お前の仕事では無いのか?
幾ばくかの緊張感と、やはりかと敵対関係を邪推する瞳。呆れたような視線もちらほら。
元から不仲で、今回は酒と闘技場を封じると言うエスピラに大打撃を与えるような経済政策をタヴォラドが打ち出した以上は避けられない展開だったとでも思っているのだろうか。
(タヴォラド様は理性的なお方だ)
長兄トリアンフとは違って。切られるのは、アレッシアの役に立つ切り方を思いついた時だ。
「私がどの順序を誤ったと君は言いたいのか?」
タヴォラドが揺れない声を出した。
「神への不忠となる姦通の疑いで処刑を処女神の巫女を二名処刑することです。聞けば、既に生き埋めにするための穴も掘っているとか」
処女神の巫女に血を流させることは厳禁である。
故に、処刑と言っても形の上では巫女が僅かな食糧と水を持って穴に『自発的に』入り、そこで生涯を閉じると言うモノとなるのだ。
「アレッシアの守り神たる処女神への冒涜は許さない。巫女の姦通はその最たるものでは無いか」
「では、そのお相手は?」
タヴォラドの目は変わらないが、アネージモの目が一瞬だけ泳いだ。
「見つかっていないと言うことはあり得ないはずです。巫女の処女性は皆が信じるしかない。違うとすれば、相手の男が特定できている場合。これでは邪推も起こりますよ。
兄であるトリアンフ様を追い落すことに躊躇しなかったタヴォラド様が遠慮する相手。しかも、この敗戦が引き起こされた以上は直近で起こったと考えるのが事実。
なるほど。一人、誰もが共通して思い起こす該当者がおりましたね」
言って、エスピラはアネージモ・リロウスに眼光を向けた。
「失礼な!」
「何も言っておりませんよ」
アネージモの叫び声をエスピラは涼やかに流した。
「しかしながら、リロウスの館にトリアヌスの奴隷が頻繁に出入りしていたのも事実。証明は難しいですが、目撃した人は数多く居ます。
ええ。トリアヌスからも巫女を輩出しておりましたね。今回の処刑には関係ない巫女ですが、凄腕の巫女が。これは、もしやアレッシアのため、そして娘を思う父が何かを提供してリロウスの者の狼藉を押しとどめたと邪推されても仕方が無いことかと」
「エスピラ様!」
「私の仕事が過剰に減っているのは皆が知っているはず。邪魔だったのでは? 巫女の一人に思いを寄せられているという噂があり、常駐神官たちに気に入られている私が。貴方の醜い欲望を満たすために」
アネージモの顔が真っ赤になった。
怒りのあまり言葉を失っているのか、矛先が向くとは思っていなかったのか。
エスピラがタヴォラドと対決するとばかり考えていて何も準備していなかったとしたらとんだ愚か者だ。
最低最悪の最高神祇官だと言えよう。
「エスピラ様も選挙で私を応援したはずだ!」
結局アネージモから出たのは短い言葉。
「はい。その私を干したのもアネージモ様ではありますが、選挙で応援した以上は信じておりますとも。姦通なんて馬鹿な真似を貴方がしていないことを。そんなバカげた行為をしていないことを。
あくまでも、否定しないからこそ疑われると、処女神の巫女を守ろうとしないから疑われると言っているのです。
相手の男が居ない。国家の難局。そう考えれば、これは生贄だと。批判を逸らすための囮だと分かるはずだ。罪のない敬虔な巫女が処刑されそうになっているのだと分かるはずだ。
国家としては正しいのかもしれない。目くらましとしてはそうするしか無いのかもしれない。
だが、アネージモ様。貴方は最高神祇官だ。本来、そう言った聖職者を守るのは貴方の仕事では? 独裁官の隣で悠々と座っているのではなく、声を上げて守ろうとするのが貴方の役目では? 担当の神祇官を干してまでかかわりを持った神殿を守ろうともせずに見捨てるのがリロウスのやり方か? 貴方は今の顔を父祖に見せられるのか?」
アネージモが唇を白く変色させた。
それから、わななく唇が開かれる。
「私だって、抗議した」
「していない!」
断言はしたが、アネージモが抗議をしている可能性ももちろんある。
「独裁官は裁判なしで人を裁くことが出来る。臨時の役職だからな。素早く物事を決定する役目がある以上は当然のことだ。だが、貴方はそれを過剰に恐れている。保身に走り、守るべき者を守ろうとせず、自分の身の安全を図った」
そして、エスピラは両腕を広げて議場にいる全員に全身を晒すようにゆっくりと動いた。
「ここに宣言しよう。私は、私がこの議場から出る時に私の首が繋がっていないことを覚悟して此処に来ている。例え処刑されたとしても、言わねばならぬことがあるからだ。通さねばならぬことがあるからだ。
