運命の
「言うのは簡単だ。それに、私がこれまで言ってきた言葉にも絶対の自信がある。だが、証拠を明示することは出来ない。正直なところ、メルアが無意識にマシディリを抱きしめて寝ていたことが何よりの証拠だったのだが、あまり納得はしていないのだろう?」
マシディリの髪が垂れる。
とは言え、エスピラからは元々愛息の顔は見えていない。うなじの位置がさらに遠くにいったのである。
「でもな、マシディリ。噂を流している奴ばらも、そうだと言う証拠は明示できないさ」
マシディリに動きは無い。
エスピラは馬を数歩進め、ゆっくりと動きを止めた。
目の前には平野が広がっているだけで、特に何かがあるわけでは無い。
「なあ、マシディリ。赤子がどうやってやってくるのかは、知っているか?」
そう、ゆるりとエスピラは言葉にした。
「はい。父上と母上が夜や朝早くにいつもしている」
「あ、うん。そうだな」
思わず、舌先と歯の間だけで紡いだような声が出てしまった。
だが、そうしてまで愛息の言葉を途中で遮らずにはいられなかったのだ。
(これは、あまりよろしくないよな)
娼館に行く人は多いが、親のを見た人はほとんど居なければ親から直接学ぶことなんてアレッシアでもあり得ない。
「その、悪かったな。気づかれてはいないつもりだったのだが」
謝りつつも、どうするかを必死に考える。
とりあえずはあまり家を改造せずに済む防音を探すことだろうか。
建築を習わせているのはこのためでは無かったが、何かはあるはず。それを行えば、多少は良くなるか。
「? 父上と母上は夫婦なのです。当然のことなのでは?」
マシディリの純粋無垢な目が、エスピラと合った。
目を見て話したいとは思っていたが、こういう形では無い。
少なくとも、エスピラが望んでいたのはこういう話題で、では無い。
では、どう、軌道修正するか。
「マシディリ。夫婦でも、中々できないところもあればしないところもあるんだ。結婚三日で寝室が別れ、そのまま終わることもある。当然のことでは無いのだ。当然のことのように見えるのは、私とメルアの仲が良いからに他ならない」
マシディリの顔がまたエスピラから外れた。
「父上と母上は、仲が良いのですか?」
「ああ。ウェラテヌスの歴史を紐解けば分かるだろうが、一人の妻と五人もの子を設けたのは私だけだ。出産は女性の方が負担が大きいからな。メルアが私のことを嫌いならば、こうはいかないよ」
こ、くり、とマシディリが頷いた。
「出産で亡くなる者も少なくは無い。私のオーラが緑だから私たちの下に来てくれた子供たちの病は癒すことができ、皆が無事に成人できる可能性を高くできるが、出産に関してはそうもいかないのだ。私としては、メルアにもう負担はかけたくないが、そのメルアが神の思し召しのままに私との子を望んでくれているのだ。仲が良く無い訳がないだろう?」
マシディリは動かない。
少し俯き加減で、風に髪の毛を時々遊ばれたまま。
そうは言っても、それは弟たちが生まれてから。『自分が生まれる前は』違ったのではないか。
言うことは出来ないが、マシディリの中にそういう考えがあるのかもしれない。
「フォチューナ神の教えは知っているな?」
マシディリが幼く頷いた。
「私もメルアもフォチューナ神の教えに従って生きている。その考えで行けば、マシディリが来てくれる一瞬の好機を私たちは掴んだことになるんだ。それも、メルアの生誕日に。いや、正確には次の日の方が長かったが、特別な日に変わりはない。その上、私が唯一公務を意図的に休んだ日なのだからな。
私にしてみれば、マシディリは運命の子だよ。全てが神の御導きで出会えたような、素晴らしい子だ。タイリー様の闘技場を引き継げたり、処女神の神殿に気に入られたり、今年のように最高神祇官を凌ぐ権限を一時的に手に入れることがあったりと何かと神には気に入られているような気がしているからね。あながち、間違いでは無いだろう。
マシディリ。私たちの下に来てくれてありがとう」
そう言って、エスピラは手綱から手を放して両腕でマシディリを抱きしめた。
「ちち、うえ?」
「お前は私の子だ。他の誰も、私以外の誰もマシディリの父親を名乗ることは許さないとも。私とメルアの子だ。私と、メルアの子供だ」
何が、誰が、どう言おうと。
エスピラのマシディリへの愛情は本物なのだから。
「すみません、父上」
「良いんだ、マシディリ。謝るべきは私なのだから。私と家族と友だけ知っていれば良いと。見たいモノしか見ない者達には何を言っても無駄だと。放置して愛する者を傷つけたのは父なのだから」
エスピラはマシディリを抱き寄せたまま左手をマシディリの頭の上に置いた。革手袋の上から、マシディリに口づけを落とす。
「だが、そうだな。もしマシディリが申し訳ないという思いを拭えないのなら、父の代わりに父の大事な人たちを守って欲しい。母と、兄弟と、そしてウェラテヌスのために働いている奴隷たちを。父が居ない間、守って欲しい。頼んで良いか?」
「はい。お任せください」
マシディリの頭がエスピラを見るように動いて、でも見れずに終わる位置で動きが止まる。
エスピラが抱きしめているために止まってしまう。
「任に就けば、次に会えるのはもっと大きくなった頃か。成長を見ることが出来ないとは、寂しいものだな」
きゅ、と。
エスピラの腕がこれまでで一番強く息子を抱きしめてしまった。
父や、母も、こんな気持ちだったのだろうか、と。
一生懸命で、ウェラテヌスのためにと言う思いと家のために売られたかのような気持ちばかりで気づきにくかったが。
もしかしたら、とエスピラは思考しつつ目を閉じた。
土の香りと冬の香り。
それに混ざって、マシディリの匂い。
あと、馬も。
マシディリの顔が元の位置に、前を向くように戻ってからもエスピラはしばらく抱きしめ続けた。
離れたのは普段大人しい馬であるアマンテが首を振ってから。
熱を名残惜しむように、マシディリから離れる。
「父上。私が父上と母上の元に来られたのがフォチューナ神の御導きならば、私もまたフォチューナ神の加護を得たいと思います」
エスピラの動きが止まり、呼吸が止まり、それから、やわらかく笑った。
誰も見ていないが、エスピラは心の底から笑った。
「そうか。では、すぐにでも神殿に行こう。父と一緒でも良いか?」
と言って、エスピラは馬首を返したのだった。
選挙が始まり、結果が出たのはそれから一か月半以上が経過してから。
貴族側執政官、サジェッツァ・アスピデアウス。
平民側執政官、マルテレス・オピーマ・ラーマリアン。
前執政官、ヌンツィオ・テレンティウス。
法務官、オノフリオ・クレンティア。
そして、法務官、エスピラ・ウェラテヌス。
以上の五名が新たに軍事命令権を得て、再編した軍団を元に戦場に躍り出る。
これまでの大軍勢を率いての一対一での会戦を主軸にした戦いから、多くの勢力が各地で動く戦いへ。
第二次ハフモニ戦争はその在り方を此処から変えていくのだった。




