍なくではなく、やや東に多く。ディティキのあるエリポス西岸付近の国への使者は厭らしくない程度に少なくして。


 そうして、マルハイマナとの講和がなったのはそれから一か月以上が過ぎた後。


 内容は昨年の条約の内容の再確認。戦わない残り年数は九年。


 つまり、それは仮想敵国として互いに名を挙げつつ、準備をする期間。


 アレッシアからすればその間にハフモニとの戦争を片付け、メガロバシラスの力を削いでおく時間。


 マルハイマナからすれば、ハフモニとメガロバシラスとの戦いでアレッシアが力を大きく落としつつ、エリポスを支配しておいてほしい時間。弱った国力の回復のためには新たに征服した土地への税は大きくなるのが基本ではあるし、あるいはエリポスに対して十全な補助が出来ないとエリポス諸都市に思わせるだけの時間。


 アレッシアが仮に負けたとしても、マルハイマナはアレッシアの土地を支配下にするには遠すぎるため大きな問題にはならない。


 エスピラは互いに良い条約が結べたとして、一か月半以上ぶりにディファ・マルティーマへと帰還したのであった。


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