打診
その日、エスピラは元老院に呼び出されていた。
神殿の儀式に関してもほとんどが終了している。他の行事に関してもエスピラがいなくても回ることが多い。
普通であればここで最高神祇官に権威を戻す、などと言った話になってくるのであろうが、エスピラにはタヴォラドやサジェッツァがそう言った声に負けるとは思えなかった。
(そうなると)
自ずと、来年以降の、対ハフモニに対する話になってくる。
特に諸外国との話だろう。
エスピラは相変わらずファスケスを持つ護衛としてシニストラを指名し、議場、では無くその奥の個室に入った。
居るのは独裁官であるタヴォラドと副官であるオノフリオ、そしてサジェッツァの三人。一応、秘書として奴隷が二人、荷物持ち用の奴隷が三人配置されてはいた。
ただし、奴隷は空気に徹しており、空気を作る三人はどちらかと言えば表情の変わらない淡々とした冷たさを感じさせる人物。思わずシニストラが剣を抜こうかとでも言うべき雰囲気に変質してしまうほどの圧がある。
オノフリオはそれを咎めることも無く、僅かに眉を動かすことで謝ってきても居るようであるが。
「君と私の仲だ。前置きは必要あるまい」
まるでタイリーのようなことをタヴォラドが言って、僅かに身を乗り出してきた。
「来年の法務官選挙に出てもらいたい。勝利は約束しよう」
思わずエスピラの眉が上がった。目も大きく、瞳孔も大きく。
「来年、ですか」
エスピラは、我ながら間の抜けた声だと思った。
貴婦人に対して使えば、受けが良く向こうの口の滑りが良くなる、そんな声。
「ああ、来年だ」
「一番目の月に生誕日があるとはいえ、私は来年二十七です。早すぎるかと」
「現状においては関係無いと言うことを、君に説明する必要があるか?」
タヴォラドが氷のような声で言った。
ただし、氷特有の温かさももちろん含まれている。
「元老院が推薦してくださるのであれば、ありがたくお受けいたします」
そう言って、エスピラは深く頭を下げた。
遅れてシニストラが動いた気配がする。気を配るのを忘れていたが、どうやらシニストラもあまりのことに呆けてしまっていたらしい。
「ただ、君の功績はアレッシア人に評価されにくいことも覚えておいてくれ。君に与えられるのは経験の浅い若い兵を中心とした二個軍団。数も用意できて一万六千から七千。騎兵は千も用意できないだろう。君に、アレッシア人らしい他国から讃えられるような戦をさせてはあげられない」
一個軍団は歩兵で八千ほどが基準である。
この前のインツィーアの戦いで散った兵は一個軍団当たりの数を増し増しにしていたが、今回は減じられている。
「もとよりするつもりはございません」
「心強いよ」
タヴォラドが目を閉じた。
そのまま続けてくる。
「船も用意したが五十六艘だけだ。これでエリポス最強であり軍事的技術の最先端を行くメガロバシラスに勝て。無茶は承知だが無理では無いと信じているとも」
(良く言うよ)
エスピラも、今のアレッシアで任せられるのは自分ぐらいだろうとは思っているが。
ただ、それは戦いに置いて勝てる将が居ればの話。エスピラが上では会戦は心許ない。
だからこそ、ヌンツィオとの会話でタヴォラドらの話を出したのだ。会戦に強い人として。勝てる人として。
「その代わりと言っては何だが、軍事命令権は最低でも三年は保証しよう。法務官、前法務官、法務官の流れだ。全ての手続きも演説もばらまきも全て元老院が行う」
投票するのも元老院であるが。
そもそも、お金のばらまき合いになってウェラテヌスに勝ち目など無い。あったことが無い。人によってはお金をばらまいて選挙に当選するくらいなら崖から飛び降りるとまで言い出す者だっているのがウェラテヌスだ。
(国家非常事態だしな)
エスピラは元老院議員になっているが臨時。
