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ゆめのような


(なるほど。そう言うことだったか)


 エスピラは自身が使う予定だった子供部屋にこれまでの資料を散乱させながら一つの結果に行きついた。


 いつ、フィガロット・ナレティクスが裏切ったのか。


 その答えはアグリコーラでマールバラと相対していた時には既に裏切っていたのだろう。


 だからマールバラ軍の素通りを許した。グエッラの微妙な態度、フィガロットを抱きかかえたのかと聞いた時の白々しさは白々しいのではなく本当に違ったからであったのだと。


 トリアンフ裁判後に失態を演じ、同じ建国五門の内ニベヌレスはカルド島で軍団長。アスピデアウスは独裁官。タルキウスとウェラテヌスは軍団長補佐筆頭であるが、軍団長であるナレティクスがウェラテヌスの下のような扱いを受ければ誇りに傷がついたのだろう。


 アレッシアで重用されることは無い。ならば。


 裏切るまでに時間があったのはアレッシアが大軍を動かし、マールバラに負けるのを待っていたから。そして、マールバラからすれば新しい執政官候補の情報が出そろうのを待って持ってきてほしかったからか。


 アレッシアを研究しているのなら、人材の豊富さも気を付けているはずである。


 だからこそ、決定的な一撃を与えるために大勝利をした後にもう一度アレッシアに勝つ。今度は引き分けも許されない。絶対に勝たねば、戦争が長引いてしまう。


 戦争が長引けば、もしかするとハフモニは国力の差でアレッシアに負けてしまうのだから。


 それに、アグリコーラを得られればハフモニ本国と連絡がつく。豊富な小麦を手に入れられる。逆にアレッシアは小麦の産地を一つ失ってしまうのだ。


(インツィーアの勝利を上手く調理させなかったのだがな)


 エクラートンとマフソレイオの同盟を確認させるために少数でも支援物資を出させた。

 神殿の儀式の相談と称してエリポス圏とずっと手紙のやり取りを続けた。

 メガロバシラスとマールバラのやり取りは相変わらず妨害している。


 マールバラの大勝利を半島内の動揺とマールバラ軍団内の盛り上がりに押しとどめることには成功していたのだ。


 まあ、第二の都市が裏切れば更なる動揺が国内外に広がってしまうのだが。


「ちちうえ」


 舌ったらずな声がエスピラの背に届く。


「いそがしい?」


 振り向けば、長女ユリアンナが扉から顔だけ覗かせていた。目は不安そうに揺れている。


「何かあったのか?」


 表情を整えて、エスピラは優しく問いかけた。

 ユリアンナが、ふるふる、と父と同じ栗毛を揺らす。


「ままごと、したい」


 ユリアンナが下を向いて言った。

 声もすぐに床に落ちる。


(私の邪魔をするな、とでも言われていたのか。いや、私の顔に余裕が無さすぎたのか?)


 原因を考えながらも、エスピラはパピルス紙を置いてユリアンナを抱きかかえた。


「兄上はどうした?」

「クイリッタのあにうえはリングアに足をのせてねています。マシディリのあにうえは、いなくなってしまいました?」


「居なくなった?」

「ははうえがあそんでくれるのではないかといって、ははうえのへやにいったのですが……」


 メルアは厳しいんじゃないかな、と思いつつもエスピラはユリアンナを抱きかかえたまま部屋の外に出た。


 奴隷には片付けなくて良い、むしろ片付けてくれるなと言ってメルアの部屋に向かう。

 途中、シニストラとイフェメラに休憩だと伝えることも忘れずに。


 そうしてたどり着いたメルアの部屋を開けると、布団の中央でメルアが眠っていた。マシディリをしっかりと両の腕で抱きかかえて。


「父上」


 腹に腕を回されて固定される形で母に包まれていたマシディリがエスピラに助けを求めるような、謝るような目を向けて来た。


「ずるい」


 ユリアンナがエスピラの腕の中で暴れる。


 エスピラはそんなユリアンナをなだめつつ、ベッドの上に置いた。ユリアンナがいそいそと母メルアの布団に忍び込み、くっついて頬を母にこする。そう言う動作は寝ている時のメルアそっくりであった。


「申し訳ありません」


 マシディリが言う。


「どうした?」


 エスピラもベッドに腰かけた。


「いえ。お忙しいのに手を煩わせてしまって……」

「気にするな。私の愛しい子供たちと触れ合うのは、貴重な癒しの時間だからな」


 笑いかけて、エスピラはマシディリの母に似た髪を手の甲で撫でた。

 触り心地もメルアに似て、非常になめらかで心地よい。


「しかし、マシディリは本当に私に似ているのだな」


 そして、マシディリが何かを言う前にエスピラは言った。

 マシディリの口が止まり、目が泳ぐ。


「物であれ人であれ、メルアが私以外をそこまでしっかりと抱きしめるのを見たことが無いからな。おそらく、私に似ていて安心するのだろう」


 安心なのかどうなのかは少しばかり自信が無いが。

 流石に、二十年以上も一緒に居ればメルアからも憎からず思われているのではと思えてくるのだから不思議だ。


 結婚した当初は、あんなにも不安だったと言うのに。


「似ている、のでしょうか」

「似ているとも」


 言って、エスピラはメルアに手を近づけた。

 メルアの鼻が動いて、エスピラの手に噛みつく。そのまま引き寄せるように動きつつ頬を擦り付けて来た。


「な」


 と言っても、後ろから抱きしめられているマシディリには見えていないが。


 反応したことは分かったであろう。それに、マシディリも小さく頷いていた。


 体勢的に、マシディリも後ろから良く分からずに掴まれたのだから同じようなことが起こったと理解したらしい。


「わたしも。わたしも!」


 ユリアンナがメルアの前に手を出す。

 メルアは反応しなかった。


「母上で遊ぶんじゃありません」


 エスピラは自身のことを棚に上げて、左手でユリアンナを撫でた。


「ちちうえだって」

「ユリアンナがすぐに私よりも母を取ってしまったからね。ああ、父は心が痛いよ」


 ユリアンナはエスピラと自身の手、そしてメルアを見るとまたベッドを沈ませながらエスピラの方に近づいてきてくれた。


 それから、エスピラの顔の前に両手を差し出す。


(これは)


 少し、恥ずかしいなと思いつつ、エスピラは鼻をユリアンナの手に近づけてから、愛娘を捕まえて左手で固定した。


「捕まえた」

「きゃー」


 可愛らしく手足をばたつかせて、ユリアンナがエスピラに掴まった。


 それから、ベッドのギリギリに体を乗せる形でエスピラもベッドに横たわる。右手はメルアに固定されたまま、マシディリとユリアンナを間に挟むような形になった。


(幸せか)


 手に入れたいと願ってやまなかった妻と、可愛い子供たち。

 戦争が嘘のようにすら感じられるひと時。

 このまま目を閉じてしまいたいと言う衝動に体を焦がされる時間。


 そんな時間を打ち破ったのは、静かなのにうるさいという足音。

 真っ直ぐに寝室に近づいてくる足音。


「お兄ちゃん! 何やってんの!」


 そして、静かな声でカリヨが怒鳴りながら入ってきた。


 メルアの目が一度強く結ばれるように動いたが、ゆっくりと安定した寝息に戻っていく。


 エスピラは、「おねえちゃん」と起き上がるユリアンナがベッドから落ちないように抑えつつ、メルアが起きかけた隙に右手を抜いた。代わりに、マシディリがますますメルアに固定される。


「寝室に勝手に入ってくるなと言っているだろ?」


 そして、エスピラは溜息と共に起き上がったのだった。


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