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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十九章
1578/1588

営みの繋がり Ⅱ

「ありがたいお言葉にございます」

 アルカがしっかりと腹からの声を出してきた。


「亜父の遺言を」

 と続くメリモアの言葉も腹から。しかし、すぐにアルカに止められている。


「私は第二次フラシ戦争でマールバラに両親を奪われた者ですが、メモリアはサンヌスの反乱で失っております。故に、幼い頃に拾っていただき、時折手ずから教育にやってきてくださったクイリッタ様のことを亜父とお呼びしているのです。

 マシディリ様さえよろしければ、今後も、メリモアや孤児院の弟妹達がクイリッタ様を亜父と呼ぶことをお許しください」


「構いませんよ。クイリッタが喜ぶと思う行動であれば、私の許可は必要ありません」


「ありがとうございます」

 言葉を返してきたのはアルカだが、メリモアもアルカと同じような姿勢を取り始めた。


「私達が神殿に来たのは、クイリッタ様の遺言が発表されると聞きいたからです。時間が経てばアレッシア中に広がるとは知っておりましたが、どうしても早く知りたいと言うことで、孤児院の兄弟を代表してきました。この部屋への狼藉は、申し訳ございません」


 許されることかと言えば、許してはいけないのだろう。

 故に、直視の許可は出さない。頭も下げさせたまま。足すら動かせない。


 でも、「そうまでして聞きたいことがあるのでしょう?」と、やさしく問いかけた。


「はい。遺言の内容は、私の良く知るクイリッタ様らしいもので、恐らく、多くの者が期待した共和政の破壊者としてのクイリッタ様ではありませんでした。


 カッサリアに関与しない財はアグニッシモ様とセアデラ様、フィロラード様とヴィルフェット様に分け、アグリコーラで途中の事業はチアーラ様と、アスピデアウスに、と。カッサリアに関与しない土地の内、一部はウェラテヌスに返しておりましたが、多くはアレッシアに返還し、功ある兵士のために使ってくれとも言われております。


 それから、カッサリアのモノを継ぐのは家族が一番、次にティベルディード様、三番目にティツィアーノ様でした。多分、愛人だと思う方々にも額の代償はあれども財の分与が発表されております。


 ただ、私が、私とメリモアが最も許せないのは」


 人間の皮が硬く結ばれる音がした。

 アルカの腕だ。筋肉が隆々と見え、太ももに拳を埋めんばかりに押し込まれている。


「孤児院の経営に、マレウスも入れてくれ、と。マレウスは有用な人物だから、マシディリ様が思うよりも高い地位に就けても良い、と。ただ、ひとまずはくだらない政争の影響を自覚させ、それから用いるようにと仰られていたのです。


 クイリッタ様はマレウスをアレッシアにとって大事な人材だと認めておられました!


 なのに! 


 アイツは。あいつらは。


 申し訳ございません。

 ですが、アレッシアと言う共同体を想っていたのはクイリッタ様であり、意のままに操ろうとしたのはマレウスです。六十人はよってたかった数。アレッシア人に配られるはずだった財を独裁者からの解放として奪い去ったのもマレウス。クイリッタ様の心遣いが露見すると不都合だからと家を燃やしたのもマレウスです。


 自分にとって都合の良いように動いた暴君が、クイリッタ様の遺言とは言え、サルトゥーラ様が誰に言うでもなく造り、クイリッタ様が受け継いだ私達の拠り所を継ぐなど、我慢ならないのです」



 全員を救うことは出来ない。

 それが、サルトゥーラが孤児院を公にしない理由であり、国庫を投じなかった理由であった。


 彼の家と服は、立場にしては非常に質素で。そして、貯蓄も少ない。投じられた先は言うまでも無いだろう。

 クイリッタもいつだかそんな義父に敬意を表し、結果的に多くを受け継いでいたのだ。


(嫌われやすいところまで受け継がずとも)

 ある意味では、似た義親子だった。


「マシディリ様。どうにか、なりませんでしょうか。

 カッサリアの血は途絶えてしまい、明確な後継者はおりません。私達の家の最後の管理人はクイリッタ様です。そして、クイリッタ様の主はマシディリ様。マシディリ様がサルトゥーラ様の力を買い、執政官時代に重用していたことも知っております。