タヴォラドやサジェッツァなどの元々の経験者やお歴々がある程度決めた人事が通るような選挙になるのはエスピラとて予想できていた。
そのためにタヴォラドは息子までつけて厄介になりそうな元老院議員を遠くのカルド島に追いやったのだから。
「よろしくお願いいたします」
エスピラとてそのやり方は是である。
返答に少し時間がかかったのは、カリヨに会ったことで少しばかりウェラテヌスとして抵抗を覚えてしまったからか。
「欲しいモノ、欲しい人があれば言ってくれ。最大限努力しよう。被庇護者も君の自由だ。だが、支援の継続は期待するな。送り出した時にあったモノ、それが全てとなりかねない。戦局によってはメガロバシラスとの戦いを切り上げてディファ・マルティーマに帰還せよと命令を下すことになる。
ディティキからの恨みと、同盟諸都市の裏切りの中で飢えと渇きに苦しんでも港湾都市を守り抜けと命じることになる。
文字通り、死んでもマールバラには明け渡すな。メガロバシラスも封じろ。
どちらも必ずやり遂げろ。
これができるのは君しかいないと思っている。私やサジェッツァでも不可能だ。ペッレグリーノ様でもメントレー様でも無理だろう。父上も、晩年であれば立場がある以上できないはずだ」
シニストラからの熱い視線とは裏腹に、エスピラは溜息を吐くように目を上に逃がした。
そしてすぐに戻す。
「アルモニア・インフィアネを副官に。彼の者の調整能力は私の下でこそ発揮するかと。経験も浅く生意気盛りな軍団内部もそうですが、エリポス圏内に対する交渉としても」
「約束しよう」
「ソルプレーサ・ラビヌリを軍団長に。護民官も経験しておりませんが、実際に彼に与えられる四個大隊は私の四個大隊と同じで構いません」
「民会に護民官として推薦しておこう。セルクラウスとしても全面的に応援する」
どのみち、ソルプレーサはエスピラの被庇護者であるため軍団に連れていくことは出来るが。
「マルテレス・オピーマを騎兵隊長に。マルテレスの戦術眼、一騎打ちに於ける無類の強さはメガロバシラスに対する最大の剣になります」
「約束は出来ないな。いや、断った方が君のためかもしれない」
やはりか、とエスピラは思った。
尊称まで与えたのだ。
マルテレスも軍団を率いらせる形でその内使うのだろう。下手をすれば、来年から。
(勝てる者)
エスピラは、意見もするが自分の言うことを聞いてくれそうで、そして戦いに強そうな者を探す。
「役職は問いませんが、その内軍団長補佐以上の階級に引き立てられる存在として、イフェメラ・イロリウスとグライオ・ベロルスを」
前者は期待料込み、後者はいざと言う時に自身の代わりに軍団を任せるかも知れない。
「騎兵のどこかにカウヴァッロ・グンクエスもお願いします」
カウヴァッロは今は亡きボラッチャが推薦した人物だ。
同じくインツィーアで散ったアワァリオも実力を高く評価しており、アグリコーラ近辺での戦いではその実力をエスピラにも見せてくれた。
「三名とも了承した。随分と若いから、必ずと言っても良いだろう」
タヴォラドの言葉にエスピラは一度頷いてから、背筋を少し緩めた。
「シニストラ・アルグレヒトはもちろん連れて行っても構いませんね」
「ああ」
タヴォラドの即答に、エスピラは満足気に頷いた。
「マルテレスは無理だとしても、その六名は絶対にお願いいたします。それ以上増やしてその六名が欠けかねないのであれば、これ以上人物を要求することはありません」
言って、エスピラは小さく頭を下げた。
もちろん、人物に対する要求だけであり、まだ欲しいものはたくさんある。
だが、顔を上げれば次の要求に入る前にオノフリオと目が合った。一拍あって、オノフリオの口が開く。
「ジュラメント・ティバリウスは良いのですか?」
そして、最近顔を見ていない義弟について聞いてきた。




