私はお前を愛している
「ちちうえはだんなしゃまね」
謎かけでは無い。
ユリアンナ主催のままごとにおいて、エスピラに与えられた役割はユリアンナの夫、と言うことだ。
ちなみに、他の参加者は子供役としてリングアと、近くに住む兄役としてのクイリッタと言うあまり現実と離れていない設定である。
「はい。ちちうえ。かえってくるところから」
「そこから?」
こっちに来て、と言われて行ったのに、役割が発表されるなりエスピラはいきなり立たされてしまった。
それでもとりあえずはのることにして、立ち上がる。部屋を一周するように歩いてから、帰宅するふりをしてユリアンナに近づいた。
「帰ったぞ」
「あら。今日もおそかったのね」
どこで覚えてくるのだろうな、と思いつつも、すまないと謝ってエスピラは座った。
クイリッタは詰まらなさそうに立ち尽くしている。
「おそくてリングアも泣いているじゃないの」
言った後、「ほら、ないて」とユリアンナがリングアに無茶ぶりをしていた。
リングアが困ったようにエスピラに近づいてくる。「ないて」と姉が強く言った。本当にリングアの瞳に涙の膜ができてしまう。
「本当に泣かす奴があるか」
リングアがこれ以上泣かないように声量には気を付けつつエスピラはユリアンナを窘めた。
リングアは抱き寄せて、背中をゆっくりさするように叩く。
「じぶんたちでそだてようとせずうばばかりたよるからすぐ泣く子にそだつのよ」
ほぼ棒読みでユリアンナが言った。
言ったが、言ったことは「自分たちで育てようとせず、乳母ばかり頼るからすぐ泣く子に育つのよ」だ。
クイリッタも良く泣くし、リングアも良く泣く。メルアは基本的に部屋から出ず、昨年まではエスピラは家に居ないことの方が多かった。
「ユリアンナ、それは誰に言われた?」
「ちちうえちがう」
大きくなった心音を押さえつけるように聞いた言葉は、しかしすぐに違った方向の返答が来た。
「反応としてはあっているだろう?」
父としても、一応ままごとで与えられた夫としても。
「アレッシアのききになにもせず、のうのうといえですごすおとこにそだてるやつはアレッシア人じゃないっていわなきゃだめでしょ」
ますます疑問が深まる。
「アレッシアのききだからししょーはいつもそとにいて、うばにきょういくをまかせ、おまえらは? おばかさんね?」
明らかに途中で言葉を忘れたが、誰かが言った陰口をイフェメラが言い返したのをユリアンナは聞いて、覚えていたらしい。
その姿を格好良く思って父に言って欲しかったのだとしたら、エスピラとしては複雑な気分ではあるが。
「中々一緒に居てやれなくて悪かったな、リングア」
やさしく言って、エスピラは左手の革手袋越しにリングアの額に口づけを落とした。
「ちがう」
その行動もユリアンナのお気に召さなかったらしい。
ただ、リングアは嬉しそうにきゃっきゃとしている。
「違うのか」
エスピラの困った声と共に、足音が一つ部屋に加わった。
「ただいま帰りました」
相変わらずの他人行儀なほどに正しい挨拶でマシディリが頭を下げる。
「あにうえ!」
ユリアンナが真っ先に反応してマシディリに飛びついた。
マシディリがしっかりと腰を落として妹を受け止めている。
「あにうえ。ちちうえがだめなのです。あにうえがだんなしゃまをやってください」
マシディリが困ったような笑いを浮かべ、笑みの無い困惑でエスピラを窺うように見て来た。
エスピラは優しく笑って立ち上がる。
「どうやらユリアンナのお気に召さなかったらしい。代わりにやってくれないか?」
「父上がおっしゃるのであれば」
ぺこり、と頭を下げてユリアンナにぶら下がられる様な形でマシディリが引っ張られてきた。
お役御免かな、とエスピラはリングアを下ろす。
「ちちうえはちちうえね」
だが、どうやらまだままごとは続くらしい。
「この場合は、父は誰の父上をやればいいのかな?」
「ちちうえ!」
真っ先に抱き着いてきたのはクイリッタ。
よしよし、と抱きかかえると、「ちー、ちー」とリングアがエスピラの足をぺしぺしと叩いてきた。エスピラはゆっくりと、それでいてなるべく早めにしゃがんでリングアも抱きかかえる。
「ちがうの!」
だが、またもや長女のお気に召さなかったらしい。
「ちちうえはマシディリのあにうえのちちうえなの!」
マシディリの眉がより一層下がってしまうのをエスピラは見逃せなかった。
つい、見てしまった。見つけてしまった。
「マシディリのあにうえのちちうえじゃないとだめなの!」
ユリアンナが大声で叫び、叫び、徐々に涙が交ざっていく。
「マシディリのあにうえのちちうえじゃないとだめなの!
