全てを変える借金
「マルテレス。金を貸してくれ」
元老院を出た足でエスピラはオピーマ家を訪ねた。
ラーマリアンの尊称を贈られ、マルテレス・オピーマ・ラーマリアンと正式な名前が長くなった友人を訪ねたのである。
「どれくらい?」
贅沢が禁止されてこれか、と思うくらいの瑞々しい果実を齧り付きながら、やわらかそうなソファに体をうずめているマルテレスが聞き返してきた。
「できるうる限り」
一度だけ咀嚼する口が止まったが、
「良いよ」
とマルテレスはこともなげに言った。
それから奴隷を呼んで、粘土板を持って来させている。
「まあ座れって」
マルテレスに手で示され、エスピラは対面に座った。
このご時世、海運だけでなく馬術や剣術の指導もしているオピーマ一門は金の入りが非常に良いようである。その証拠にエスピラが座ったソファも新しいものだった。
皿もコップも新しいものに変わっている。
「何に使うんだ?」
エスピラはマルテレスから受け取ったドライフルーツを紅茶に落とした。
「全ての神殿で儀式を行う。神へ祈り、災厄をはらい、今一度マールバラと戦うために神の御加護を求めるのに使うつもりだ」
「ウェラテヌスが?」
「ああ。ウェラテヌスが行う」
ふんふん、とマルテレスが頷いた。
そして、顔がくっつくのではないかと言うほどに身を乗り出してくる。
「それさ、オピーマが金を貸したって宣伝しても良い?」
「構わないとも」
「ありがとう! 友よ!」
机を挟む形でマルテレスがハグをしてきた。
背中を大雑把に叩いてから、離れて行く。
「良かった良かった。これで父さんも納得するよ。何せオピーマは海運に手を出して嫌われているからな。此処でお金を貸せば神殿に寄付するような形にもなるし、名声も上がるし、ウェラテヌスとの密接な関係をアピールできれば官位に繋がるよと言えばもっと使えるようになるけど、どうする?」
マルテレスが大きく笑いながら、奴隷から粘土板を受け取った。
そのままエスピラの前に置かれる。
書かれているのは蔵の中身。財の数。
「全部貸すよ。自由に使って」
「マルテレス」
ただ、それは馬鹿げたほどの資金である。
これはこんな簡単に貸すような金額では無い。もっと貸せる? 冗談ではない。これで十分すぎるのだ。
「アレッシアのために必要なんだろ?」
「それはそうだけど。これは」
「もちろんただじゃない。マルテレスにも意義がある使い方だから貸すんだ。まあ、条件はもう一つあるけど」
言って、ずい、とマルテレスが前に出てきた。
目は真剣そのもの。
「死ぬなよ。俺も、流石にウェラテヌスを潰したくないし、そんなことをすればオピーマも潰される」
借金の踏み倒しは、踏み倒した側を捕えれば何をしても良いことになっている。
良く行われる、もとい、何が行われるのかと言えば伝統的に残酷な処刑だ。命で払えと言う話である。
「マシディリだけは見逃してくれるとありがたいがな」
「エスピラが死ななきゃ済む話だ」
マルテレスが笑いとばした。
その後はくだらない話を繰り返し、エスピラはオピーマの家を出る。
金は調達できた。後は、準備。
神殿の人心を掴む準備はとうにできている。干されていた間に集めた情報を基に、要はアネージモでは足りなかった部分、不満があった部分を満たしてやれば良いのだ。
神殿の改修や人手。全てが一気に手が回るわけでは無いが、エスピラにはタイリーから漏れ聞いていた話がある。タイリーの手伝いで得ていた情報がある。
順序を組み立て理由を説明するのは他の人に比べれば楽にできるのだ。第一、蜜を与えたことが短期的に過ぎて問題が起こることでも表面化するのがアネージモに権限が戻ってからならばどうでも良い。街の人もどうでも良い。神殿に対して良い顔をすれば良いだけなのだから。
つまりは、儀式が終わるまでの短い間だけ気前よく過ごし、良く耳を傾け、アネージモよりも良いと、そう思わせれば成功である。
そうなれば、アネージモは自分より優秀な者を使う勇気の無い、上に立つ人物としては失格だと言う烙印が押されるのだから。
(金策が一番大変だと思っていたのだが)
オピーマだけで足りるとは、流石と言うべきか。
気前が良すぎると言うべきか。
何はともあれお金を手に入れたエスピラは、次にアフロポリネイオの大神官マディストス・キュプセロスに手紙を出した。
マフソレイオで会って以来、細々と、短い文通を交わしてきたが、今回は本格的な手紙を書いたのである。
『野蛮人である』アレッシアでもようやく『積み重ねてきた時間の長さではなく力量で』判断される時代が来た、と言う最高神祇官並みの権限を手に入れたことを報告するようにして書いたアフロポリネイオを始めとするエリポス諸国家への皮肉。
神殿および各神の教えと行う予定の儀式を述べてアレッシアの文明的な面をみせて同格だと示すこと。
同時に足りない部分が無いか、どのようなことをするのが神に敬意を表していることになるのかと言う腰を低くする文章。
借金をしてまで私費を投じていること。エスピラは神を非常に敬っていることを行動から詳しく想像させる部分。
そう言ったモノを組み合わせて作り上げた、エリポス人が見てもエリポス人の有識者が書いたような文章を書きあげ、エスピラは別紙としてシニストラに詩を書かせていた。
シニストラについては簡単な、妻の縁戚者にして私の協力者、と言う紹介しかせず名前すら教えずに、その優れた詩作を披露させたのである。アフロポリネイオの「アレッシア人は野蛮だ」と言う印象を、少しでも改善するべく強く働きかけたのである。
「効果があるのですか?」
と疑問を口にしつつも書いてくれたシニストラに、エスピラは
「これからのシニストラの働き次第では一軍に匹敵するぞ」
とだけ返して、時折夕飯どころか昼ご飯にも招待しながら近くに置いていた。
同時に、カクラティスとも個人的な文通をしつつエリポスの様子、マルハイマナの様子をアレッシア人とは違った視点で仕入れることも忘れず。ズィミナソフィア四世を通じてマルハイマナの東方とも繋がり、毎日最低でも二つ以上の神殿と打ち合わせもして。
また、タヴォラドからの命もあり、エクラートンのスクリッロ将軍とも打ち合わせを重ねる。王では把握できていないところ、ハフモニの動き。エクラートンへのちょっかい。
その中で得たことはハフモニの使者もやっぱりエクラートンに入ってきたり、近辺にいること。王ではなく次期国王である現王の孫に接触していること。ハフモニの軍勢が迫りつつあること。北方のオルニー島では既に現地部族と共同してハフモニが共同作戦をとるための一万二千の兵を送り出したと言うこと。対するメントレーは戦闘員では無かった船乗りも兵に変えて一万五千の軍団を組織したこと。
今までとは打って変わって陽が暮れるまでやるべきことが残り続ける日々を過ごしていると、ソルプレーサから今年の平民側の執政官ヌンツィオ・テレンティウスが一か月以上の逃避行の末帰還すると言う報告を受けたのだった。




