誓い
「勘違いするな、マルテレス」
言って、エスピラは馬をゆっくり歩かせた。
すぐにマシディリの手でもマルテレスに届く距離になる。
「私は君を支えないと言ったわけじゃない。君を、そしてアレッシアを支えるために法務官になることを受けたのだ」
エスピラは、音で確認はしていたが目でも奴隷が近づいてこないことを確認してから、続ける。
「食糧保管庫のあるインツィーアを奪われ、肥沃な土地があるアグリコーラまでもマールバラについた。そして、土地は荒らされ、私たちが落としたパンテレーアとスカウリーアにもハフモニ兵が入ったらしい。半島に来るのは時間の問題だろう」
港湾都市のパンテレーアとスカウリーアは半島南部のつま先にあるカルド島の西方にあるが、そこからアグリコーラの港を使っての上陸ならばハフモニ本国から直接行くよりもリスクはかなり低い。
一万や二万の軍団ならば援軍として送り込まれてもおかしくはないのである。
「いや、カルド島も最早戦地だ。我々の食糧はオルニー島に頼ることになるかも知れない」
オルニー島はカルド島の北方にある。
ここは、メントレー・ニベヌレスが親ハフモニ勢力を一掃したばかりだ。
「だが、それだけで食糧は足りるか? 戦いもあるのに。さらに八個軍団を動員しようとしているのに。八個軍団だけでは足りず、増やすことが目に見えているのに」
マルテレスが一度首を横に動かした。
「そうだ。足りるわけが無い。だから、持ってくる必要がある」
「マフソレイオからか。だが、支援はかなり少なかったぞ」
「マフソレイオにもマフソレイオの事情があるからな。その問題を改善してやれば支援は増える。それどころか、カイロネイアなどを巻き込めばもっと多くの食糧をアレッシアに持ってくることが出来る。
それだけじゃない。半島での盤面は、アレッシア対ハフモニに留めて置かねばならない。ハフモニとの同盟に動き出したメガロバシラスはエリポスで叩く必要があるんだ」
マルテレスの顔が勢い良く上がった。
「メガロバシラス!? 無理、とは言わないがメガロバシラスは軍事国家、しかも技術はアレッシアより進んでいるんだぞ。それを今の、軍団の捻出にすら苦労しているアレッシアが?」
「だが、王は名君では無い」
「それでも、栄光の密集隊形だ。男の憧れだ。そんな国だぞ」
噛みつくように言ってきたマルテレスだが、眼球が下に行くような動きを見せたあと、「悪い」と謝ってきた。
「マルテレス。人には得手不得手がある。私ではマールバラに勝てない。だが、メガロバシラスに対してはアレッシアの中で誰よりも勝率が高い自信がある」
「高いたって、半分も無いだろ」
半分はあるんじゃないか? とエスピラは肩をすくめた。
それから左手でマシディリを抱き寄せるようにして、頭を撫でる。
「それに、マルテレスが言っていただろ。カルド島での軍事命令権は執政武官のようだと。私の場合は文句が出ても「既に執政武官になっていたのだ」と言えば法務官ぐらいは通りやすい。
大変なのはマルテレスの方だ。
尊称を与えたとはいえ、海運を営んでいる家門の二十七歳が執政官選挙に出て勝つなど、快く思わない連中も多い。この国難でも湧いてくるだろうさ。
その状態でマールバラに勝つことが求められている。向こうの軍も数は減り、信用できる者は各地に派遣して北方諸部族が多いだろうとは想像がつくが、それでもマールバラだ。タイリー様ですら亡き者に変えた雷神だ。
だからこそ私に副官になってくれ、と言う言葉だったら申し訳ないが、アレッシアを守れるのは、守れる可能性があるのはマルテレスだけだと思っている。
重圧は凄いだろう。
後は無いし、負ければ批判が噴出する。前例のないことだらけで、大軍の指揮をしたこと無い人にとなると一部の貴族が動かないかも知れない。