マジディ、の、にうえ、のぢぢうえじゃないど、だべなのお!」
大丈夫だ、とエスピラはユリアンナを抱き寄せた。クイリッタも大人しく離れてくれて、リングアも掴んでエスピラから離してくれる。だが、当のユリアンナがエスピラを押しやり、マシディリの名を叫びそれから父上と叫ぶ。
それは、ともすれば、多分。彼女なりの危機感なのだろう。
噂話と、拍車をかけるようなマシディリとエスピラの微妙な距離感。エスピラがマシディリのことを気にかけているのも、子供たちと遊んでいる時にマシディリが居ないことが多いのも。ユリアンナの心に影を落としてしまったのだろう。
(アレッシアは、教育によろしくないか)
愛する故郷だが、子供たちに悪影響を与えているのなら。
そんな故郷のために、そんな人たちのために。自分はどこまでウェラテヌスとして懸けることが出来るのだろうかとも考えてしまう。
「ユリアンナ。少し、難しい話をしても良いか?」
「やでぶ」
「そうか」
即答されるとはエスピラは思っても居なかった。
「じゃあ、これだけは聞いてくれ。父と母上は普通の結婚では無いんだ」
ユリアンナは泣きじゃくるのを少しだけ止めてくれた。
目には涙がたっぷり溜まっており、頬は紅くなっている。
「家の関係としては、ウェラテヌスは実益を手に入れ、セルクラウスは名声を手に入れた。でも、互いに、お互いを自分のモノにしておきたいんだよ」
ユリアンナが首を傾げた。
肩は揺れており、その度に涙が零れ落ちてまた目に水分が補充されている。
「母上が居る限り、父は愛人も作らないし娼館にも行かない、ということさ」
良く分かっていないらしいが、ユリアンナが両手を伸ばしてエスピラにくっついてきた。
エスピラも受け入れて、服を娘の涙と鼻水で濡らす。
釣られて泣き出したリングアも抱き寄せて、膝の上にのせて。
クイリッタはとりあえずなのか、エスピラの背中にしがみついてきた。
「マシディリ」
呼べば、マシディリの目が揺れて、下に落ちていった。
「このマントはどう思う?」
エスピラは部屋に追加された足音を無視して、マシディリに問いかける。
マシディリは答えに窮しているようであったが、やがて口を開いた。
「アレッシア人らしくないと思います」
エスピラは笑顔で頷いた。
「ああ。私もそう思う。だがな、これは、と言うか正確には最初のマントからしばらくは母上が父にくれたモノだ」
マシディリの瞳に疑問の色が宿った。
「これは父の解釈でしかないが、しかも最近になって正しいかなと思えるようになったことでしかないが、こうすることで父の魅力を落としたんだと思うんだ」
「なぜですか?」
「他の女性がつかないように、かな。これでも、父は一応女性に人気があってね。でも体を隠すアレッシア人らしくない特性があれば寄ってくる人は減るだろう?」
マシディリの眉間に軽く皺が寄ってはいるが、ゆっくりとマシディリが頷いた。
「無理して理解しなくても良い。ただ、一つ言えるのはマシディリの出生は恥ずべきことじゃない。正しいことだ。私が一日しか居なかった? その一日でマシディリを授かったのなら、それこそ神に愛されている証だ。
これからも色々言われるかもしれない。
でもね、マシディリ。君が私やメルアについて一番恥じなきゃいけないことは、父も母も、貴族ではなく奴隷に許される様な恋愛をしているかも知れないことだ。家と家ももちろん大事にしている。その利益があって結婚したし、君たちにもそれを求めるだろう。
その時に、父と母は好きな者同士で結婚していること。奴隷のような結婚をしていること。それだけがマシディリが後ろ指を指されかねないことだ。それ以外は事実無根。気にするなと言っても無理だろうが、そこじゃないと見下してやれ。
マシディリは、私とメルアの大事な息子だ」




