嫌な気分になるだろう?
「怪しいな」
「言うな」
エスピラは晩餐会後の酒宴の席でお茶を飲みながらサジェッツァに返した。
酒宴と言っても人はまちまちで、多くがこれから出陣する者を家族に持つ者達。流れているのも音楽では無く詩の朗読。アスピデアウスの流儀に則って静かに行われている酒宴だ。酒もほとんど無い。エスピラがウェラテヌスの酒蔵から持ってきたものがほとんどだ。
「仮に嘘を記載されていたらどうする?」
サジェッツァが鋭い目を朗読している奴隷に向けながら淡々と言う。
目は鋭いが、別に責めているわけでは無い。
「処女神の神殿で渡されたんだ。毎日業務の合間に時間をかけて占いをしていたと言う目撃証言もある。流石に、その行為は神の怒りを買う行いだ。するはずは無い」
男女の情さえ絡まなければシジェロ・トリアヌスと言う存在をエスピラは高く評価している。信頼している。目の曇りでは無く、正当な評価だと思っているのだ。
「グライオ・ベロルスを傍に置いているのも、私には思うところがある」
エスピラとの付き合いからシジェロに関しては言っても仕方が無いと思ったのか、サジェッツァが話を微妙に変えて来た。
「優秀な者は積極的に使うべきだ。それに、軍団の調練はアルモニアにも大分権限を持たせている。イフェメラ、ジュラメント、カウヴァッロと言ったところも私のところによく来てくれているしな」
「教育によろしくないと言っているのだ。マシディリの悪い噂、その父親候補はベロルスの者が有力視されている」
サジェッツァの視線が、エスピラが晩餐会に連れてきて、今は壁に溶け込むようにして立っているグライオに向けられた。
「サルトゥーラ・カッサリア」
エスピラは一つの呟きを以ってサジェッツァの視線を引き戻す。
「サルトゥーラがどうかしたか?」
エスピラは周囲に視線を這わし、ほとんど注目を集めていないことを確認した。
エスピラの行動に気が付いたのか、グライオがエスピラ達を窺っていた貴婦人を呼び止め、引き離している。
「トリアンフ様を嵌めるために生贄にしたアスピデアウスの者の孫娘を嫁がせ、ほとんどなくなった基盤の残り香を受け継がせるほどかっている平民らしいな」
サジェッツァが独裁官の時に連れ回していた青年である。
少し気になり、そして調べ上げたのだ。
「真面目で勇敢な青年だが、些か人の情に欠ける。立場で全てを考えようとしている。悪いこととは思わないが、柔軟性が無いように私には見えたな。現に、息子が生まれて以来妻の方はもう一人設ける気にはなれていないそうだ」
エスピラの人気は落ちてきたとはいえ、貴婦人に対しては健在だ。
妻が良いのかエスピラが良いのかどっちも良いのかは分からないが、子供を設けることが出来ると言うのは大きなステータスになる。建国五門と言う名門ならば、の話だが。
「調べたのか?」
「嫌な気分になっただろ」
サジェッツァの質問には答えずにエスピラはそう言った。
「そう言うことだ。あまり、グライオに文句を言わないで欲しい」
言って、エスピラは雰囲気を崩した。
もう一度お茶で喉を潤してから、続ける。
「それに、優秀な者は貴重なんだ。
アスピデアウスは傍流も含めれば数が居るから優秀な平民を一族に抱きかかえることが出来る。権力も一番手にはならずとも常に高い地位を維持し続けていたから貴族の優秀な者も動員できる。
マルテレスはオピーマが貴族に嫌われる海運を行っているが、平民には人気がある。財もある。マルテレス自身が武人として優秀だ。自ずと人は寄ってくるし、サジェッツァや私と言った名門との繋がりがあるから貴族とも全く繋がれない訳じゃない。
一方でウェラテヌスは名だけだ。財は無い。分けられる土地も無ければ傍流も無い。平民との繋がりも多くは無い。優秀な人材はその家門に染まりすぎていない貴族や貴族の若き子弟から得るしか無いんだ。その中でもグライオは何でもできる。副官にしなかったのはベロルスとの確執があるからであって、彼は既に十分すぎるほどに冷遇されているよ」
サジェッツァが再度グライオに顔を向けた。
険は無い。他の人から見れば無表情で見ているので悪くも感じられるだろうが、そこまでの悪感情は無いようにエスピラには思えた。
「すまなかったな」
「グライオに脅しをかけなければ問題ないさ」
詩の朗読が終わった奴隷が交代し、別の奴隷が新たな詩を朗読し始める。
「サンタリアでの決戦になりそうだ。街壁はともすれば内側から開き、広がるのは完全ではないにしろ平野。マールバラが勝てば半島の半分を奪われると言っても過言では無い」
サジェッツァが事の重大さに反して非常にいつも通りの、淡々とした声で言った。
「予定は変えないよ。三番目の月の七日に出発する。丁度会戦が行われていれば下手に攻撃を受けずに済むしな。占い通り吉日のようだ」
エスピラも同じように淡々と返す。
「シニストラとソルプレーサは呼び戻すのか?」
「いや。彼らには彼らの準備がある。私は此処にいる兵を無事に連れていくだけだ」
五十六艘の軍船と漕ぎ手は既にディファ・マルティーマに到着している。海軍兵力として四千ほどがシニストラの下で調練を続け、出陣の準備を整えているはずだ。
ソルプレーサは同盟都市の兵二千ほどを新たな精鋭とするべく指導している最中。
これにディファ・マルティーマ側が集めた陸兵三千ほどが加わる。
エスピラが連れていくのは騎兵八百、軽装歩兵三千、重装歩兵六千。
勝手に形成した同盟都市の軍団分多くはなっているが、それでも二個軍団と呼ぶには少ない上に重装歩兵での隊列は全て合わせても一個軍団をかろうじて上回る程度しかない。
「エスピラ」
「ん?」
「援軍を出してやりたいのは山々だが、今のアレッシアではこれが精いっぱいだ」
「分かってるよ」
「二個軍団とは名ばかりの経験者のほとんどいない軍団。それで、文化的先進圏に入り、軍事的先進国を止めろと言っているのだ。そうなると正面衝突とも行くまい。正面衝突で踏みつぶせないならば作戦に成功してもアレッシア国内に於いてエスピラの功績は低くみられる。それでも、やってくれるか?」
「それがウェラテヌスだからな」
「頼もしいな」
会話が終わったような雰囲気を醸し出すサジェッツァに対し、エスピラは立ち上がって再び視線を奪った。
「だが、あくまでも私がウェラテヌスだから評価よりも国を守ったことで満足できるだけだ。私の軍団に加わった者も全てがそうだとは言えない。
『雷雨よりも噴火の方が恐ろしい』
被害は雷雨が勝るが、土地に決定的なダメージを与えるのは噴火の方だ。サジェッツァ、気を付けろ。時代は変わる。人も。同様に。昔の形式に縛られていれば必ずや破滅するぞ」
誰に対して言ったのか、サジェッツァならば理解できただろう。
法が完全に公正であることは無く、穴がないことも無い。
人が作ったモノなのだからそれは致し方ない。そして決めごとなのだから守るのもまた当然。
だが、時代の変遷と共に変わらぬ法を絶対とするのは、法に殉じることに、昔の時代に殉じることに他ならない。
サルトゥーラと言う若者がどうなろうとエスピラは知ったことでは無いが、サジェッツァがかっているならばこれぐらいの警告はしておこうと。そう、エスピラは思って言ったのだった。




