純潔なる神の御許で、夜這いの花束を。
無論、エスピラは、いや、エスピラと亡きタイリーは何故アプロウォーネが亡くなったのかを知っている。もしかしたら、メルアも知っているかもしれない。ズィミナソフィア四世も実はたどり着いているかもしれない。
それでも、淡々とエスピラは悪女を『作り出した』。
「タイリー様が目をかけていた長男は次男と四女の夫に潰させて、長男を庇うであろう三男の権威も落とす。長女の夫はマールバラに討たれる。三女の夫は道化師を演じている以上は完全な敵にも権力の邪魔にならない。そして、サジェッツァの作戦が失敗に終われば協力体制にあった次男の権威も落ちる。尻尾きりに会うのは四女の夫。つまり私。
そうすれば自身の子供たちである次女、四男、五男に力が集まる。
いえ、五男は今は役職に就けない状態でしたね。そこは計算違いか、それとも四男フィルフィア様に全てを集めるつもりなのか」
「パーヴィア様はそこまで計算高いお方ではありません!」
(そこまで、ね)
計算高い部分はあるらしい、とエスピラは目星をつけた。
同時に、そうでなければタイリー・セルクラウスを押し切って結婚し、しかも子を三人も設けはしないかと結論付ける。タイリーに愛情があったのかもしれないが。少なくとも、エスピラはタイリーがパーヴィアと一緒に居るところは一秒たりとも見たことが無い。
タイリーとはただの義息以上の関係でもあったにも関わらず、だ。
「では、何故ティミド様は今の軍団に居ないのですか? あのお方はその腕を買われて、こういう大軍を擁する時のために罪を許されたはずです。
それだけじゃない。コルドーニ様とトリアンフ様の遺児は被庇護者も連れて軍団に参加したと言うのにフィルフィア様は一切人を出していない。フィアバ様もほとんど人を出していない。
力を温存して、セルクラウスを乗っ取ろうとしているとも取れませんか?」
「それを言うなら、タヴォラド様とエスピラ様だって」
「タヴォラド様は力を失ったと言いましたでしょう? 私に至っては一人昨年の無様な戦いの責任を取らされ、上司に当たるアネージモ様からは冷遇されて何もできない。その上、裁判で私と争った者ばかりがいる軍団に参加しろと? つまり、シジェロ様は私に死んでくれと言っているのですか?」
シジェロが唇を嚙むようにして下を向いた。
(普通は此処まで言えば燃え上がるような恋の炎であっても鎮火されるが)
エスピラは冷たい目を意識して作り上げる。
「でも、私はパーヴィア様とは違います」
「知っております」
わざと優しく言って、少しばかりの希望を持たせる。
「ですが、処女神を、神を利用しているのは事実。
婚姻を発表すれば噂が収まる? 神託を預かれば済む話です。神は見て下さっているのですから。それでも信じない者は裏切り者。それをしないのは偏にマシディリがまだ信奉する神を決めていないがため。
アネージモ様が考えを変える? それは婚姻しなくとも、シジェロ様や常駐神官の方々が本当に私の力を必要としてくださるのであれば訴えてくれること。
それを婚姻を盾に動かす? 馬鹿にしないでいただきたい。貴方の行為は処女神を貶めるそれだ。処女神の巫女がやって良い行いでは無い。
重婚が認められているのは、偏に処女神に立派に仕え、アレッシアを守り、その炎を絶やさないからにほかなりません。政治的な利用のためじゃない。政治的な、俗物にまみれたやり方は私たちのような神に仕えることのできない、神のお言葉を直接聞くことが出来ない者達がやることだ。貴方のような腕の良い巫女がやってよいことじゃない。
いえ。私の知っている、私が腕を認めタイリー様が重用するようにおっしゃったシジェロ・トリアヌスならばそんなことはしなかった。そんなことをする輩ならば他の巫女の占いで十分だ。政治的な意図を察知して神の言葉を曲げる者など必要ない。
少なくとも、シジェロ・トリアヌスはそんな人では無かった」
そして、突き落とした。
語気に力を籠めて。責める気持ちを乗せて。
朗々と良く通る声を発する。
そして、一歩前に出た。
「お前は、誰だ」
最後に、一言叩きつけた。
「神への、冒涜は」
震える声でシジェロが言った。
「冒涜しているのはどちらだ」
その震える声すらエスピラは切り捨てた。
シジェロが俯く。
「冒涜しているのはどちらだと聞いている」
「…………エスピラ様です」
それでもか。
シジェロが、間こそ空いたがはっきりとした声で返してきた。
声の後に上がった顔は、瞳は非常に力強いモノが宿っている。
「少なくとも、私の気持ちを、女性の気持ちを踏みにじったのはエスピラ様です。そこまで言う必要がありますか? 私の、精いっぱいの思いを。頑張って絞り出したこの気持ちを。私はまだ六年もあるのに。メルア様は、非常に暴力的な方なのに。私の、方が、……」
流石に、迷った。
