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初任務はマフソレイオにて

 最初に出陣したのは法務官オノフリオ・クレンティアであった。


 彼の率いる奴隷の軍団は扱いが難しく、それが故に準備の時間が一番設けられていたのである。軍団兵の元が奴隷であるため、盛大な見送りとはいかなかったが自由と財産を夢見て、そして元老院がそれらを再度約束して出陣していった。


 次に出発したのは前執政官ヌンツィオ・テレンティウス。


 前年の敗軍を中心に形成した一個軍団は、しかし行軍訓練はほとんど終了しているも同然だったため、すぐに北方諸部族との戦いに迎えたのである。当然のことながら、針の筵でもありつつ元老院などのように温かく迎える人もいる生活は彼らの目に再び闘志を灯らせたようであった。


 彼らの出発時期はまさにギリギリ。実は正式に任期に入る前に出発したのである。


 その後にエスピラとマルテレスがようやく自分の軍団の訓練に直接口を出せるようになった。


 この違いの理由は明白で、前者二名は既に名声があり、年齢も十分であり、軍事命令権保有者としても与えられた官職としても異例のことでは無いからである。


 一方で後者二名はまだ若く、エスピラは家柄と実績で、マルテレスは尊称で黙らせている状況なのだ。破らなくても何とかなりそうな掟は、非常事態でも破らないに越したことは無い。


(私の方はまだ良いが)


 マルテレスは被庇護者に百人隊長の経験がある者がほとんどいない。エスピラはあくまでも自主的な訓練として被庇護者が『アドバイス』を求めたため、それに応えた形という建前ではあったが、マルテレスはそうもいかなかったのだ。


 もちろん、見捨てるようなエスピラでは無い。


 共同訓練だとか、たまたま近くで訓練を行っていただとか、アグリコーラ近郊も裏切ったために訓練できる場所は限られているからとか理由を付けて、エスピラは被庇護者を通じてマルテレスの軍団の訓練も受け持っていた。ただ、若い者が多く経験の浅いエスピラの軍団とある程度経験のある者達で構成されているマルテレスの軍団では訓練内容は違う。


 全く違う軍団を育成しているのだ。


 エスピラにかかる労力を見てか、感謝を示す一つとしてマルテレスが借金の軽減を申し出てきたが、エスピラはマシディリの教育を無償でやってくれていた分としてこれを拒絶した。もちろん、それだけでは無く、建前を守るためという意味合いもある。


 とは言え、良く見れば借金が僅かに減ってはいたのだが。


 しかし、オピーマから借りた蔵の中身も減り続ける。


 若い軍団に対して多少の給金、ボーナスじみたモノを渡さねばならないのだ。厳しい訓練と、やさしさのギャップ。加えて、公衆浴場の紹介に娼館の紹介。武具屋の紹介およびそこがウェラテヌスの武具屋であるために軍団に所属している間のサービス。

