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守らねばならない

 エスピラはにっこりと返す。


「しかし、エスピラ様は来年でもまだ二十七。軍事命令権保有者になるのは年齢が足りていないはず」


 ヌンツィオが早口でまくし立てた。

 受け止めて、ゆっくりとエスピラは口を開く。



「ええ。私に与えられることは無いでしょう。おそらく、良くて財務官か、また副官に。三十歳になるのを待てば法務官なども有り得るかも知れませんが、最初から軍事命令権保有者には任命されないでしょう。下手に刺激することは避けねばなりませんから。例外は仕方が無いとはいえ、少ない方が良いですからね。


 ですが、権限が大きくなっても問題は無いかと。


 年齢で言えば、今は一時的ではありますが最高神祇官より強い権限を神殿に対して持っております。これもオプティアの書の管理委員を経験した後、叔父の不幸があってすぐに守り手を経験すると言う偶然があったから。


 似たようなことで言えば、軍事命令権も代理ではありますが一度所持させていただきました。ペッレグリーノ様が敗れ、緊急でタイリー様が北上しなくてはいけなくなかったからです。この間もグエッラ様が独裁官になったため副官を再度経験しました。


 今は緊急時なのです。慣例にとらわれず、最適な動きをすることが求められている時。それより以前に偶然で四回も歳不相応な権限を手にしたのです。今更、ではありませんか?」



 とは言え、神殿関係で言えば守り手は偶然とはいえ今の最高神祇官以上はタヴォラドが随分と優遇してくれた面もある。


 軍事命令権も初回はタイリーもある程度視野に入れていたからこそすんなりと許可が下りたとも考えられ、二回目の副官に至っては軍を割れば自分がなるであろうことは分かっていた。コルドーニ達が非会戦派の中心になるわけが無いのだから。ならば、その間にサジェッツァの作戦を支持し続けたエスピラが副官になるのは当然である。


 偶然は四回では無い。

 多くても二回だ。


「神に愛されている、と?」


 エスピラはゆっくりとほほ笑むだけで応えなかった。


 後ろを確認させ、報告を聞いてから口を開く。


「ですが、メガロバシラスとの戦いをしようと思えば一年任期では足りないでしょう。現実的な話としましてはタヴォラド様やスーペル様を指揮官として据え、私を上手く使うような形になるかと思います」


 育てるわけですから、とエスピラは結んだ。


 門は大分大きく見えるようになっている。


「私は、どうなるのでしょうか」


 ヌンツィオがエスピラに、では無く門に対して言うように口から言葉をこぼした。


 懺悔に近いのだろうか。


 敗戦の将として。


 それもただの敗戦の将では無く、間違いなくアレッシア史に残る最大規模の敗北の将として、これから何ができるのか。


 残念ながら、その恐怖をエスピラは理解することは出来ない。


「私だったら、の話をします」


 落ち着いた低い声でエスピラは切り出した。

 顔はヌンツィオに向けない。


「北方諸部族への一軍。これは積極的に攻撃をしてほしくはありません。援軍をそちらに送るよりはこれからやってくるハフモニ軍と裏切った街への仕置きに人員を使いたいのです。裏切った街を潰し、ハフモニ兵を逃がさず、マールバラの手元に兵を溜めさせない。そのためには北方の軍団は屈辱にまみれても堪え、我慢強く、アレッシアのために個を殺して仕えてくれる人が必要です。

 この条件にもっともあてはまるのは誰か。

 それは、ヌンツィオ様を置いて他にはいないでしょう」


「エスピラ様」


 感謝を籠められたような形で名前を呼ばれた。


 だが、それでもエスピラはヌンツィオは見ない。


「あくまで私なら、です。余計な希望を抱かせてしまったのなら申し訳ありません」


 ここで、ヌンツィオを見た。


「まあ、お互いに頑張りましょう。貴族と平民でアレッシアを割るようなくだらない争いもありましたが、アレッシアを守りたい気持ちは同じはずですから」

「ええ」


 アレッシアに栄光を、と言おうと思って、エスピラはやめた。

 そのまま無言で門をくぐる。


 緊張を持っているヌンツィオを、しかし隠すことはせずエスピラは馬の鼻先を少しだけ下げた。


 やってくるのは冷たい視線。何も言ってこないが、それはあくまでもここは武器を置く場所。ある程度軍団に対して理解のある者が多いからかも知れない。


 例えば、此処から先アレッシアに戻ったとしたら。


 罵声や、下手したら投石までもあるかも知れない。


 多くの家族を失った者が、悲しみを受けた者全員が黙っているとは到底思えないのだ。

 エスピラは、ヌンツィオの代理として怒りの矛先になるべき巫女を庇ったのだから、気が重くても難題でも、そう言ったモノたちからヌンツィオを庇わなければならない。


「お待ちしておりました」


 言って出てきたのはタヴォラドの副官、オノフリオ・クレンティア。落ち着いた深緑の瞳を持つ、まだ三十六歳のアレッシアの要職につく者としては若い男だ。


 感情をあまり見せない男だが、髪の毛が短く刈り揃えられているため僅かな顔のパーツの変化が良く見え、服の袖も裾も短めにして動きやすくしている。そのため、それなりに分かりやすくもなっている男だ。


