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敗戦の勇将

 その日、エスピラは恒例のパン配りにこれまた最近の恒例の『気付け薬』と称した酒配りを行ってからアレッシアの門外に出た。


 もちろん、酒は禁じられている。制限がかかっている。


 だが、エスピラは「ウェラテヌスが抱えている在庫を配っている、無駄にしないために行っている」と言うあまり言い訳にならない言い訳も用意して毎日のように少量ずつ振る舞っていた。


「各神殿の儀式の時も配るのですよね。エスピラ様は、前に金をばらまいて取る人気は嫌いだと言っておりませんでしたか?」


 エスピラと並んでいるシニストラが呟いた。

 一緒にいるソルプレーサは何も言ってこない。グライオも同様に。


「そうだな。でも、これはウェラテヌスのためでは無い。いわば、一瞬の緩衝材になれば良いだけの行いだ。すぐ折れる剣と同じ扱いさ」


 さあ、どう考える? とエスピラはシニストラに目で問いかけた。

 シニストラの顎が少し引かれる。


「ヌンツィオ様を迎え入れるためですか?」

「それもあるが、彼だけじゃない」

「他に誰を?」


 エスピラは失礼にならないように笑みを浮かべつつ前を向いた。


「タヴォラド様さ」

「タヴォラド様? タヴォラド様は独裁官です。認められるも何もないと思いますが」


「任期の後の話だ。それに、すぐさま立て直す必要があったとはいえ強引な手法に理解をしてくれる人は少ないからな。タヴォラド様は元老院への批判になりそうなところを上手く自分への批判に逸らしているが、常にそれが成功するとは限らない。

 ならば臨時とは言え元老院議員である以上はアレッシアが割れないように馬鹿げた人気取りもしておくさ」


 エスピラの目の前にある丘から人影が出てきた。


 目を凝らせば人影は徐々に増える。エスピラはその一団がインツィーアで敗北を喫した軍団の生き残りだと確認すると、ゆっくりと馬を進めた。シニストラとソルプレーサも続く。


 馬に乗るための奴隷もその後ろから着いてきた。


 エスピラが先に馬から降りる。


「お疲れ様です」


 逃亡生活のせいか、ひげが伸びているヌンツィオが馬から降りて頭を下げてきた。

 活力が感じられないわけでは無いが、出立前に比べて非常に小さく見えてしまう。


「あれだけの大軍を擁しながら全てを失い、おめおめと生きて戻って参りました」


 エスピラは左手でペリースを払うように横にやった。

 それから、腰から大きく曲がって下を向いているヌンツィオと頭の高さを合わせるように膝を曲げて、彼の手を取る。


「もう、立ち上がれませんか?」


 そして、やさしく問いかけた。

 ヌンツィオの顔が横に振られる。


「ですが、私などでは全滅を防ぐのが精いっぱいで。まさか、半日も掛からずに八万人が消えるとは、到底。人のできることでは。それでもこの命がアレッシアの役に立つことがあるのでしたら、必ず。アレッシアのために使い切る所存です」


 力強いヌンツィオの瞳に、エスピラは受け止め、包み込むようにして頷いた。


「ならば大丈夫です。勝敗に絶対などあり得ません。負けたことを誰が責めましょうか。いえ。元老院は、皆、貴方を待っていたのです。誰一人としてヌンツィオ様を責めません。むしろ良く帰ってきてくださいました。よくぞこれだけの者を生き残らせてくださいました。今は私人としてここに居りますが、元老院を代表してお礼申し上げます」


 言って、エスピラはヌンツィオの手を持ち上げるようにして頭を垂れた。


「エスピラ様……」

「辛いこともあるでしょう。心無いことを言われることもあるでしょう。ですが、元老院は貴方の味方です。過去は大事ですが過去しか語らない輩は無視致しましょう。大事なのはこれからです。でしょう?」