干されていても私は神祇官。処女神の神殿も任されている者。守るべきは処女神の巫女だ。
だからあえて言おう。アレッシアが神の寵愛を失ったとすれば、その前に原因があると」
再び視線をタヴォラドに戻す。
「昨年の独裁官を思い出してください。何故動きを止められたのか。最高の権限でもって素早く物事を決断すべき人の足が止められたのか。護民官の所為では無いか。その護民官の望み通りに会戦に及んで、平民主導で行って、大敗北を喫した。アレッシアを悲しみの海に突き落としたのだ。
何故責任を取ろうとしない。何故前に出ない。隠れている。
護民官は口だけの輩が就く官職なのか? それならば護民官の権限は大きすぎる。権限を得るべき人物が就く職なら、昨年は明らかに不正が行われていた。独裁官をも、父祖が築き上げてきた制度にすら反抗する人を不正を行って護民官に選んでいたのなら、それは明らかに神の寵愛を失う行いだ。今回の敗戦はその報いだ。
独裁官は素早く判断し、国を立て直す者。その制度に反対できる、拒否権を発動して強引に反対している余裕があるのなら独裁官など要らない。常に執政官を二人選び続ければ良い。そうして手遅れになれば良い。
タヴォラド様。私は理解できないのです。
不正を行った者がのうのうと生き続け、敬虔に神に仕える巫女が殺される。利益を貪り権力を得るために動いてアレッシアを危機に陥らせた人物が更なる繁栄を謳歌し、身を粉にしてアレッシアのために、神のために働いてきた巫女がその清らかな生涯を閉じる。
私にはそれが理解できない。
少なくとも、私にはこれを見過ごしましたと父祖に報告することなどできはしない!」
一瞬の静寂が満ちる。
反論がある者は出方を窺い、その内タヴォラドの方へ視線が集まっていく。
その視線の集まりを感じて、タヴォラドが口を開く前にエスピラが口を開いた。
「以上です。私は、これ以上の説得の言葉を持ち合わせておりません。ただ、少なくともウェラテヌスの父祖に私の行動を批判する者はいないでしょう。
赤字になると分かっていながら闘技大会を開いて蔵を空にし、酒の販売の復活も求めないまま処刑されるとしても。ウェラテヌスの父祖は私を褒めて下さると確信しております」
タヴォラドに向けられていた視線が霧散していった。
サジェッツァは能面。アネージモは目を何度も往復させ、それからタヴォラドに再び向けて。
当のタヴォラドは体の前で指を組んで、腕で胸を隠すような形で不動を保っていた。
目が合う。
じっくり、絡み合うように、あるいは衝突するように。
静かに、されど弁舌が続いているように。
やがて、タヴォラドの口が開いた。
「ならばどうする。どう神にお伺いを立てる。神に許しを請う」
「全ての神殿に日程を調整させて神への奉納を行わせましょう。神への祈りを捧げましょう。もちろん神殿だけではなく、出来得る限りのアレッシア市民も自身の信奉する神への儀式が行われる日に神殿に行って祈りを捧げるようにさせましょう」
用意してきた答えだ。
「アレッシアの金は出せない。全て、ウェラテヌスの金で賄えるのならば許可する。違うのなら、処刑は変わらない。大罪人を赦せと言ってきたのだ。赦せるだけのものを準備するのは、訴えてきた者の義務だろう」
ウェラテヌスにも金は無い。
そんなこと、最も国庫に入れたタヴォラドならば知っていることである。
「かしこまりました」
だが、エスピラはすぐに是と返事をした。
「ただし、これまでのように横やりが入ると厄介です。この件、アネージモ様に関わられないように、いえ、ウェラテヌスとして各神殿と関われるように取り計らっていただけると幸いです。独裁官の権限で以って全ての神祇官と最高神祇官の行動の制限を。邪魔と見なせば、罷免を含めた処罰の検討をお願いいたします」
「エスピラ様!」
アネージモはやっぱり吼える。
「それがアレッシアのためですから。そのために不確定要素は排除したいのです。全てはアレッシアのために。下手に邪魔をして、反逆者にはなりたくないでしょう? 十万近い民を殺害し、責任も取らない護民官のように」
「な」
「了承しよう。不正にエスピラを干した者だ。この件に最高神祇官は一切関わらせない。関われば、罷免する。良いな。疑わしい行動も取るな。素早く全ての神殿で儀式を行わせろ」
タヴォラドがアネージモの言葉を切って捨て、話はなった。
巫女の処刑回避と神への祈りを捧げる儀式。そして、『護民官の権限の弱体化』の話が。




