立ち位置に印を
流石に、小さい頃のように膝の上に乗せて、とはいかない。
マシディリとしては乗ってくれても良いのだが、リクレスは乗りたいと言う素振りすら見せてくれないのだ。
時の流れを感じるのはもう一つ。
リクレスの意見である。畑の土に埋まって「あったかい」と言っていた頃からさらに発展し、自身の体験と頭の中の想像を組み合わせ、質問を重ねてきているのだ。
「五回は執政官になれるね」
べルティーナがいたら、ため息が聞こえてきそうだ。
そう思いながらも、マシディリは頬が溶けるのを止められない。
「父上」
そんなマシディリに突き刺さる愛息の冷たい目も、頬を止めるには至らなかった。
「皆が皆、クイリッタの叔父上やアグ叔父のように分別がある訳では無いのです。兄上が次期当主であると定めたならば、しっかりと一線を引くべきではないでしょうか」
それだけ分かっているのなら大丈夫じゃないかい?
そんなことを、思いつつ。
「まだ決まった訳じゃないよ」
と、リクレスの意に反する言葉を告げる。
頬も、流石に戻した。背筋も伸ばし、横並びの状態から、リクレスに正中線を見せるようにやや斜めへ。
「安定していればラエテルがウェラテヌスの当主になるのが良いのは変わらないけど、状況は不透明だからね。混乱を収める引っ張る力が必要なら、セアデラの方が良いし、アグニッシモの芽も完全に消えた訳じゃない。もちろん、リクレスも、ね。
ただ、ラエテルがいる状況では、ナレティクスはラエテルに着くよ。ジャンパオロ様はしっかりされているとはいえ、もう高齢だ。ノルドロはまだ若い。ラエテルと手を取り合うしかないだろうね。タルキウスに頼り切るのは、他の建国五門も論外だと考えているし、そのような者がウェラテヌスの当主になることは被庇護者も認めないさ。
その状況で全てを押さえ、当主に登り詰める力量がある。それを示してくれれば、リクレスが次期当主で構わないよ。でも、野心だけなら駄目だ。何より、自己を優先する者を、べルティーナが認めると思うかい?」
ふるふる、とリクレスが首を横に振る。
だよね、と言って、マシディリは愛息の頭に手を乗せた。ぽふぽふと撫で、雰囲気もやわらげる。
「それに、私も、動乱の時代を終わらせたいと思っているよ。戦いが続きすぎだ。拡大は際限なく、戦争によってのみ国は回っている。これは良くない状態だからね。
熱狂を呑み込み、制御し、安定した国を作る。
それが私の望みであり、そのためにはラエテルが次期当主として確立できる下地を作る必要がある。そのために、私はもう一度エリポスに行くのさ」
「さいごのたたかい」
「大きなモノは、そうしたいね」
フロン・ティリド遠征は再度必要だろうし、プラントゥムのも安定とは言い切れない。フラシや東方にも不穏の芽は残り続けている。
それでも、戦争は武力だけでは無いのだ。
武力による分かりやすい決着は、これで終わりとしたい。
背もたれに軽く体重を預け、息を吐く。
「私も行きたいです」
リクレスが言う。
「それはできないよ。私達に何かあった時にウェラテヌスを引っ張る役目を果たしてくれる人が必要だからね」
マシディリは、目を閉じたまま答える。
「お勉強おつかれさまでーす」
との明るい声が、ほぼ同時に聞こえて来た。
扉が開かれたのもすぐ。入室前の合図が意味をなさないほど、すぐに開いたのだ。
「兄上、お邪魔してます」
綺麗に礼をしたあと、「リクレス、山羊の乳、蜂蜜入りだよ」と、奴隷から盆を受け取りながらフィチリタが微笑んだ。
「フィー姉」
リクレスの顔も華やぐ。
ゆらゆらと陶器の乗った盆を揺らし、叔母上、と訂正しながらフィチリタが近づいてきた。
マシディリが片付ける前に、リクレスが手を伸ばして自分で片づけを行う。空いた場所にフィチリタが盆を置いた。湯気も、僅かに見える。
「フィー姉、お茶会は?」
「叔母上」
むに、とフィチリタがリクレスのほっぺたを摘まむ。
ふぃーねへ、とリクレスは言い方を改めなかった。
「何かあったのかい?」
