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占いを待つ間に

 カナロイアの王子、カクラティスから届いた一か月遅れの生誕日の祝いの品を手にエスピラは唇をつまんだ。


「それは何か、聞いても大丈夫か?」


 先程からそわそわしており、座った時間など無いのではないかと言う動きを見せているマルテレスが聞いてきた。


「カナロイアの王子からの生誕日祝いだ」


「その紙が?」

「ああ。例えば、メガロバシラスの高官の性格とか最近の派閥争いの様子が書かれている」


 マルテレスが小さく頷くと、また落ち着きなく部屋の中を歩き始めた。


 他の人ならばエスピラも苦言を呈しただろう。だが、いきなり執政官と言う最高の地位に置かれ、しかもアレッシアの歴戦の名将たちを屠ってきたマールバラと戦うと言う状況になりながらも落ち着いた振る舞いをマルテレスが演じているのは知っている。故に、エスピラは何も言わずに目を紙に落とした。


「今のところ、メガロバシラスの侵攻経路は海を渡って島々を領域に収めながらカナロイアを始めとするエリポス諸都市の海軍力を取り込む方針で動いているらしい」


 そして、代わりにと言わんばかりにマルテレスに話題を提供する。


「大丈夫なのか、それ。時間が無いだろ」


 いつもよりやや大きいマルテレスの声に、しかしエスピラは反応を崩さなかった。


「出陣の日取りは神にお伺いを立ててから決めるのが流儀だ。それに、直接戦うことだけがメガロバシラスを封じる策じゃない」


 いつもより落ち着いた、少し低めの声で返す。


 マルテレスは何度か頷きながら、エスピラの目の前の椅子に座った。机の上に置いてあるブラッドオレンジの皮をむき、口に突っ込んでいる。零れた汁はすぐさま拭き取り、喉仏が大きく動いた。


「落ち着いているな」

「マルハイマナが中途半端にメガロバシラスと仲が良かったおかげでね」

「マルハイマナ?」


 二つ目のブラッドオレンジに伸びていたマルテレスの手が止まる。


「マフソレイオとの国境を睨めるところで軍備を整えると言うことは同時にメガロバシラスを睨む位置にもなってしまうわけだ。もちろん、両者に対して言い訳ができるようにその位置にしているのだろうが、おかげでメガロバシラスの動きは鈍くなる。問いただしてものらりくらりと避けるだけと言うのはメガロバシラスも分かっているだろうしな。

 マルハイマナの言葉の裏を取るには時間がかかるのさ。これが現時点での動きの封じ方だな」


 はえー、と呆けた声を漏らしてからマルテレスがブラッドオレンジに噛みついた。


「実にたどり着く保証の無い皮を食べるか、誰かの食べかけを奪うか。どちらもやりたくは無いだろうからな。マルハイマナも三国の間で主導権が欲しいのは本音だ。まあ、隙と見れば本気で攻めてくるだろうがね」