「お疲れでしょう。タヴォラド様の権限を使い、公共浴場を貸し切っております。まずは一息吐かれるのがよろしいかと」


「お心遣い、ありがとうございます」


 ヌンツィオが頭を下げる。

 オノフリオも頷いた。


「しかし、休んで良いという言をひっくり返すようで悪いのですが、できれば第一次戦争時のハフモニの戦い方についてご教授願いたいと思っております。私も経験が浅い者。率いる兵も兵としての経験がほとんどない者。敗残兵としてアレッシアで奴隷になった者達。訓練はしておりますが、やはり、貴方がたのような経験者が必要です。何卒、教師としてお教えください」


 言い終われば、オノフリオが膝を着いてヌンツィオの手を両手で包み込んだ。


 私でよろしければ、とヌンツィオが申し出を受ける。


 粗方、時間稼ぎと印象の改善及びアレッシアに必要な人材だと、印象操作に簡単に流された市民に伝える目的なのだろう。


(タヴォラド様が動くのであれば問題は無いか)


 負けたとは言え、八万の軍勢を動かす経験も会戦に至らせただけの指揮能力も敗残兵をまとめあげてアレッシアまで引き上げてきた実力も、絶対評価では非常に高いモノだと言えるのだ。


 ヌンツィオ・テレンティウスは失うわけにはいかない人材である。


「エスピラ様もゆっくりされては如何?」


 オノフリオがエスピラに近づいてきた。


「申し出はありがたいのですが、山ほどやることがございまして」

「そうですか。では、せめて準備してしまった分だけでも」


 思ったよりも強引だな、と思いつつも何か話があるのだろうと思ってエスピラはオノフリオについて家屋に入った。


 簡素な造りの室内には、壁に剣が飾られている。机は木目に拘って作られた立派なモノ。ただし、椅子は少し座り心地が悪く、あまりお金をかけているわけではなさそうだった。


「エスピラ様も気づいているかも知れませんが、ついにフィガロット様だけでなく他のナレティクスの者もアレッシアから居なくなりました」


 淡々と、お茶の味を聞くようにオノフリオが言った。


 フィガロット・ナレティクス。


 彼は建国五門の一つナレティクス家の当主であり、今回臨時の元老院議員として招集されていたのだが、孫を代理に立たせて出席しなかったのだ。


 その孫も、ついにアレッシアから居なくなったらしい。


「テュッレニアには分家が残っているのを確認はしておりますので、血の繋がりとしては大丈夫でしょう。あそこはアレッシアよりも北方諸部族との対立が根深い地域。監視もしやすいかと」


 エスピラも淡々と返した。


 考えたくは無かったが、いない時点で考えざるを得なかったのもまた事実だ。


「副官としてエスピラ様に聞きたいのですが。同じ建国五門として、ナレティクスに対してはどういう考えをお持ちで?」


 エスピラは準備されていたお茶を飲み下すと、持ち上げた時より遅い動作でコップを机の上に戻した。


「建国五門の名の影響力は他の貴族よりも大きい。財が無くとも立て直せるくらいには大きいのです。

 その一つがアレッシアを裏切る?

 ならば罪も他の者より大きくないといけません」


 エスピラは顔を上げて、オノフリオと目を合わせた。


「元老院にはナレティクスを国家の敵と認定してもらいましょう。同時に、記録抹消刑を私は要求します。アレッシアに残ると言うナレティクスも監視下に置いて、しっかりと見張るべきかと。間違っても、この戦争中要職に就けてはいけません。頑とした態度を、ウェラテヌス一門の当主として要求いたします」


「かしこまりました」


 オノフリオが頭を下げた。


「アスピデアウスも記録抹消刑を望み、財産の全没収を望んでいます。元老院としても厳しい処罰を必ずや」


 こくりと頷くと、エスピラはお茶を空にして家屋を出た。


 事態が建国五門の裏切りに留まらないことを知ったのはその翌日。


 半島第二の都市アグリコーラが、その近辺の肥沃な大地がナレティクスと共に裏切ったとの報がアレッシアを揺らしたのである。


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