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九番目の月の十七日

 炎の姿形が変わったのは分かる。弾ける音も一定ではなく、色も心なしか違うように見えるのだ。だが、それだけ。


 エスピラにとっては眉間の皺が増えるだけである。


「噂に聞きしエスピラ様でも、難しいでしょう」


 常駐神官の老紳士が穏やかに笑った。

 エスピラも眉間の皺をほぐし、参った、と表情を和らげる。


「なるほど、となりましたよ。これは訓練に十年の月日が必要なわけだ、と。占いの腕が良ければ重用されるわけだと」

「それだけではございませんよ。エスピラ様の迷いが反映され、神の御意志が見えにくくなってしまっております。尤も、私もシジェロほど占えるわけでは無い未熟者ですがね」


「迷い」

「不安とでも言い換えましょうか。それも複数の方向に」


 常駐神官が木片を手に炎に近づいた。

 エスピラの顔も神官の動きに合わせてゆっくりと動く。


「お気持ちはお察しします。名門ウェラテヌスも最早エスピラ様次第。如何にエスピラ様が優秀であれどもまだ年若く、官職だけが歳不相応に上がっていく。その重圧は、さながら天空を支える巨人、と言ったところでしょうか」

「それでは、敗者の側になってしまいますね」


 ウェラテヌスの現状を揶揄してかとも疑ったが、エスピラはゆるりと返した。

 常駐神官が手を止めて、申し訳なさそうな笑みを浮かべてくる。


「これは失礼。そのようなつもりは無かったのです。言い訳にはなりますが、彼の巨人は非常に力強く、最後まで戦い続けた者。蔑視の対象ではございません」


(言い訳、ね)


 エスピラは結局羊皮紙を買い求めて手書きで神官の任期が終わるまでのカレンダーをメルアに送ったが、真意が伝わったかどうか。

 そもそも、きちんと意図通りに伝わったのか。


『地獄への道は善意で舗装されている』とは主にある者の行動が他者に与えた影響を見て言うモノである。だが、この場合は。エスピラの場合は自身の良かれと思った行動が自分自身を追い詰めた気がしなくもない。


 だからと言って誰かに相談したところで返ってくる言葉は一つ。


 なら君も愛人を持てば良い。


 アレッシア人ならそれで話が済む。付随する言葉があっても、愛人とする女性は貴族から選べだの金持ちの平民から選べだの、相手の家格の話である。


「ところで、エスピラ様から見てシジェロはどう映っておりますか?」


 思考を中断させた常駐神官の言葉の意図が分からないエスピラではない。

 浮かんだことは、全て合っているのだろう。だからこそ、この言葉だけにしたのだろう。


「あれだけの占いの腕を、俗世に戻った後にどこかの一門に独り占めされるのは国家の損失。とは言え、役目を終えた巫女は本人の意思が尊重されるべき存在です。土地を与え、奴隷を与え、気ままに生きつつもアレッシアのために占いだけはしてもらうのが最良かと」


 だからこそ、エスピラは肯定と拒絶を織り交ぜた。

 前例にない危険な思想を交えて、他者に言いふらすことを牽制するのも忘れずに。


「シジェロの腕をかっていただき、ありがとうございます」


 そうきたか、とエスピラは目を細めた。

 またもや肯定も否定もしてはいけない言葉。どうとでも言いふらせる言葉である。

 どうやら、この常駐神官殿はシジェロとエスピラをくっつけ、自分も甘い蜜を吸いたいらしい。


「今後も、シジェロ様のような占い師を育て上げることを期待していますよ。占いの腕は血縁ではなく本人の資質。その資質を伸ばせるのは貴方のような方。腕の良い占い師の増加はアレッシアのためになり、ウェラテヌスの父祖の何よりの喜びに繋がりますから。勿論、私としては運命の女神の巫女の腕も気になりますがね」


 巫女を育て上げるのにさほど関与していないのは知っているが、エスピラはひとまず神官を持ち上げた。義務を与えた。


 その上で、アレッシアにおいて重要な父祖を出し、その何よりの喜びを腕の良い巫女が増えることにした。巫女の腕に関係がある者としての血縁は否定して、あくまでも育て方である、と。


「ふむ。期待には応えたいものですね」


 穏やかに常駐神官が言った。


 木片が投げ込まれ、炎が形を変える。ややもすれば音もなり、風で揺らめいた。

 常駐神官の雰囲気は真剣さが増している。


「今日が、九番目の月の十七日です」


 一つ低い声に、エスピラは心の中で「メルアの大切な日だ」と返した。


「守り手の誰も休みにはせず、全員を交代制にしておりますが『暗雲』のことは伝えなくてもよろしいのでしょうか」


 エスピラは小さく頷いた。


「構いませんよ。むしろ、警戒していることが伝わり、動きを読みにくくなってしまう方が忌避すべき事柄ですから」

「マルテレス様にも?」


 エスピラの喉仏が静かに上下する。


「ええ。マルテレスは腕も立ち、間違いなく高官になる才を持っておりますが、こういう隠しごとは少々苦手ですので。それに、マルテレスの嗅覚なら嗅ぎ付けられますよ」

「随分と信頼しているのですね」


 エスピラの視線が人知れず下がった。


 信頼しているのか。

 それは、間違いなく。


 腕が立ち、人の懐に入り込んでいることが多く、面倒見も良い。才能だって自分より上だ。そのくせ気取ることも無く、失言はするけれども嫌味も言わない。

 素晴らしい男だ。


 だからこそ、何かと推薦してしまい、何かと自分の近くに居る状態になってしまう。


 まるで、『マルテレスがいないと何もできない』と、見えてしまうほどに。


(そんな訳は無い)


 周りから見ても、自分の才能も。


 マルテレスの協力が無いと何もできないわけじゃない。


 だが、この感情があるのに、「信頼しているのですね」の言葉を肯定して良いものなのか。

 随分となのか。心からのなのか。


 否だ。

 そんな訳が無い。


「よろしくお願いします」


 エスピラはそう溢すと、未だに神の意思を読み取ろうとしている神官を置いて、寒風を防げる建物へと歩を進めていった。


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