白々しい者達
「また文章を書いておられるのですか?」
最早小屋と言うに近いエスピラの天幕に入ってきたシニストラが開口一番そう言った。
「報告書も兼ねているからな。どうせ、ハフモニの次は本格的にエリポスに攻め込むことになる」
答えながらエスピラは葦ペンを置いた。
「少しでも知識を、と言うことですか?」
「加えて、今回私に従った者達の出番を、とも言えるな。まあ、アレッシアでは初めてマールバラに勝ったとお祭り騒ぎでこっちのことなんか忘れられているだろうがな」
『勝った、勝った、勝った』とマルテレスがエスピラを真似た報告をディファ・マルティーマにもたらしたのは出航前。防衛戦と言うこれまでとは違う形ではあるが、マルテレスはマールバラを追い返すことに成功したのである。それも、エスピラがオリュンドロス島を攻略している間に二度目も成功させたのだ。
陽動や偽装敗北である可能性が低いことは被害を見れば良く分かる。
一戦目がマールバラ九百、マルテレスが五百の損害。二戦目は千二百と三百にまで広がった。二万三千を僅かに超える兵しか動員できなかったマールバラが同じく二万を動員したマルテレスに敗北したのである。
アレッシアは蜂の巣を叩き割ったような大騒ぎだとは、マシディリの手紙だ。
「確かにおめでたいことですが、マルハイマナとメガロバシラスにとってはオリュンドロス島の陥落こそが目下の問題なのでは?」
「メガロバシラスはどうだろうな。マールバラと手を組むつもりならば、この敗北で動きが止まりかねないが」
「ソルプレーサの軍勢も連れてきているのはオリュンドロス島での勝利を最大限活かすためでは無いのですか?」
「言う通りだよ」
エスピラはオリュンドロス島にシニストラに調練させていた四千の他にソルプレーサの同盟都市兵二千を連れてきていた。が、戦闘に参加したのは四千の海軍を陸に上げての攻撃のみ。宝物と食糧が狙われて陸に上がった海賊と元から住んでいた島民に組織的な行動も戦闘も行えるはずが無く、訓練の延長線上としてエスピラはこれを一蹴した。
ついでに海賊の船は焼き、あるいは奪い。海賊は水夫として。島民は農奴としてカナロイアなどに格安で売り払った。逆らわなかった男と子供、老人は売りに出さず、従軍しなかった女性も放置。それどころか、アレッシアに刃向かわなかった者の家や畑は再建に協力までしている。
完全に対応を分けたのだ。
アレッシアに逆らった者の悲惨な末路と、アレッシアに刃向かわなかった者への寛容さで。
「何か、用があったんじゃないのか?」
エスピラはシニストラがソルプレーサの部隊の目的を聞いてこないと悟ると、シニストラが来た用件を質問した。
「マルハイマナから大臣がやってきました。アブハル将軍と一緒です」
アブハル将軍はエスピラが初めてマルハイマナの人と交渉した将軍である。
恐らく、その伝手、と言う意味合いもあるのだろう。
「奴隷に川の水で冷えた酒を持ってこさせよう。それが届いてからお二人を案内してくれ」
案内するのはシニストラが、ではあるが。
エスピラは手元にある鐘を鳴らして、奴隷を呼んだ。すぐにやってきた奴隷がすぐに去っていく。
エスピラは奴隷が帰ってくるのを待ち、帰ってきた奴隷を労ってからようやくシニストラにマルハイマナからの使者を呼びに行ってもらった。
この時点で既に相当な時間を快晴の空の下に立たせていることになる。当然のことながら、その不満がありありと浮かんだ怒り顔で大臣が入ってきた。アブハル将軍は表情を隠している。
あくまでも上位国として尊大な態度をとる大臣と、常識的な行動を取る将軍と言う組み合わせか、と分析しつつエスピラはにこやかな笑みを浮かべた。
「お待たせして申し訳ありません。何せ、忙しいものでして。ですが、代わりに冷たい酒を用意いたしました。川の水でしっかりと冷えておりますよ」
エスピラはコップを大臣と将軍に持たせて酒を注ぐ。
