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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十九章
1579/1587

兄弟

 喉も乾く怒涛の言葉の最後。


 マシディリは、無言で最後の一石、マンティンディを示す意思を地図上のメタルポリネイオに西南から再入場させた。


 メタルポリネイオは半島南部の都市。東西で言えばほぼ中央。ディファ・マルティーマは東方に位置しており、さらに西南に進んだその先にある洋上に浮かぶのがカルド島。ウェラテヌスの監督地であり、穀倉地帯だ。


「大筋は、頭に叩き込めましたね?」


 吐きたい一息を腹に押し戻しつつ、マシディリは背筋を伸ばして狭い部屋に居並ぶ高官、アビィティロ、グロブス、マンティンディ、ルカンダニエ、アピス、ウルティムス、クーシフォスを見渡した。


 いや、部屋は狭くない。

 積み上げられた書物や板、粘土板で狭くなっているのだ。


「まあ、流石に。二回目ですし」

 ウルティムスが唇を尖らせながら長く息を吐いた。


「あとは神々の恩寵を祈るのみってね」

 口角を上げ、白い歯を見せたマンティンディの顔も、疲労を隠し切れていない。ただ、ルカンダニエもアピスも真剣な顔で首肯してくれた。


 高官の反応と、彼らとアビィティロの意見交換に耳を傾けながら、マシディリは内政に関して頭を回す。


 果たして、送り出しても大丈夫だろうか、と。


 此処にいるのは第三軍団の高官であり、武の最主力とも言える者達だ。同時に、元老院議員でもあり、元老院の決定に影響をもたらすことのできる者達でもある。

 今回マシディリの思い通りの採決を次々と行えたのは、アビィティロ達の力も大きいのだ。

 その彼らを、送り出す。


(大丈夫ですね)

 時間的猶予を考えた消極的な納得では無く。

 最低限は出来たという下方の満足感でも無い。

 骨子を作り上げることに成功したと言う、自信だ。


「最初の大戦はキュメラキアの民かバラクサイの民。あるいは、その両方」

 今一度、顔に闘志を。表情に自信を漲らせる。


「作戦に変更はありません。信念に変わりもありません。

 即座の降伏は全て許し、数日かかれば高官に死を与え民を許します。徹底抗戦には、徹底的な暴虐を。


 既に、幾つかの都市には「来る元老院議員の補充選挙に向けて準備を進めておくように」との密使を出しました。もちろん、そのうち話が漏れる密使です。


 我らが為すことは何も変わりません。


 行き、勝ち、支配する。


 此の不毛な戦いを、すぐに終わらせましょう。

 私と、私の信じる皆さんで」



 必ずや、とアビィティロが頭を下げる。グロブス、ウルティムス、クーシフォス、ルカンダニエと続いた。


「御意」

 ちょっとふざけた調子は、マンティンディ。


「キュメラキア」

 零したアピスに対し、アビィティロが向けた目は不服への憤りか。

 ただ、こぼれ落ちた理由は、不服では無いかも知れない。


「これは内乱です。あえて言いますが、一切の略奪なく終わらせたいのが私の本音ですよ」

 小さく言い、マシディリは全員と乾杯を交わした。


 第三軍団に、頭である高官達が合流する。

 それは組織的な抵抗をも潰す力だ。しかも、組織的な抵抗が起こり得そうな時に投入することで、マシディリが神の眼を持つかのような錯覚も半島の民に与えることができる。


 遅れて、南方の慰撫にパラティゾを向かわせた。

 タルキウスは放置。着手したのは、放置民が大勢出た邸宅の整備である。特に批判の起こりにくい別荘を中心に手を加えた。同時に軍団育成中の集団に顔を出し、声もかけて置く。



