洞窟
逃避行に対して、追撃戦とはならず。
単純に考えれば部隊を引き連れているマシディリの側が遅く、手勢が少ないスィーパスの方が速く移動できるのだ。だが、スィーパスは場所を選ばねば捕まってしまう。
マシディリからの伝達もカンペドールを介して多くの部族に伝わり、諸部族もスィーパス探しに奔走していた。加えて、この地はアゲラータが虐殺を行ってしまった地。『マシディリに与したい』『アレッシアとの関係を』などとは関係なく、スィーパスを殺したい者もいる。
仇として。
仇討ちの好機を。
神に祈っていた瞬間が訪れたのだと。
「ビユーディ様より報告にございます。お迎えに上がる途中、小舟十五艘ほどの船団と遭遇。これを撃破し、ドンドケへと接岸いたしました。スィーパスおよび付き従う者百名ばかりを洞窟へと包囲しております」
「オグルノにやらせよ?」
アグニッシモが石を投げ捨てながら言う。
ビユーディと言わないのは、ビユーディは水軍として必要だと分かっているからだと思いたい。
「いや。帰り道だからね。少し寄っていくよ。そうビユーディに伝えてくれ」
と言っても、乗船するのはヴィルフェットが持ってくるニベヌレスの船団。
マシディリはリベラリスの部隊を先行させると、遅れてドンドケへと上陸した。
リベラリス隊としても、ある意味で重圧のかかる戦いだ。勝って当たり前なのだから。ビユーディが既に上陸していて、敵は百かそこら。リベラリスは千六百。されども敵はスィーパスとそれに従う一騎当千と考えられる兵。
勝っても褒められず、負ければ名が落ちる。そんな戦い。
文句が出てもおかしくない戦いだ。無論、リベラリスは文句ひとつ言わず、部隊からも文句を出させなかった。指揮を執ったのも、完全に彼。
「流石はリベラリス。アルモニア様も、どのような仕事もこなせると言っていましたよ」
「は」
リベラリス隊、死者零名。
スィーパスを浅い洞窟へと押し込み、糧食を断って監視中。
この上ない成果である。
兵に対しても一通り声を掛けた後、マシディリは洞窟へと歩を進めた。先行するのはアグニッシモとクーシフォス。後ろにアルビタがいるが、洞窟突入時には彼も前に出る。
最後の抵抗。
されど、結果は見えている。
マルテレス門下生の中でも個人技に優れていたアルビタと、ウェラテヌス関係者の中で最も武勇に優れているアグニッシモだ。洞窟と言う狭い環境だからこそ先の太いこん棒に持ち代えた二人は、傷だらけの護衛達を簡単に蹴散らしたのである。
奥にいるのは、すっかり頬のこけたスィーパス。手には剣。しかし、切っ先は下がったまま。地面に触れている。
「おや」
マシディリは、アグニッシモとアルビタをどかすようにして前に出た。
「斬りかかってこないのですか?」
ウーツ鋼の剣を抜きつつ、挑発する。
独特の紋様を描く、父の剣だ。切れ味で言えばこれ以上の剣をマシディリは知らない。
「お前を。殺せばっ」
声の反響は、奥に向いているマシディリの方がある。スィーパスの声は、反響も少ない。
ただし、行動による音はスィーパスの方が大きかった。持ち上がった剣も、再び下がっている。
「今殺してどうなる」
小さな声は、まるで頭をかかえたスィーパスの左の手のひらから発せられたのような震え声。腰を折り、ゆらふらと、洞窟の凹凸ある壁に体をぶつけている。
感情と国家の益を切り離せ。
ルカッチャーノの言葉が、マシディリの脳裏にも浮かんできた。
後ろで、小さな金属音。
じゃり、と少し濡れた地面を踏みしめながら一人が前に出てきた。見ずとも分かる。クーシフォスだ。
マシディリは左手を横に出す。追い抜かす直前の男に当たった。鎧の冷たさと防寒具の感触が伝わってくる。予想通り、クーシフォスだ。剣を抜き、今、実弟へ斬りかかろうとしていたのである。
「お言葉ですが、スィーパスがやったことは大罪です。サビナと異なり議論の余地なく死罪が妥当でしょう」
「しざい。しざい」
壊れたように繰り返し、スィーパスがはは、と笑い飛ばした。
あがった顔は、目がやけに大きくなっている。
「サビナっ! あの女、やはり裏切っていたか!」
直後にスィーパスの声量が落ちる。いやよかったのか? と小さく言い、今度は両手で頭を抱えた。剣が零れ落ち、今度はスィーパスにとって右側の壁へと体がぶつかっていった。
「わたしがうらぎらせたのか?」
壁の岩を食もうとするかのような声。
ずりりと体を押し付けながら、スィーパスの膝が力を無くしていく。
マシディリの左手が押し出された。力を籠め、クーシフォスを押し返す。
「お前は父上の仇だ」
両耳から脳内に氷を押し込めるような声を出し、マシディリは左手を自身の傍へと戻した。クーシフォスは前に出てこない。そのことの確認を一瞬で済ませつつ、左手でも剣の柄を握りしめる。
「違うっ! 俺は、そんなつもりでは。いや、私がやったのか?」
スィーパスが両膝を抱えるようにして、さらに小さくなった。
マシディリは気にしていないかのように剣先を右側に下げる。足も、まず一歩前に。しっかりと音をたて、存在を伝えつつ、もう一歩。
「マルテレス様が死んだのもお前の決断の所為だ。インテケルン様、オプティマ様。皆お前が殺した。サルトゥーラ様もお前の所為で一気に体を弱め、解放後にさほど時を経ずに死んだよ。すごいな。これだけ殺して。マールバラに並び立てるぞ。
フィラエに無実の罪を着せ、ヒュントを見捨て、アゲラータの死体が辱められる理由を作り、イエネーオスも無駄にした。オグルノも寝返る訳だ」
完全に、見下ろせる位置。
顔を上げれば剣を見えるようにしつつ、スィーパスの突発的な動きに対応できるように重心を右足にかける。即座に打ちこむなら、左足での蹴りだ。
もっとも、スィーパスの顔はまだ上がらない。
「オグルノ。そうか」
穏やかな声の後に、裏切りやがって、と怨嗟の声が続く。
「アレッシアを裏切った君が言うことかい?」
「ああ。ああ。そうだ。そうだよ。俺が裏切ったんだ。イエネーオスは負けてなどいなかった!」
顔が上がり、真っ赤な目が見える。
唾も飛んでいた。顔がまたもやすぐに下がるのも、今のスィーパスの乱高下そのもの。
「俺が裏切ったんだ。イエネーオスは信じていたのに、俺は信じられなかった。全部そうだ。悉く踏み外して、俺が終わらせたも同然だ。なのに、なんで。俺を恨めよぉお!」
二度、三度。
スィーパスの額から重い音が鳴り響いた。地面に血痕もでき、唾の代わりに今度は血が飛び散っていく。
「最後の最後まで見下していたのかあのやろお!」
咆哮した次の瞬間には、嗚咽が漏れる。
ちがう、ちがう、と同じ口で繰り返し、謝罪の言葉が羅列していった。
(あの若者に『信頼』を、ね)
良くも悪くも、だ。
そう思いながら、マシディリはウーツ鋼の剣を鞘に戻した。重心も変える。
右足で、蹴り。スィーパスの左肩を下からすくいあげ、壁に背中を打ち付けさせてから地面に押し倒した。
「そうだ。お前が全て違えた」
首の後ろを掴み、地面にスィーパスの顔をこすりつける。