 戦争前からとかく金がかかるのだ。


 だからこそ、略奪した物が軍事命令権所有者の懐にも入ってくるのではあるが、初期投資は大きく、敗北すればその影響は大きすぎる。


「加えて外交は金がかかる」

「はあ」


 時間つぶしがてら帳簿を見せていたシニストラからの反応は芳しくなかった。隣に座っているグライオは真剣な目つきで軍団にかかった費用の帳簿を見ている。

 エスピラはそんな二人を見ながら口を開いた。エスピラの髪をマフソレイオの陽光と湿気の少ない風が弄んでいる。


「私は、私が軍事命令権を所有している内に君たち二人ともを財務官に就ける気でいる。そう気の無い返事をせず、しっかりとつけかたを学んでおいてくれ」


 言いながら、エスピラは足音を聞き取って顔を入口に向けた。


 静かだが、ある程度体格の良い者の足音と数人の金属音。二人程度か。早くは無いが、少しばかり急いてはいるようだ。


 眉間に皺を寄せて帳簿を見ていたシニストラが立ち上がり、グライオが少しばかり椅子をずらす。入口に対応できるように。エスピラとの間に入れるように。


 そして、扉がノックされた。

 時間も開かず、こちらの反応を待つことも無く扉が開いた。


 そうなれば当然入ってくる者は限られる。今回の場合は、足音からしてマフソレイオの国王であるイェステス以外にはあり得ない。


「エスピラ様」


 事実、入ってきたのはイェステスであった。

 剥き出しの両腕からは前に会った時よりも立派に育った筋肉が見て取れる。


「お久しぶりです。いやあ、会えて本当に良かった」

「そう言っていただけるのであれば嬉しい限りです」


 エスピラも立ち上がり、イェステスと握手を交わす。


「エスピラ様に会えたとなれば、きっとズィミナソフィアも元気を取り戻しましょう。いえ。本来なら真っ先にエスピラ様に会いたかったでしょうに、最近は統治者としての疲労が溜まっているのか、何事も人を介して指示を出している状態なのです」


 イェステスが眉を下げ、目線も下げた。声も力無い。

 後ろの兵もやや憂いのある表情をしている。


「そのような状態でも会ってくださることに感謝を捧げます」

「感謝だなど、言わないでください。ズィミナソフィアも実の父のようにエスピラ様を慕っておりますから、会いたかったに決まっております」

「それは良かった」


 言いながら、エスピラはイェステスに並んで部屋を出た。


 シニストラはその後ろに来ており、グライオは部屋で待機。向かう先は、正規の応接室のその隣。前女王もたまに使用していたベッドのある応接室に案内される。途中に感じる厳しい視線は、されど目を向ければいなくなるものばかり。何かを言われることは無く、目的の部屋へと到着することが出来た。


 部屋の両脇に立っている兵がイェステスに敬意を示し、それから扉を叩き、開ける。


「ソフィア。エスピラ様が到着されたぞ」


 兵がよけきるのが早いかイェステスが動き出すのが早いか。


 若き国王はすぐさま部屋に入って行った。止めようとして、諦めていた女中にエスピラは軽く同情の会釈をして、目と手で入って良いかを尋ねる。こくり、と頷き、女中が頭を下げた。エスピラはシニストラに待っているように伝えて、部屋に入る。


 前の主と変わらず、黄土色の石畳が良く見える部屋。窓からは遠くの川が見えるが高さは十分にあるのが分かる。ベッドはやわらかそうであり、脇には花が飾られている。水の入ったガラスのポットは半分ほど中身が無くなっており、香は程よく不快にならない程度に焚かれていた。おそらく、人個人の匂いは近くにいけば分かるだろう。


「お父様!」


 頬の肉は少し落ちているが、ズィミナソフィア四世の顔色はそれほど悪くないように見えた。


「お久しぶりです。ズィミナソフィア様。いえ、女王陛下、と呼んだ方がよろしいでしょうか」


 あ、と目を大きくして、ズィミナソフィア四世が口に手を当てた。

 それから、悲しむように顔を斜め下にやり、口も小さくなる。眉は寄せられ。落ち込んでいるように。


 あくまで、『見えるだけ』の演技だろうが。


「申し訳ありません。最近は、色々とございまして。つい」


(さて)


 このまま流せばエスピラが悪者だ。


 別に悪者になっても問題はないのだが、避けられるなら避けておきたい。


「そのお気持ちは十分に分かっております。私も、ズィミナソフィア様に慕われていることは嬉しい限り。此処にはズィミナソフィア様が心を許せる者しかいないのですから、その呼び方であるのも当然のこと。

 しかしながら、今の私はマフソレイオにとっては佞臣の疑いのある者です。

 せめて、エリポス語やマフソレイオの言葉では無い言葉で呼んでいただければと思います」


 この後の話で違う言語を使う理由も内外に示せば、ズィミナソフィア四世の目が了承を示したようにエスピラの目を映した。


「お父様」

「佞臣など、そんなことはあり得ません!」


 ズィミナソフィア四世のアレッシア語とイェステスの言葉が重なった。

 あえてアレッシア語を選択した経緯から考えると、あまりよろしくない状況である。


 エスピラは重なってしまったことで少々うろたえているイェステスに軽く会釈してから、まず話しかけるべきはとズィミナソフィア四世に目を向けた。


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