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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第三十九章
1568/1587

最後の対面

 静かすぎる一室だ。


 薄暗く、涼しく、大して広くも無い部屋が広々としている。寂しい部屋だ。的確な調度品をもっと用意しておけば良かったとも思うが、それはそれで縁起が悪い。故人を偲ぶものとして置かれているのがどうしても十年以上昔の物や子供の時の物しかないのも、居場所ごと壊されたようでやるせなかった。


「開けない方が良いと思います」


 棺に手をかけたところで、セアデラの声が届く。

 他に部屋にいる者はアルビタだけ。子供達はもちろんのこと、べルティーナは自ら辞退した。


「損壊も激しいし、時間も経っているし。兄貴は見られたくないかも知れません」


「そうか」


 呟くように言い、棺に手を乗せる。

 冷たい。硬い感触だ。棺を調達できたことはまだ幸いだったのかもしれないが、少々、いや、アレッシアの二頭様とまで呼ばれた男が入るには粗雑すぎる。


「そうか」


 ざら、ざら、と石の感触が続く。


「代わりではありませんが、こちらが、兄貴がウェラテヌス邸に来た時に着ていたトガです」


 セアデラが、大きな木の板を持ち、大きな布を持ってきた。

 染色したのか、と言うほどに元の色が分からない。暗褐色に染まり切っている。トガだなんて、言われなければ分からない。穴だらけで、無事な場所を探す方が難しいほどだ。


 棺から、トガへと手を伸ばす。

 右手が震えていることに、マシディリは視覚することで気が付いた。


 セアデラは、何も言わない。


 アルビタもだ。


 ゆっくりと近づいた右手が、またもや衣服とは思えない硬い感触を伝えてくる。


 元がどれだけ高級な絹を使っていようが、全くわからない。感じるのは、硬く、折ることすらできそうな感触。それでいて、ばらばらとクイリッタの中を流れていたモノが崩れ落ちていく実感もある。


「ほんとうに」


 ぐ、と握りしめる。


「そうか」


 いつの間にやらアルビタが運んでいた台に、セアデラが木の板を置いた。

 次いでセアデラが懐から取り出したのは、立派な白木の箱。蓋が開けられ、マシディリの目に飛び込んできたのは砕けたマティ。クイリッタの愛した家族からの、贈り物。


 マシディリは奥歯を噛みしめた。

 熱くなる瞳を、堪え、砕け散ったお守りを穴が開くほどに見つめる。


「兄貴の指は、不自然に折れていました」


「そうか」


 刺されること自体が、これほど刺されること自体が不自然だよ。

 普段ならそう言ったかもしれないが、今のマシディリにはその言葉すら浮かぶことは無く。


「最期の言葉も分かりません。誰も聞いておらず、聞いていたとしても、素直に伝えるとは思えない者達ばかりです」


「ああ。まあ、そうか」


「兄上!」

 焦れたかのように、セアデラが大きな声を出す。


 末弟の声は、静かな室内で何度か反射していた。言葉としては分からない。ただ、音として残滓が何度も揺れ動いていたのである。


「そうだね」


 責めるような末弟の視線を感じつつ、マティに触れそうになっていた人差し指を曲げる。出来上がったのは、よわい拳だ。


「殺すしか、ないね」


 マシディリが思ったよりも淡々とした声が、マシディリ自身の口から出てくる。


「理由なんかどうでも良いよ。蛮行を正当化しようとするなら、その分苦しませて殺す。私の弟を奪ったんだ。何度も刺し殺して。それに飽き足らず、生きていた証拠も無くそうとした。


 望むとか望んでいないとか、どうでも良い。


 他の人もとかも関係ない。


 暴挙の理由だってどうでも良い。


 殺してやる。私の、怒りにかけて。散々苦しませて殺してやる。一人でとっとと命を絶ったら、他の者の前でその家族に代わりを担わせてやるとも。例えそれが悪逆だとしても、道無き場所に道を拓いてきたのがアレッシアだ」