 マシディリ様。

 お願いいたします。マレウスなんかに、私達の弟妹を言いようにされたくは無いのです」


 お願いします、とアルカが額を石の床にこすりつけた。

 すっかり口を閉ざしたメリモアも、同じように、そして今度は自発的に額を床にこすりつけている。


 マレウスは仇である。


 大事な人を奪われたと言うのは、マシディリと彼らに共通する感情だ。そして、彼らは、きっと、微塵もクイリッタの欠点を指摘することは無い。


「遺言は神々に守られたものだからね。そこを侵しては、私は無法者となってしまうよ」

 静かに、一つ。

「アレッシアの法を破る訳にはいかない。特に、私のように権力がある者はね」


 メリモアから衣擦れの音がしたが、アルカは額をつけた姿勢のまま微動だにしなかった。

 二人がいる位置は、丁度、マシディリが部屋から出る時に障害となる位置である。迂回するか跨げば問題ないが、真っ直ぐは進めない場所で、頭を下げているのだ。


 無論、マシディリには、真っ直ぐ以外の道で部屋を出るつもりは無い。


「残る後見人がマレウスなら、マレウスを討てばその限りではなくなるけどね。アレッシアの法では、次に家の主が裁量権を得ることになる。クイリッタの場合、ウェテリを授けなかったけれども嫁を取った形だから。次の裁量者は、私だね」


 ああ、何と愚かなことか。

 自分は、弟の遺した大事な者達すら復讐のために使おうとしているのだ。


 そう咎めるのは、マシディリ自身に他ならない。


「シニストラ様の監督下の部隊に編入しようと思います。

 ただし、軍団の主力にはサンヌスの者もいます。そのことを承知で、自身の境遇への恨みを呑み込んだうえで。志を共にし、従軍したいと言う成人済みの男を集めてきてください。できれば、成人しているとはっきりと分かる証拠と共に。

 証拠は、サルトゥーラ様の遺していた手紙やクイリッタの手紙などでも構いませんよ」


 シニストラなら、軍団に経験の浅い者がいても纏めることができる。

 シニストラなら、彼らの暴走を止めることができる。

 シニストラなら、好機と見た時に彼らを止めることは無い。


 そんな、何度も反する思いを抱きながら。

 マシディリは、礼を言って去っていく孤児を見送った。

 彼らから隠れるように、そして入れ替わるように現れたのは今日の主催。


「確かに」

「セアデラ」


 末弟の声を、愛息がとどめた。

 首を横に振り、母親を思わせる毅然とした目で叔父を黙らせている。


「父上に、叔父上から最後の言葉がありました」


 普段の快活さと愛嬌が奥底に隠れ、粛々と、名門の血を引く者として多くが想像する背筋でラエテルが言葉を紡ぐ。


「『私は兄上がいない世界で生きていたことはありませんが、兄上は私がいない世界で生きていたことがあります。少し、元に戻るだけです』」


 余計な言葉は無く、ラエテルが目を閉じる。


「そんな訳があるか」


(愚弟が)

 奥歯を噛みしめる。


 物心ついた時には、既に弟がいた。

 クイリッタのいない世界は、マシディリにも、無かった世界だ。


「セアデラ」

 愛息の声が、普段に近い明るいものに変わる。


「神官の人が言っていた言葉は、黙っていた方が良いかな?」

 盛大な二人言だ。

 白々しいと分かっていながらも、マシディリも何も言わない。


「どれ? 兄上にかかる重圧はってやつ? それとも、無財どころか借金から始まって家を興した父上も稀代の英傑なら、最年少記録を次々と塗り替え、しかも比類なき功でそれすら足りなかったことを示した兄上も稀代の英傑ってやつ?


 その二人を擁しながらウェラテヌスが再び落ちるようなことがあればそれは周囲の非才が招いたことであり、自分のようなただの天才でもまだまだ足りないことばかり。ただこのことを意識させてしまえば弟妹の重責になるばかりだからこそ、自分がしっかりしないといけないって言う、兄貴のらしくない弱音の方?」


「父上に何かあるくらいなら、叔父上自身に何かあった方が良いと言う方」


 視線を切り、目を閉じる。口も開けない。静かだ。炎が燃える音だけが、静かに耳に届き続ける。


 マシディリは、他の者に背を向けたまま軽く手を振った。

 静かな足音が一つ、また一つと離れていく。最後に、ことり、と硬い何かが置かれる音がした。


 誰もいない聖堂で、いつもより熱い目を、物音がした方へと動かす。


 綺麗な、粘土板。

 壊れる可能性の低い板を、マシディリは壊れ物を扱うように拾い上げた。



『願わくは、兄上に降りかかる災厄の全てを我が身に降り注がせ給え』



 愛弟は、知っていて、それも天命だと受け入れたのだろうか。


 答えは、分からない。

 確かなことは、長弟は、意識していたよりもずっと、ずっと。マシディリにとって、半身であった。

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