「忙しい? 私には、酒を取りに行かせていたから遅くなったように見えましたが?」
大臣が毒を吐いた。
「いやいや、その間もやるべきことがあったのです。奴隷に取りに行かせ、その間にやることを終わらせる。終わらせるように努力する。そうして、本当に終わっただけですよ」
エスピラは軽く答えると自身のコップにも注ぎ、勝手に乾杯した。
エスピラは酒を唇に当てたが、大臣は動こうともしない。
「疚しいことでもあるのですか?」
くすりと笑いながらエスピラは大臣に言った。
大臣が怒り顔のまま一気に酒を煽る。
「これで良いか?」
「もう一杯欲しいと?」
言いながらエスピラは大臣たちと同時に入ってきた奴隷に酒を渡した。
奴隷が酒を大臣のコップに注ぐ。
「此度のアレッシアの行動について、弁明を聞きこうか」
大臣が酒を睨みながら言い、一口飲んだ。アブハルは酒を一口飲んだきり、口にしていない。
「弁明? 何かしなければなりませんか?」
白々しく、無垢な子供の様にエスピラは返した。
「そなたはマルハイマナがメガロバシラスへと続く土地を殴るのを黙認すると言ったではないか!」
エスピラは右手のひらを大臣に見せた。
それから、ゆっくりと横に移動させて広げていた指を握る。
「言葉は正確に。地峡にある都市への攻撃を容認しただけですよ。対して此処は海上」
「だが、マルハイマナと仲の良い島だと知っていたはずだ」
「海賊を庇う法がマルハイマナにあると?」
「そなたらが虐殺したのは島民だ」
ふむ、とエスピラは頷いた後、一瞬にして怒気を露わにした。
「そろそろ言葉遣いには気を付けろ。前の私は私人だったが、今の私はアレッシアの法務官。君たちより立場は上だ」
そして、すぐに柔和な笑みに戻る。
「島民だと言い張るのであれば、海賊行為を行っている島民と善良な島民の見分け方でも教え、広めてあげましょうか? アレッシアの教育は優秀でして、なんとエリポス西岸では間違って海賊に手を貸す都市が無くなったんですよ」
「それは宣戦布告ととらえてもよろしいですかな」
大臣が毅然とした声を出した。顔は少し紅い。
「ご自由にどうぞ。ただし、カナロイアは海賊行為を許さないと言う声明を出しますでしょうし、マフソレイオも国境から兵は退きましたが軍備を再度整えております。こちらを攻めてくるとなればメガロバシラスもマルハイマナの侵略だと誤認しかねませんし、もちろん、私も総力を尽くします。背後に再びの反乱の気配を感じながらどこまで対処できるのか。楽しみですね」
対照的に涼やかに、そしてやわらかい声音でエスピラは言った。
望みは違うが、互いに今欲している結果は同じ。今は殴り合っている場合では無い。
「やはりマフソレイオの動きはそなたが」
「滞在したのは事実ですよ。後は知りませんが、先に喧嘩を吹っかけたのはそちらでしょう」
「地峡を攻めるために軍団を移動させただけだ。武力行使に及んだのはそなたの方だ」
「いえ。私たちもカルド島からの貿易やマフソレイオとの行き来を海賊に邪魔されましたのでその報復にきただけですよ」
「報復ならば出張らずともこちらに依頼すれば良かっただろう」
「アレッシアとここの海賊の問題ですので」
言葉と言う刃物をぶつけ合い、そして少し間合いを取った。
先に動くのはエスピラ。
「まあ、なんと取り繕おうとこれが事実です。そして、互いに互いが殴りかかってきたように見えるのもまた事実。言うだけ無駄でしょう」
「無駄とは何事か。アレッシアは平和的な解決を望まないと言うのか?」
「まさか。基本的に、アレッシアは相手に殴られたから殴り返しているだけ。最も平和を望んでいるのですよ?」
例えハフモニとの戦いがアレッシアがプラントゥム地方にあるピオリオーネと結んだことが原因で引き起こされたものだとしても。先に殴りかかってきたのはハフモニ。マールバラだ。
「マルハイマナは理性的に刃を揮う。望む展開にはならない」
大臣の言葉に、エスピラは小さく笑った。