「先にボルビリの意見を聞くことにした兄上の慧眼に敬服いたします」

 セアデラが恭しく言い、目を閉じた。

 膝も軽く曲がり、伸びると同時に目も開く。


「兄貴の葬式と遺言披露はどうします?」


「そうしき」

 意味のある言葉では無い。ただの繰り返しだ。

 兄上、とセアデラがまた詰め寄ってくるほどの。


「スぺ兄やアグ兄まで待ちますか? ディミテラさんを呼びますか? それとも、今やりますか?」

「すぺらんつぁは」

「兄上! 決めていただかないと困ります!」


 気づけば逸らしていた顔のまま、マシディリは目をセアデラに向けた。


 アレッシアに居たクイリッタの家族は、皆殺された。義兄であるティベルディードはマシディリが殺した。どうしても捕らえようと思えば別の作戦を展開したかもしれないが、護衛であるはずのティベルディードが生きていて、護衛対象のクイリッタが死んでいることに納得ができなかったのは偽らざる本心である。さっさと逃げたと聞いて、仮に生きていたとして、今は許したとして、将来報復をしなかった自信も無い。


「遺言披露は、行おう。葬式は遺言内容によって、かな」


 問題は誰に取り仕切ってもらうか。


 クイリッタの遺言披露は、要するに、マシディリが思うクイリッタの後継者を新たにする場でもあるのだ。


 誰が、クイリッタの位置に立つのか。

 パラティゾ。アビィティロ。スペランツァ。

 誰を思い浮かべても、しっくりと来ない。違うと心が叫ぶ。


 クイリッタ以外に、あり得ない。


 自分の隣で馬鹿なことを言い合い、真面目な話し合いもして、言い過ぎとも思える皮肉を誰に関しても言うのは。クイリッタ以外に、あり得ない。


(何故死んだ)


 人は、何故蘇らないのか。


「物心がついた時から、私の傍にはクイリッタがいてね」


 上を見て、大きく、ゆっくりと息を吸う。


 小さい頃から、いわば普通の兄弟がするような大きな兄弟喧嘩はしてこなかった。

 大抵はどちらかが拗ねるか、我慢して終わりだ。

 それでも本音を言い合える関係であったのは、いや、なったのはある程度成長してからか。


 十分に濃い時間を過ごしてきた。でも、もっと早くから、と思わずにもいられない。


(ああ)

 思えば、そう言った大喧嘩をしてみたかったのかもしれない。


 今のマシディリには、もう、そんなことをできる相手はいないのだから。誰も彼も、マシディリとは違う。マシディリと同じ場所に立ってなどくれはしない。同じ舞台に立っていたとしても、そこで拳を握りしめてはくれないのだ。


 顔を戻す。

 口を閉ざしたままの末弟が視界に入った。


 思い出すのは、一つのこと。


「そのむかし、ラエテルと、どっちの両親がより愛し合っているのかで大喧嘩をしたそうだね」


 セアデラの眉間に皺が出来た。


「まあ、そうですけど、よりによって大喧嘩の内それを出しますか?」

「ラエテルに決断を任せたのは、セアデラとべルティーナの共通意思と言うことで問題ないかい?」

「最後の内乱とまで言い切った兄上が、アレッシアを安定させる自信が無いのであれば撤回しますよ」


 やや挑発的な言い回し。

 それもそうだ、とマシディリは口角をもちあげた。


「遺言披露の合切は、セアデラ、私の愛する弟に任せるよ。分からないところは私に聞いてくれて構わないけど、相談は基本的にラエテルや二人を支える予定の人にするように。

 なるべく早くやってほしいから、今から準備を頼んで良いかな」


 セアデラの目が動く。

 一秒か、二秒か。

 かしこまりました、と膝が曲がるのに、それほど時間はかからなかったが、単純な工程にしては時間を要していた。


「アルビタも、外してくれ」

 末弟がいなくなった後で、護衛も外す。


 褐色に染まったトガを手に取り、棺に顔を向けた。

 静かだ。

 本当に。

 何か言ってくれれば良いのに。


「さんざん、私には暗殺に気をつけろと言っていたじゃないか」


 恨み言をぶつけるも、もう長弟は何も返してくれない。


「むこうで、父上と母上に叱られていろ」


 穴だらけの衣服を顔に押し当て、壁に体を預ける。

 足の力も抜けていき、ずるずると、マシディリは冷たい地面に尻をつけたのだった。

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