 ブラッドオレンジに齧り付いていたマルテレスが止まった。

 目線は、下の、剝き捨てた皮に向いている。


「ちなみに、エスピラならどうするんだ?」

「今の私の立場なら、食べかけを奪う」


 言って、エスピラはマルテレスのブラッドオレンジを手から強奪した。

 すぐに口に放り込む。


 あー! と言うマルテレスの叫びが響き渡った。


「まあ、本当に奪うのはメガロバシラスの食べかけも含む領域だからな。私にとっては不利益は非常に小さい故に、と言う話さ」


「だからって本当に奪うこと無いだろ?」

「美味しそうに見えたのでね。つい」


 悪びれた様子無くエスピラは肩をすくめた。


「お前なあ……」


 溜息交じりに言って、マルテレスが下を向いた。


 エスピラはそんなマルテレスから視線を切ると、カクラティスからの生誕祝いを読み進めていく。ただ黙々と。目と頭を動かして。


「パンテレーア、完全に陥ちちゃったな」


 エスピラがマルテレスに目を向ければ、ブラッドオレンジの皮が五つ分に増えていた。


「まだ二年前って言えるよな。懐かしいな。エスピラが指示を出して、俺らがそれに従ってカルド島を制圧して行って。あの頃はこんなに長引くとは思ってなかったなあ」


「此処まで苦戦するとも思っていなかったさ」


 一年でカルド島を制圧して、次の一年で橋頭保を作り、ハフモニ本国を脅しながらプラントゥム辺りを切り取れれば万々歳。


 そんな目論見だったのだが、一人の天才によって年単位で編まれていった計画が全て頓挫してしまった。


「しかも、折角ハフモニ本国からの援助を防ぐために敵艦隊にも打撃を与えたって言うのに、結局アグリコーラに敵の支援物資が到着しちゃったんだろ?」


 はあ、とマルテレスがため息を吐いた。

 全てが上手く行くわけでは無いと知っていたけどさ、とこぼしてもいる。


「マールバラに届いたのは軍馬が五千にまとめれば船二艘に満杯の銀だけらしいけどな」

「十分じゃないのか?」


 マルテレスが天井を見上げる。


「そう思うか?」

「エスピラがそう聞くからにはそうじゃねえなって今思った」


 正直な言葉に、エスピラは苦笑を漏らした。

 マルテレスのおどけた顔がエスピラの方にやってくる。


「もっと真っ当な理由は無いのか」

「教えてくれよ。しばらく会えなくなるんだぞ」


 エスピラは、この友人の大型犬のような表情に弱い。


 残念ながら、弱い。


「マールバラが欲しているモノと違う、と言うことだ」


 エスピラはカクラティスからの書を横に置き、身を少し乗り出した。マルテレスも同じように乗り出してくる。


「まず銀の量だが、圧倒的に足りないしバリエーションが無い。マールバラは何度の戦闘で勝った? その度報酬を出した? 出した報酬は?

 兵に配ったのは基本的には略奪品だろう。しかも、鎧や剣の類。だが、北方諸部族の中には鎧を着けることを良しとしない部族もある。投げ槍は消耗が激しいから良いとして、剣は毎年のように二本も三本も貰っても陣中では意味が無い。壊れたら完全に自弁とは言え、相手から奪ったり、どうしてもだと支給もされるだろうからな。


 だから、今はマールバラの軍では軍事品の報酬としての価値は下がっている。その中で銀だけ? 心は離れかねないな。


 しかも軍馬だ。確かに、奴らの優位性は馬の調教と騎兵の錬度にある。それがマールバラの戦術を支えている。が、今はさほど馬を失ってはいない。そこに五千。人よりも食事の量がかかる馬を五千だ。これからは自由に略奪できず、食糧の調達が問題になってくるかもしれない状況でな。明らかにこれは首を絞めている。どうせ送ってくるなら、もう一年後の方がありがたかったはずだ」


 ただ、これは進軍の行程でどれほどの馬を失っているのか、あるいは食肉に変えているのかをエスピラは正確に把握していないため、適切な処置だったかも知れない。


「要するに、俺らは寝返った奴らの畑から奪いまくれば良いってことだな」

「そうなるな。守ってくれと要請があれば最低でも今年は動かないとマールバラの『解放』だとか言う作戦は崩壊するからな」


 小さく、二度、マルテレスが首を上下に動かした。


「つまり、ハフモニ本国がマールバラに送るべきだったのはマールバラの軍団を纏めるための豊富な種類の財宝と食糧、そしてマールバラの軍団を割かずに済む追加の軍団だった、と」


「その通りだ」

 マルテレスの言葉にエスピラは頷いた。


「しかも五千頭の馬だって、産地が問題になってくる」


 言って、エスピラはブラッドオレンジを二つ手に取った。


 一つは皮を剥く。


「フラシ騎兵が何故精強か。それは継戦能力の高さにある。馬上に居て、投擲攻撃を中心にしてくるのは脅威だが、それ故近接戦闘には向かない。だから距離を取る必要がある。回頭と突進を繰り返す必要があるんだ。これを続けられるのは馬にも体力が必要になっている。だから、フラシ騎兵の乗る馬はそれに向けた改良がされ続けてきた。


 一方でプラントゥム騎兵は白兵戦の最中に馬から降りて歩兵になれるほどの練度がある。これは馬との意思疎通もその通りだが、走り続ける能力よりも重さに耐える能力、馬力の方が要求されている。しかも近接攻撃に移るからこそ速度も必要だ。


 一口にマールバラの騎兵は優秀だと言っても、必要とされている馬は全く違う」

 フラシ騎兵の時は皮の無いブラッドオレンジを、プラントゥム騎兵の時は皮のついたブラッドオレンジをエスピラは机の上に置いた。


「すごいな」


 言いながら、マルテレスがオレンジをまじまじと見る。


「全ての戦闘をもう一度洗いなおした。マルテレスには勝ってもらわないと困るからな」

「友よ!」


「まあ、馬の違いに気が付いたのはマシディリだがな」


 マルテレスが両腕を広げた体勢で固まった。

 マルテレスの首が、横に倒れる。


「証言に基づいているから確証は無いが、戦闘時間が違う。戦闘スタイルが違う。そこを何故ですか? と聞かれて、ようやく気が付いたよ。馬についてはマールバラが使っていたのは既に調べ済み。確かに違いがあった」


「すごいな」

「私の息子は天才だろ?」


「……おう」


 一気に反応が悪くなった。


 エスピラがジト目を向けると、「話が長くなるだろ?」と返されてしまう。


「要するに、騎兵を減らせば何とかなる、と言うことか?」


 慌てて話題を変えるように、マルテレスが言った。


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