魔女の構想
「お父様の名前がマフソレイオから出る。それは、即ちマフソレイオが繋がっているのはアレッシアでは無くお父様と、と言うことになりますから。アレッシア人を『野蛮』と定義しておきながら、その例外としてお父様と繋がりを持つと言う建前を与えて関わりやすくする。同時に、アレッシアだけでなくマフソレイオと言う大国の後ろ盾を持ち、マルハイマナと言う大国の頭を押さえた人物となることでエリポスで影響力を持てる。
狙いは、宗教会議への出席ですか?」
ふむ、と思いはしたが、エスピラは否定することも隠すこともやめた。
「理解が早くて助かるよ」
エスピラもマルハイマナの東方に広がる部族の言葉で返す。
「安心して、お父様。兄上は気が付いておりませんもの。お父様の策がマルハイマナを封じ込めるモノであると信じておりますし、マフソレイオと繋がることがお父様のアレッシアでの復権につながると本気で思っておりますから」
「会う人会う人に好感を抱かせる、良き君主じゃないか」
「操りやすい人、と言うのでしょう?」
エスピラは厳しい目をズィミナソフィア四世に向けた。
ズィミナソフィア四世は楽しそうに笑っているだけ。
「イェステス様は暗愚では無く得難き人材だ」
「安心して、お父様。私ももちろんマフソレイオの最大の利益で動きます」
「それは、国境付近での人の移動と物資の移動は反対だと言うことか?」
ズィミナソフィア四世は笑ったまま。
肯定も否定もしないが、それこそが回答である。無理矢理の移動は軍隊を動かすよりは有効であるが、採りたい戦略でも無い。下手にどちらかに同意して敵を作るよりは、上手く隠れてやり過ごす。それがズィミナソフィア四世の取る道だと。そう言うことだ。
「アレッシアに対する支援を明確に打ち出し、マフソレイオが諸外国からの信用を得る。アレッシアが確実に勝てる、覇権を握れるような支援をしつつ、支援の量に国内の不満が湧き出ればイェステス様を亡き者にし、より扱いやすい弟たちを新たな王に据える。
イェステス様の言う通り、兄弟は大小はあれど私になついてくださっていた以上は私との関係もそこまで悪化しない。
そう言う目論見だろう? ソフィア。そうすれば、全権を握れるからな」
ズィミナソフィア四世が良い笑みで両手を合わせた。
「私がお父様の考えを読めるように、お父様が私の考えを読めることがこれ以上なく嬉しく思います。本当に、嬉しい限りですよ、お父様」
エスピラは嘆息するとズィミナソフィア四世から視線を切った。
右手で右目をもむように動かす。
「国家の敵や国家に腐敗をもたらすような輩には徹底的に厳しく当たっても構わない。何をしたって良い。だが、そうでは無い人には寛容性を持って治めるべきだ」
「お父様。それはあくまでも才能に乏しく、領地は狭く、治める人も少ない場合の話ではありませんか? マフソレイオは領地も広大で、口出しを狙う輩も非常に多い国です。アレッシアよりも、いえ、失礼いたしました。エリポスを手に入れたのであれば、アレッシアも超大国。エリポスから元老院へ状況を報告し、元老院が決定を出す頃には状況が変わっていることも良くあると思います。元老院は、国家の危機でも意見が割れていたようですから、特に遅れが顕著になるでしょう」
私は自分の才能に自信があります。お父様の才能も一国を治めるのに十分でしょう。エリポスを切り取って、自身が上に立つ制度を敷いては如何ですか?
と、そう言う話である。
「ソフィア」
エスピラは低い声を出した。
「護民官や民会が行ったのは『平民の権力拡大のため』などと標榜した行い。あたかも皆のためにやっていると言う雰囲気を出しておきながら、その実やったことは民を殺す行い。欲したのは自分の利益。お父様はそんな者たちを飼い続けるのですか? 寛容性で受け入れている間に刺されるかもしれませんのに?」
だが、ズィミナソフィア四世は変わらずこの話を続けてきた。
それどころか、ベッドの上を動いてエスピラに近づいてくる。
「お父様。これは好機なのです。エリポスもまた利益を求める者達の思惑が交わる構造。小国が乱立し、求めているのは支配の実行。されど彼らの実力は拮抗しております。借りたいのはアレッシア、もといお父様の威光でしょう。
思惑? 狙い? 言葉とその裏にある真意? どうでも良いのです。
彼らにとってメガロバシラスは排除したい相手。元は後進国家だったのに人質まがいの留学を強要され、軽く見られている。宗教会議だって国家の政務に影響を与えるほどの力を失ったのはメガロバシラスを呼んでいないから。
お父様。言うまでもありませんが、エリポスは今やアレッシアの、蛮族と貶している者の力を借りてまでメガロバシラスの力を削ぎたい者とメガロバシラスに阿って、メガロバシラスよりも憎い者をメガロバシラスに排除してもらいたい者に別れているのです。
多少の策謀。昨日の蠢動。どうでも良いのです。
そうでしょう? だから、お父様が出向くのでしょう?」
「エリポス人が動くのはそれだけでは無いけどな」
例えばカナロイアのカクラティスは経験豊富な農奴を欲している。ドーリスは傭兵を買ってくれるところ。つまりは闘争があれば良い。アフロポリネイオは宗教的権威と金と言う、一見すると相反する二つが欲しい。
まあ、ズィミナソフィア四世に言うことでも無いが。