二人のじゃれあいには何も言わず、マシディリのために入れられた山羊の乳を手に取る。香りからほのかに甘い。落ち着く、平和な匂いだ。
「何も無いよ。しいて言うなら、べルティーナちゃんの予定通り、かな」
「べルティーナの」
「うん。溝は小さい内に埋めておかないと。べルティーナちゃんでさえウェラテヌスとアスピデアウスの溝を埋めることはできなかったのに、私じゃ無理だからね。
あ。べルティーナちゃんはすごいよ。ちゃあんと半島にいるアスピデアウスの人達を納得させたんだから。保身だけに走らないのは、べルティーナちゃんのおかげだよ」
「母上ですから」
リクレスが胸を張る。
「私の母上もすごいのよ」
ふふん、とフィチリタが胸を張り返した。
このあたりが「叔母上」では無く「フィー姉」と言われる由縁だろう。そう思いながらも、「ばあば!」とフィチリタにさらに胸を張り返すリクレスを眺める。「そう、ばあば!」がフィチリタの返答だ。
「べルティーナは世界で一番の女性だからね。アスピデアウスとの対立になってしまったのは、私の責任も大きいよ。サジェッツァ様が父上を暗殺しようとしていた訳では無いと確信していたのに、此処までの溝にしてしまったからね」
「まったく無かったとも証明できないよ」
唇を尖らせ、温度を確かめるように、ちょん、ちょん、と山羊の乳に口をつけながらリクレスが言う。両手で陶器を持つ様などは、まだまだ幼い子供のままだ。可愛らしくて、微笑ましい姿である。
「じいじが死んで、一時的にでも父上に命令できる立場にたったのはアスピデアウスのじいじだからね。親友かつ英雄殺しはこじつけであっても攻撃材料になるし、じいじは今日の父上のようにはなれなかったと思うな」
「ティツィアーノ様も私の友人だけどね」
「でも、幼いころからの硬い絆じゃないよ。支える守るって言う約束をしてもいないし、副官に、騎兵隊長に、とも望んでいない。誘いは、父上が隻眼の伯父上を動員する方向だけ。
父上が勝てば、風下になりつつあったアスピデアウスが最後の賭けに出た暴走、と歴史に残ると思います」
私が負ければ、とは、流石に聞けない。口から出すわけにはいかないのだ。
時間と言う圧をかけ、相手の精神的な余裕を奪っているとはいえ、敵地に乗り込む側。待ち構えるのはマシディリと長く戦陣を共にし、父以来のウェラテヌスの戦い方を研究つくしている男。
互いに、互いの下へ集まった者は自陣の勝利を確信しつつも神に祈っているはずだ。
「うんうん」
フィチリタが腕を組み、大袈裟に首を上下に動かした。
ぱ、と腕組みを解き、前へとくる。
「ウェラテヌスとオピーマの関係もまさにそうだよね。父上とマルテレス様の関係は対等に見えた。でも、兄上とクーシフォスさんは違う。少なくとも、クーシフォスさんはそう考えているの」
クーシフォスらしいですね、とマシディリは納得した。
オピーマは、元老院から嫌われる海運に従事しながらも一気に平民の有力家門に躍り出た。それは、同じ平民からの嫉妬も激しいモノになることを意味している。英雄マルテレスがいた時は良かった。その後も、建国五門が後ろについていれば違っただろう。
が、手切れとなってもおかしくないことを、クーシフォスの祖父メルカトルや弟スィーパスらがやってしまったのだ。
政治的な感覚の欠如。
政治を担ってきた一門では無い以上仕方ないとも思えるが、その有無は国の舵取りに大きな影響を及ぼしてしまうモノだ。
では、どうするべきか。
「ねえ、兄上。クーシフォスさんとはしっかりと話せていると思う?」
そう聞かれると、否定してしまいたくなるのが人の心だ。
だが、振り返ってみても、マシディリはクーシフォスとの対話に時間を割いているつもりではある。
「割と、話しているはずだよ」
「うん。だよね。兄上ならそうしていると思う。
でも、クーシフォスさんがサビナさんとの子供を養子に出そうとしているって言って来たら、どうする?」
クーシフォスにとって大事なのは、父マルテレスが結んだ縁、特に建国五門と言う貴種であり今やアレッシア第一の家門であるウェラテヌスとの繋がりを内外に誇示することである。