だが、私はマルテレスならアレッシアを守ってくれると信じている。
約束したからだ。私を守ると。絶対に守ると。
お前は約束を破る男ではない。それは私が一番よく知っている。
神殿の加護も評判も全てマルテレスにも感謝が行くようにしている。建国五門の名を使ってマルテレスの勇名も広げる。カルド島の詳しい話も書き起こす。
副官にはなれないが、私もそうやって全力でマルテレスを支えよう。
それでは、駄目か?」
マルテレスが、はあ、とまた下を向いて溜息を吐いた。
後頭部に手をやって、少しかいている。
「そんな風に言われてさ、俺が断れると思っているのか?」
そして、ニカッとマルテレスが、眉を下げながら笑った。
「ありがとう、マルテレス」
「任せろよ」
そう言って、マルテレスが前腕でエスピラの肩を叩いた。
思わず馬が二歩、三歩と動いてしまう。
エスピラは馬をなだめると、またマルテレスの方を向いた。
今度は少し力を抜いている。
「サジェッツァがまた古い役職を引っ張り出したからな。今度は最高軍事司令官の地位だ。それにサジェッツァがついて、一応合法的に執政官としての職務を引っ張っていく。
だから、マルテレスはマールバラに集中してくれ。
恐らく、初戦はアグリコーラ近くのどこかでの戦いになるだろう。防衛戦か野戦かは分からないが、私と私の軍団が近くを通るのは確定だ。背中は任せるぞ」
「おうよ。しかし、二百年前か? そんな役職を引っ張り出して使えるものなんだな」
「廃止にはされていないからな。それに、氏族が各々の軍団を率いて戦った時と、今回の軍事命令権保有者を五人以上作って戦うのは状況が似ているんだろう」
「次は救国六門か?」
ははっ、とマルテレスの冗談をエスピラは明るく笑い飛ばした。
「セルクラウスもニベヌレスも果たした役割の大きさで言えば大きいさ。タヴォラド様は私と同じで評価されにくいだろうがな」
マルテレスの右眉がぴくりと動いた。
恐らく、エスピラがメガロバシラスと正面切って戦うのではなく、搦手を多用するのだと考えたのだろう。
「それに、救国の士はまだ出てくるさ。それがアレッシアだ。大木が焼かれても、その下からは新たな木が生える。若く立派な木だ。これからだよ」
言って、エスピラはマシディリを右手で撫でた。
マシディリがエスピラを見ようとしたのか、マシディリの頭に乗っていたエスピラの右手が動く。
「安心してくれ。父は、父が味わった苦労をできる限り子に与えたくはないからな」
優しく言うと、エスピラはアマンテの腹を優しく蹴った。
ゆっくりとアマンテが歩き出す。
「一応、俺が教官だからな。少し休んだらまた始めるぞ」
マルテレスの声に、エスピラは片手を上げて応えた。
「父上?」
マシディリの疑問に満ち満ちた声がエスピラの耳に届く。
「聞いただろ? 私は、来年からアレッシアを離れることになる。三年とサジェッツァは言っていたが、恐らくもっともっとかかるだろう。だから、その前に言っておきたいことがあってな」
言うと、マシディリの頭が沈んでいくのが分かった。
手綱もどきを握る手は、一応馬から落ちない程度には力が入っているように感じられるし、足も必死に馬を抑えているが、力が少し弱くなっているようにも見える。
(そう、なるよな)
二人きりで話さねばならないことで、わざわざ時間を作ったこと。
最近のアレッシア内での噂。
自分に向けられる視線。
幼いマシディリでも、いや、幼いマシディリだからこそ思うところは大いにあるだろう。
「マシディリ。父は、多分お前が最も欲している言葉を理解させてあげることが出来ない」
だが、エスピラは、絞り出したとは思えない声で息子を傷つけかねない言葉を紡ぎだした。