「お父様がエリポスを抑え、私がマフソレイオを統治する。その圧力で以ってマルハイマナを切り取り、東方世界に強大な帝国を築き上げる。その版図は広く、言葉も障害にはならない。アレッシアの国力が弱まり、ハフモニもじきに死滅する今ならば可能ではありませんか?」
「大王の築き上げた大帝国を復活させてどうする。あれは一代、十年足らずで崩れた国家だ」
エリポスの小国家を大王の父が軍事改革を施し、これまでのエリポスの軍事力の結晶とした。その父が統一したエリポスが父の死後に分裂し、再統一を果たした後に最大版図を築き上げたのが最初の大王である。
「お父様の後継者はマシディリ。そこで割れることはありません。加えて、私が宰相となりスムーズな禅譲をサポートします。文化の侵略もマフソレイオの図書館を使わせると言う名目で少しずつ入れて行けば問題ありません。エリポス人やアレッシア人との混血も推奨し、いざとなれば民族という区別を消してしまえば良いのです」
壮大な計画だ。
混血を繰り返して、民族を地上から消し去るのだから。
エスピラはすっかり匂いがするほどに近づいてきていたズィミナソフィア四世に顔を向けた。
「どこまでが本気だ?」
「どこまでも本気です」
真っ直ぐな視線を向けてきた後、ズィミナソフィア四世がエスピラの手を動かし、机を動かして膝の上に座ってきた。座った後にエスピラの左手を動かして、エスピラに抱きかかえさせる形にしてくる。
はいはい、とエスピラは子供をあやすように手を動かした。
「壮大な夢だ」
「夢とは大きいモノでしょう?」
「そうだな。夢が大きいことは良いことだ。私もその大きな夢を応援したいものだが、残念ながら私がアレッシアを捨てるようなことを前提としたものならば叶えてやることは出来ないな」
「大丈夫ですよ、お父様。途中までなら道のりは同じはず。今日は、そのためにわざわざやってきたのでしょう?」
「下手な演技までして呼んだのはどちらだ?」
まあ、とズィミナソフィア四世が驚いたように口を丸くし、指を伸ばした手で口を隠した。
「下手な演技だなんて。誰も私の体調不良を疑わなかったと言うのに」
「優秀な緑のオーラ使いがいなくて良かったな」
ふふ、とズィミナソフィア四世が笑う。
「お父様が異常なのでは? あれだけの子がいて、誰も大きな病なくすくすくと育つ。たまには医者を呼ぶなり雇うなりした方がよろしいかと」
「金がない」
情けない話だが。
「あげましょうか?」
「図式がよろしくないな」
「娘から借りる父親、と見れば問題ありですが、娘が嫁いだ家から援助を受けるのは十分に有り得る話かと思います」
「私は公的にソフィアを娘と認めたわけでは無い」
「お互い、立場がございますからね。ですが、良いのです。誰が何と言おうと、私とお父様が知っていれば、それで十分なのです。例えその生まれがお父様にとって屈辱的なモノであったとしても」
(本当にそうだな)
周りは知りたい話しか知ろうとしない。自分にとって都合の良い話しか覚えないし吐き出さない。群衆とはそのようなモノなのだから。
「ソフィア。それで良いのなら、来て欲しいならきちんと呼べ。そしたらマシディリやメルアの用件と被らない限りは私もここに来る。体調に問題が無いからと言って、食べられるのに食事を断るな」
「心配してくださり、ありがとうございます」
くすくす、とズィミナソフィア四世が笑った。
ただ、これまでと少し違って無邪気な色が漏れ出ているように思えた。
「ですが、私の体よりも今は『象の調教法』についての方が気になるのでは?」
ズィミナソフィア四世の笑いがぴたりと止まった。
「私は乳母に子供に甘すぎると良く言われていてね。ソフィアの言については否定させてもらうが、同じ『象』に対して行き違いがあっても困るのは確かだ」
ズィミナソフィア四世がエスピラの左手を取り、革手袋の上から指をもみしだき始めた。
「ですが象は象。維持コストは高く扱い辛いモノ。群れを用意しなくてはならず傷を負えば暴れだす。敵へは調教の成果で戦いますが味方へは恐怖で立ち向かってきます。私は自陣の近くで使う気は一切ございません」
「私も調教はしたがこの一年が最後だろうな。後は盛大に暴れてもらって、マルハイマナに吸収されても構わないと思っているよ。使うとしたら、あの上から投擲を行うくらいか? いるだけで慣れてない人馬を恐慌状態に陥らせられるしな」
対メガロバシラスおよび半島の情勢を常に把握するのが最優先。
他の場所への手は緩めるしかないのが現状である。
「ラクダはどうします?」
「一度の不意打ち以外は物資輸送に用いた方が良い。残念だが、私はあまり用いる気が無いよ。ソフィアの好きにしてくれ」
「では、お父様が兄上に取らせたかった作戦の後押しをするために使わせていただきます」
実際、砂漠の民は不毛地帯での後方支援に大いに役立つだろう。
同時に、マルハイマナの的とし、その者たちを守るためと言って襲ってきたマルハイマナの軍勢を『賊』として討伐することもできる。
もちろん、ここまでの強硬手段に及べば外交問題に発展するが。
「では、ますます『象』についてだけ詰めれば良いのですね」
ズィミナソフィア四世がエスピラの左手を放し、膝から降りた。
ベッドの下をめくり、羊皮紙を取り出している。
「幸いなことに目は兄上の方に逸れますから。ゆっくりと打ち合わせができますね、お父様」
そして、ズィミナソフィア四世は人形のような笑みを浮かべたのだった。