エスピラの気持ちがどこにあるかは変わらない。エスピラが女性として愛しているのはメルア・セルクラウス・ウェテリただ一人だ。
だが、迷った。
そうして、すすり泣く声をどれほど聴いたか分からなくなってから、ようやくエスピラの口が開く。
「なら、はっきりと言おう。私はメルア以外の者を妻として迎える気は無い。タイリー様に勧められても愛人は断る。父祖が伝えてこようと断る。暴力的? 悪い噂? 結構。その程度で揺らぐ気持ちではメルアと生きていくことなど不可能だ。
それに、メルアだけは決して私を様付で呼びはしない。何があっても、だ」
言い切ると、エスピラはシジェロに背を向けた。
静かに、それでいて一定のリズムを刻んで扉に向かう。
「アネージモ様はエスピラ様を干し続けますよ」
低く昏い澄み渡った声がエスピラの耳に届いた。
それは、罪の告白に近いモノ。この状況を作り出すために過剰にエスピラが干されるように動いたともとれる話。これまで協力的だった神殿勢力が、その膝元で起こっていることに一切動かなかったことの裏付け。
「十年後には、アレッシア史上最低の最高神祇官として一生記録に残してやるから安心しろ」
そのことを理解しつつ、そのことを責めることが出来るにも関わらず。
エスピラはシジェロには触れずに神殿の外へと出ていった。
明るい日差しがエスピラの目を少々焼く。
その前に広がっている石畳の広場では、メルアがクロッカスの花を持って立っていた。
子供をたくさん産めるというアレッシアで人気の出る要素を持つ美人が、クロッカスを持って立っているのである。人気の出にくい色白で筋肉の見えないやわらかそうな肌でも、そんなことは関係ない。通りかかる人がちらちらとメルアを盗み見て、幾人かは同じ道を通り、また幾人かはとどまってメルアに視線を送っている。
「メルア」
エスピラは自分でも驚くほど低い声を出して妻に近づいていった。
「あら。もう良いのかしら?」
何でもなく言ってくるメルアの後ろでは、数人の男達がそそくさとその場を去っていった。
その顔を、エスピラは絶対に忘れない。
「ふざけた真似はするな。セルクラウスの姫であれ、ウェテリの尊称を持っている以上はウェラテヌスに相応しい行動をしろ」
言って、エスピラは左手でクロッカスをつまむとすり潰した。
革手袋を、草の汁が濡らす。
「ねえ。貴方に命令されるいわれは無いのだけど」
そう言うと、一歩離れてメルアがまたクロッカスの花を取り出した。
エスピラの鼻筋がひくつく。
眼光も、処女神の神殿の時の比では無いだろう。証拠に、広場に居る男の割合がどんどん減っているのだから。
「勝手にしろ」
言って、エスピラは近くの石で作られた椅子にどっかりと座り込む。
「ええ。言われなくても」
メルアがクロッカスを持ったままエスピラに背を向ける。
だが、今度は誰も寄ってこない。
ちらりと見る者も居るが、基本的にはそそくさと去っていく。誰も近づかない。メルアの傍にいる人はエスピラだけ。
遠巻きに見ていた人ですら減っていく。
「ねえ」
「何」
自分でもあり得ないほどぶっきらぼうな声が出たな、とエスピラは自覚した。
それでも、言い繕うだけの余裕も無ければそうするだけの頭も動かない。
メルアは怒ったようにまたエスピラに背を向けた。
しかし、数秒するとゆっくりと、背を向けたままエスピラに近づいてくる。
「貴方の所為で誰も近寄らなくなったのだけど」
「良かったな」
ぶっきらぼうに言う。
お互いに顔は見ない。
「仕方が無いから、貴方にあげるわ」
メルアがクロッカスの花をエスピラに押し付けた。
迷惑そうな表情でエスピラはメルアを見ながらクロッカスを受け取る。
「仕方が無い?」
「あら。不満なら、巫女の服装でもして貴方の上に乗っかってあげましょうか? それとも、巫女が組み敷かれている方がお好みで? どのみち、そんなことする女は私くらいだと思うけど?」
「巫女の服、ねえ」
それから、思わず笑いがこぼれる。
処女神の神殿で。その目の前で。わざわざクロッカスの花を見せつける。そして手渡す。
これ以上の皮肉があるだろうか。
噂になり耳に届く。よりにもよって純潔が求められる処女神の神殿で、それとは程遠い夜這いの誘いの花を咲かせたのだから。
「なに」
メルアの冷たい目がエスピラに注がれた。
「いや、ほんと。最高の女だよ。良い妻だ」
メルアの眉間に深いしわが刻まれた。
「本当に。色々。神祇官の妻でありながら神殿に対して狼藉を働くとは。神祇官の資質が問われかねない。子が神祇官に就くのにも影響を与えかねない。
その昔、エリポスでは王の妻が将軍を労わなかったせいで国が崩壊したと言う話もあるしな。
私が神祇官でいる以上は、メルアの外出を制限した方がよさそうだ」
そう言って、エスピラは立ち上がった。
「貴方に私の行動を制限する権利なんか無いと思うのだけど」
との言葉とは裏腹に、エスピラにはメルアの眉間の皺が薄くなったように見えた。