 エスピラはヌンツィオの手を左手の革手袋で二度叩くと、互いに馬に乗りましょうと勧めた。


 奴隷が持ってきている台に乗り、馬に跨る。そしてヌンツィオを待ち、鼻先を並べてから歩き出した。


「タヴォラド様が独裁官になったのはご存知ですか?」


 はい、とヌンツィオが頷いた。


「酒を始めとした嗜好品は制限下に入りましたが、酒を製造していたウェラテヌスには残りがあります。皆さまをご招待いたしましょうか?」


「それは。ありがい申し出ですが、している場合では無いでしょう」


 くすり、とエスピラは笑った。


「その通りですね。ではヌンツィオ様。今いる軍団の中で、脱走兵は出ましたか?」


「おそらく、出ていないと思います」

「それは素晴らしい」


 もちろん、ヌンツィオの腕だけでは無いだろう。

 配下の者の腕もそうであるし、ハフモニが同盟諸都市の兵は解放するがアレッシアの兵は帰さない、扱いが違うと言うのも脱走兵が出ないことの手助けになっているはずだ。


 わざわざ言うことでも無いが。


「奴隷の一個軍団こそ含みますが、タヴォラド様はもう一度八個軍団の形成を急いでおります」


「また、マールバラにぶつける気ですか? マールバラは多く見積もっても数千しか兵を失っておりません。それも、噂では北方諸部族の兵ばかり。主力は健在です」


 唾が飛びかねない勢いでヌンツィオが言う。


「まさか」


 ゆったりとエスピラは否定した。

 隣にいるシニストラはエスピラから見れば我関せずと言わんばかりに、他の人から見れば悠然とエスピラとの距離を維持して馬を歩かせている。


「兵を捻出するので精一杯ですから。既に編成している解放奴隷を使用した一個軍団は友軍として、これからやってくるハフモニ軍に対する備えでしょう。おそらく二個軍団がマールバラ対策として、最も戦に強くマールバラが情報を持っていない執政官が当てるかと。もう二個軍団はアレッシア市内に置いて、これから出てくる裏切り者の警戒とそこからくる盤面の埋め方に。そして年齢を引き下げたことでできるもっとも経験の浅い軍団を含む二個軍団がメガロバシラスとの戦争へ。此処にいる者と北方諸部族との戦いから帰ってきた者たちを中心として一個軍団が北方諸部族への抑えになるでしょうね」


「足りますか?」


 何が、と言えば色々、全てだろう。


「マールバラに対しましては同数以上を当てるのは無駄でしょう。ならば最大二万で十分。それで時間を稼げます。そもそも今も裏切る都市が出てきました。どれもこれも小さい都市ばかりですが、マールバラが進むにつれて門を空ける始末。

 まあ、おかげでマールバラはどんどん軍団を減らして南下しているのですがね」


 軍団の休憩もとい褒美と、都市の守りのために。


 ただ、言葉の壁がある。略奪してきた北方諸部族との間には根強い感情的な問題も横たわっている。


 マールバラは味方が増えたのに枷が増える結果になっているのだ。


「メガロバシラスへの二個軍団と言うのは、ディティキを放棄すると言う決定をされたのでしょうか」


 ヌンツィオの声が暗くなった。


 自分の敗戦の所為で、と言う思いがあるのだろうか。


 今は亡きルキウスが奪い取り、凱旋式まで行ったエリポスへの橋頭保を捨てざるを得ないのか。アレッシアの領土を減らさねばならないのか、と言うことである。


「これは私の推測に過ぎませんが、メガロバシラスへの二個軍団は戦う軍団では無く育てる軍団かと思います」


「育てる?」


「はい。プラントゥムからの援軍を防いでいるペッレグリーノ様と役割が違うため一概には比べられませんが、支援が得られなくなると言う点は同じでしょう。


 メガロバシラスに対する軍団はディティキへの玄関口であるディファ・マルティーマ、あるいは良港のあるトュレムレを根拠地として。基本的には半島外で迎え撃つ形を取ると思います。


 そうなると大事なのは諸外国との関係。


 エクラートンとマフソレイオで両都市の港に迫る船団を背後から睨みつつ、マフソレイオは仇敵マルハイマナとの関係を取り持つことで守る。同時にエリポス圏最大の船団を持つカナロイアを味方につけ、宗教の最大地であるアフロポリネイオと繋がりを持つ。ドーリスは傭兵家業を行っている以上は完全には味方にならないでしょう。


 ですが、これだけの海軍力を味方につけ、エリポス圏内に敵を抱えさせればメガロバシラスはいきなり半島には来れません。確実に、ディティキをめぐる争いになるでしょう。そしてディティキに来るには山があります。そう簡単には決断できるものではありません」


 ヌンツィオの目が少し大きく開かれた。

 黒目がエスピラを映す。


「そのようなことが」


「正面突撃で勝たねばならないと、会戦で勝ってこそ相手を従えられると考えているアレッシアではほとんどいないでしょうね。


 ですが、私は丁度姻戚関係にある者がディファ・マルティーマにおり、友人がカナロイアにおります。懇意にしてくれているマフソレイオがアフロポリネイオの大神官と合わせてくださいました。マルハイマナにも私が最も交渉に行っております。直近ではエクラートンにも行かせていただきました」


 エクラートンの場合は代替わりが起きた場合、少し怪しくもあるが。

 そこはカルド島に派遣されるのが誰かにも依ってくるのだろう。


「二個軍団は、エスピラ様が率いる、と?」


 ヌンツィオが、酸素を求めて喘ぐかのようにぎりぎりで言葉を紡いだ。


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