「テラノイズ様からの返信は、未だにありません」


 パラティゾ、クイリッタの代わりにマシディリへの取次ぎとなったアスバクが目を逸らしながら言ってきた。


 言いたいことは、分かる。

 ただ、出来ることはそう多くない。


「引き続き、使者を。テラノイズ様の血縁者も送って構いません。最高軍事命令権保有者である私の指揮系統に入るように、説得を」


「かしこまりました」

 不服な響きを抑え、即座に返事をして動き出すのはアスバクも並みならざる者だからこそ。


「ウルバーニ様が軍団を連れたまま南下を始めました」

 別の者も、情報を持ってくる。


「狙いはタルキウスですね? そちらは放置で構いません。いざとなれば、アグニッシモを向かわせて諸共討ち果たします」

 マシディリの軍事命令権は、あくまでも軍団の掌握を主としたモノ。

 アレッシアの風紀を乱してもらわねば、まだ動けないのだ。


「マシディリ様は、どこまで見通しているのですか?」

 これは、訓練の合間に報告を聞いていたマシディリを見てのエキュスの言葉。


「半島であればマールバラに対しても百戦百勝できますよ」

 少し盛りましたね、と苦笑し。

 九十七勝三分けぐらいですかね、と修正でも無い修正をした。帰ってきたのは、苦笑いで半笑い。



 快晴にも恵まれた二日後。

 ついに、アレッシアに大艦隊が現れた。


 フロン・ティリド遠征軍。即ち、アグニッシモが率いていた軍団。その一部。

 アグニッシモ、ヴィルフェット、バゲータ、ヘグリイス、ペディタを高官とする軍勢だ。


 フロン・ティリド編入戦の英雄を、本来であれば凱旋式で出迎えたい者達を、マシディリが扇動した民衆が大歓声で出迎える。


「兄上」

 乱痴気騒ぎも大好きな愛弟の顔は、それでも険しいまま。


 マシディリは口元だけで笑い、その後に自身の口角を両の人差し指で持ち上げた。

 ぎこちない顔で、アグニッシモが手を挙げて民衆に応える。


(女性を最前面に配置していて良かった)

 アグニッシモの多少の不備は、女性からの歓声に起因するモノとみられるだろうから。


「会えて嬉しいよ、アグニッシモ」


 兵の頭領としてアグニッシモに一通りの振る舞いをさせた後、やや大袈裟な言い回しでマシディリは弟を抱きしめた。アグニッシモの力も、少しばかり抜けたようである。


「兄上。兄貴の、仇は?」

「今から討つ。ごめんね、準備に時間がかかっちゃって」


 最初は昏く力強く。後半は、やさしく腰も低くして。

 アグニッシモは、伸びた髪を暴れさせながらふるふると首を横に振っていた。


「多分、兄上だから合法的に追撃ができるんだって分かってるから」

 声に元気はない。


 当然だ。

 アグニッシモも、兄弟が大好きなのだ。その発露は、フィチリタと同じくらいだとも言えるほどである。


「私より先に死なないでね、アグニッシモ」

「俺の台詞だよ。兄上は、絶対に死なせない」


 クイリッタの遺した手紙を取り出し、差し出す。

 言わずとも、伝わったらしい。

 無言でアグニッシモが手紙を手に取り、広げた。


 愛弟の目が動く。

 鼻も、啜り始めた。


「兄上」

 クイリッタの最後の手紙を読み終えたアグニッシモの目から、大粒の涙がぼろと零れ落ちる。


「あにうえ」

 顔も赤く。震える手は、クイリッタの血に塗れたトガだったぼろきれを掴み。


「あああああああ」

 男の慟哭と言うよりも、幼子の涙腺が壊れたように。


 アグニッシモが大声を上げ、大粒の涙と多量の鼻水をこぼした。誰の目もはばからない、何も飾るところのない素直な感情だ。悲しみに濡れているが、純粋故に綺麗な涙である。周りにいる元老院議員にも目を向けない。何事かと足を止めた者達も気にしない。


 悲しいから、泣いている。

 怒っているから、拳を叩きつけている。


 胸が張り裂けそうだから、喉を裂かんばかりに叫んでいる。


(ああ)


 羨ましい。

 それ以上に、愛おしい。


 この弟は。

 長弟が愛した弟妹は。


 必ず、自分が守り抜かねばならない。


 マシディリは、そう固く心に誓い直した。


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